15
天色の空に刺すような日差し、蝉の声が他の全ての音を覆う程賑やかな日。1993年8月21日。
福岡県のとある中学校内。夏休みの中、野球部の金属バットがボールを打つ音。体育館から反響する活きのよい掛け声。ブラスバンドの楽器の音色。部活動は盛んに行われている。夏の蒸し暑い中防具で汗びっしょりになり、早く水を浴びたいと思っている結城に、
「純平」
「ん?」
「今から話があるちゃけど、ちょっといい?」
「いまから?ちょっと暑くて着替えたいんやけど」
「ちょっとでいいけんさ」
「わかった」純平は防具を脱いで、剣道場と校舎をつなぐ渡り廊下に防具をおいた。道着もびっしょりで、頭も顔も汗だくなので、タオルを持っていけばよかったと後悔した。袖で顔の汗を拭いながら、渡り廊下から校舎を通って、部室が並び、部室から体育館倉庫に繋がる脇道に連れてこられた。純平は何が起こるのかなんとなく気がついていた。今日、望月真奈美に告白されると。決して驕り高ぶっているわけではない。数日前からなんだか陸上部の女子たちが、自分の周辺でざわざわしていて、聞こえないようにの会話がただ漏れだったからだ。剣道部全員も周知していて、というより、一年の部活動している連中には、ほぼ知れ渡っている状態だった。望月真奈美は学年の中でも目立ち、知名度も高く、男子からも人気があり、それも本人がわかっている。そんなマドンナ的な存在の彼女がなぜ自分に好意を持っているのか、皆目検討もつかない。新手のいじめかとも疑っていた。彼女らの中で罰ゲームで告白する的な。若さ故の残虐的行為。どっちにしろ、厄介な案件だと思った。残虐的案件でないとして、人に好かれるというのは悪いことではない。が好きでもない相手に告白されるってのはどうしてこうも面倒なのだろう。告白するって、相手も自分の事に好意を寄せてるなと感じ、大丈夫が8割方だとGOすればいいのに。そもそも、望月は自分の事をどれだけ知っているのか。話はしたことあるが、グループの中での会話だし、実際直接2人で話した記憶なんてない。早くこの場を立ち去りたい。望月の他にも、呼び出した女子が後ろに4人くらい控えていた。この状況で告白されて、どうしろと?イエスならばなんら問題はない。ノーの場合は、この場で答えをいうより、持ち帰って改めて1人の時に言った方が傷つかないかもしれない。でも改めて?面倒くさいの極みだ。まて、告白されるとは限らない、デートしたいというかもしれない。一緒に帰ろうかもしれない。あっ、剣道教えてかもしれない。アイス奢ってかもしれない。ムカつくんだよ。ってボコボコにされるかもしれない。とにかく話を聞こうじゃないか。取り巻きの女子は一応、見えないところに隠れている。一応。見たい気持ちがはみ出ているが。
「ごめん。急に呼び出して」
「何?」そっけなく聞いた。
「あの、あのね。私、純平のこと好きやけん、付き合わん?」
「ごめんなさい。付き合えません」
即座に応えてしまった。誰もが耳を疑ったであろう。予想外の返答に一瞬何が起こったかわからないようだった。そもそも予想外の展開ってどれだけ自信家なんだ。
「はっ!」
取り巻きの女子1人が声を放った。この状況に耐えられない自分は走って逃げた。
背後から「まじありえんちゃけど」「何様なん」「真奈美大丈夫?」みたいなザワつきが聞こえたような。いや、聞こえるはずはない。もうこの距離感では聞こえるはずがない。さらに蝉のやかましさが打ち消しているはずだった。
その後夏休みが明けると女子たちの冷たい目に晒され、最悪な男として、2学期がスタートした。無視されるだけでなく、地味な嫌がらせの数々。まるで汚いものを見るかのように、聞こえるように、コソコソと悪口や謂れのない噂を流され、どこからか消しゴムのカスを投げられたり、上履きが隠されていたり、こうして一気にいじめというのが発展してしまうのか。望月真奈美本人に嫌われるのはわかる。他の人間たちには関係ないことなのに。こんな自分の考えのないような連中なんてクソ喰らえだ。だから、あんな女はごめんだ。はっきり言って気持ち悪い。救いは剣道部の仲間や、一部は変わらず接してくれた。ただこっそりと。しかし、これはまだまだ序の口だった。ターゲットだった自分も数日経てばどうでもよくなるようで、みんなからよってたかってという感じはなくなった。ただ一部の頭の悪い連中がなんの意味もなく、嫌がらせを続ける。この人たちをなんと呼ぼう。ゴキブリ。ハイエナ。ん〜違う。両者に失礼だ。しっくりくる名前を考えてやろう。
そんな中、実は望月真奈美のことをよく思っていなかった派閥が頭角を表してくる。そう女子のグループには、一見仲良く繋がっているように見えて、いつでもと失脚を狙っている連中もいたのだ。望月が振られたことで結城にしていることに対して、みっともない、何様のつもり、結城君に望月なんて不釣り合いでしかないわ。という意見が沸き立ち、今度は望月潰しに転嫁していった。望月の取り巻きだった女子でさえも。実は嫌いだったと言い出す始末。情けない。醜い。人と関わると自分も不本意な形で巻き込まれるようだ。新たな勢力の中に、どうやら自分に好意を寄せてくれていた女子が存在していたという。本当だろうか。他の人がいいと言ってるものがよく見えるという類のものじゃなかろうか。恐らくそうだ。その新勢力は前一大勢力の頭が奪い取れなかった首を取ることで自身の地位を上げようとしているだけではないだろうか。戦国時代の武将たちが見たら、お笑いだろう。どうやら、金曜日の放課後に告白されるらしい。金曜日まであと3日憂鬱。なんとか告白を阻止できないだろうか。火曜日の昼休み、剣道場の前で1人時間を潰していた。そうまだ誰も自分に近づく者はいないし、教室にいるなんて拷問に耐えられない。すると見覚えのある女子がこちらにやってくるのが見えた。同じクラスの中野沙恵だった。
「大変だね。まっクラスには居辛いか」
「はは。」
「モテる男は辛いね」
「モテる?何がいいんかさっぱりわからん」
「そういうとこじゃない?」
「そういうとこ?」
「その感じ。私も好きだよ」
「はっ?」
「勘違いしないでよ。告白じゃないから。そういう感じはいいと思うってこと」
「わざわざそれを言いに?」
「自意識過剰だなあ」
「いや、こんなとこに用があると思えんけん」
「ちょっと知りたいことがあって。私、人の心理に興味があるの」
「人の心理?」
「まぁ、変な奴ってこと。今日これからか明日にかけて、ちょっと私に注目してて。」
「なんで?」
「いいから」
「変な奴」
「褒めてくれてありがとう。さてそろそろいいかな。じゃ。また教室で」
と言って、中野は渡り廊下を戻って行った。理解できない行動をする女。昼休みの残り10分をギリギリまで過ごして教室にダラダラと戻った。もう視線も気にならないと言うより、誰も見ていない気がする。そう自分を嫌う理由なんてない人がほとんどだから。
ガタンッ!
後ろから、机にぶつかる派手な音がした。とともに、机横に掛けている荷物や、机上のペンケースが派手に落ちた。これか、中野の言っていた意味がわかった。中学校という世界は狭い。そして、今自身がその狭苦しい世界にしか存在してないと考えると、不登校になる理由も納得がいく。この世界しかないと思っている人に世界は広いと伝えられたら、何人かの命は救われたのではないかと思う。中野と目が合った。ちょっと笑っている。彼女は強い。そして、これが世界の全てではないことを知っている。わざとぶつかったのは言うまでもない、新勢力の1人。んで、告白してくる相手は、大村しおり。他クラスだが、このクラスにはよく顔を出している。そう机にわざとぶつかった女と親友らしい。親友って。簡単に親友って口に出すような関係なんて、親友と言えない気がする。このまま親友でいるのか見ものではある。5、6限、掃除を終えて、部室に向かった。やっと息苦しい時間から解放される。
2日後、放課後、部活に行こうとする中を呼び止められた。大村しおりは前回の勢力と違い1人だった。面識がないわけではない。むしろクラスに顔を出すことが多いため、話したりする機会はあった。ただ好きかと言われたら。そもそも好きって感情はどんなものだろう。仲良くはしたい。かと言って付き合うってなんだろう。このままの関係で充分楽しいのに。前回の望月のさ時もそうだ。今のままの関係ではなぜだめだったのだろう。この告白によって、関係性が変わってしまうなら、ない方がいいのに。向こうはそうではないのか。気持ちが通じ合うって難しい。ただ今はこの現実に立ち向かわなければならない。
「ごめんなさい」
「そっか。ごめんね。急に呼び出して」
「いや」
「他に好きな人がおると?」
「いや。ただ……」
「ただ?」
「自分でもよくわからんっちゃん。好きと言われて嬉しいけど。好きってなんかいなって」
「一緒にいて楽しいとか嬉しいとか」
「それって、付き合わなくても、楽しかったり嬉しかったりせん?」
「ん〜。また違う喜びがあるとよ」
「そっか」
「じゃあ私行くけん」
「ああ」
大村しおりは振り向いて、そのまま渡り廊下を進んだ。なんだか悪いことをした気分で落ち込んだ。もうこんな目に遭いたくない。明日からまた嫌がらせが続くのか。望月や大村のことを好意に思っている男子たちはムカついてしようがないだろうか。はたまたチャンスと思うだろうか。もう二度と戻らない今日があることを実感した。部活が始まっても身が入らない。休憩中に先輩に怒られ、帰れと言われる始末。それでもここで帰るわけにもいかず、対戦は禁止されたものの、ひたすら素振りをし、頭の中を真っ白にした。
「結城、今日も最悪な1日やったね」
「まじすかん」
「んで大村はどうやったと?」
「告白された」
「んで」
「もうわかっとるやろ。断った」
「かぁ。罪な男やね。望月に大村って、どんだけ贅沢なんだよ」
「そうやね」
「別にどっちかと付き合えばよかったやん」
「好きかどうかもわからんのに」
「何?好きじゃないと?」
「お前は?」
「あんな可愛い子と付き合えるとか最高やん。キスとか。胸も触れるかも。あー。」
「そんなもんか」
「お前は、ホモか」
「ホモ?」
「男が好きなんじゃね?」
「さぁ」
「そこは強く否定しぃよ」
「よくわからんちゃんね」
「男が好きか好きじゃないかはわかるやろチューしたいかしたくないか」
「ん〜」
「悩むとこかいな。とりあえず付き合えばよかったのに。まじもったいない」
結城のこんな拍子抜けな感じに夏井涼太は話しても無駄だと思っていた。校門を出ようとした時に、後ろから声をかけられた。中野だった。
「まだ残っとったと?」
「ちょっと図書室で調べもの」
「真面目、勉強しとよったん?」
「あらっ、夏井いたの?」
「おるよ。見えろーが」
「視界に入らなかったから」中野は目線を上にし、揶揄うように言った。
「お前、いい加減にしろよ」背の低い夏井は中野の目の前で視界に入るようにジャンプしてみせた。
「あっいた」
「んでこんな時間まで勉強?」
「いや、勉強じゃない」
「ふーん。」
「じゃあ結城また明日ね」
「うん」
「中野もバイバイ」
「迷子にならないように帰んなよ」
「幼稚園児じゃねっつーの。じゃあな」
校門を出て、夏井とは逆方向なので、そこで別れた。普通に中野と2人きりになった。とはいえ、みんな部活終わりで、帰宅ラッシュな為、男女2人で歩くと目立つ。まして、今日はバレー部に会いたくない。大村はバレー部で今日休んだか休んでないかにしろ、告白することは知ってるはずだ。それなのに、違う女子と歩いてるなんて、最悪な状況だ。まて、バレー部だけじゃない、陸上部。いや、望月、大村を知る全ての人に見られてはまずい状況。てかもう誰かしら見てるだろう。
「まずい状況だね」
「ああ」
「面白いことになるよ」
「もしかして、わざと?今日わざわざ帰り合わせたとか?」
「当たり前じゃない」
「どういう神経しとーと?」
「大丈夫。怒りの矛先は私にくるから」
「どういうこと」
「水曜昼休み後に見たでしょ。あれから、私のこと見てたでしょ。どう思った」
「違う。中野は関係ないのに」
「私が結城君と仲良くしてると勘違いして、嫌がらせをしてきた」
「見てて辛い」
「いや、助けられないでしょ。地味な嫌がらせだし。明日はエスカレートしてるよ。私が結城君と楽しそうにしてればしてるほど」
「なんの為に?」
「言ったでしょ。私、人の心理に興味があるの。どうして、いじめが発生するのか。あの日最初に嫌がらせをしてきたのは、大村さんの親友の鴫原さん。彼女、あの昼休み近くにいたの」
「えっ⁉︎」
「大村さんの為に結城の後をつけてきたんじゃなくて、鴫原さん、結城のこと好きだったの」
「???」
「鴫原さんは、結城が大村さんのことに興味がないことは分かってたから、別に焦ってはなかった。でも私が新たに現れた。心穏やかじゃなくなるわね。そこで、大村さんの恋路を邪魔する存在として、嫌がらせをし出すことにしたのよ」
「……」
「なんかおどろおどろしいね」
「何が楽しいと」
「結城がモテすぎて」
「……」
「うそうそ。人って、本心を隠して、勝手に違う理由づけして攻撃したり守ったりする姿を間近で見られるから、この中学校という狭い世界に集約されて勉強になるなと思って」
「どうしてそこまで」
「言ったでしょ。私変なの。まっ、とりあえず、あなたのモテ期はもうすぐ終わるはず」
「ほんとに」
「明日から見といて。乞うご期待。じゃあね」
喋るだけ喋って、別れ道でさっさと行ってしまった。彼女は異次元の世界に生きているようだった。本当に同級生なのだろうか。ただ不思議と心地よい空間を作ってくれる。これが好きってことなのだろうか。彼女のことを想いながら。まだまだ日中の熱を放出し続けるアスファルトの道をとぼとぼと帰った。




