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4 仮

 シミュレーション仮説とは『人類が生活しているこの世界はすべてシミュレートされた現実であるとする仮説』のことだ。

 我々はシミュレーションの中で生きている、とも言い換えられる。

 哲学者ニック・ボストロムが二〇〇三年、雑誌Philosophical Quarterly五十三巻、二百十一号に発表したAre You Living in a Computer Simulation?(投稿二〇〇二年七月、受領二〇〇六年十二月二十一日)に端を発する。

 我々がシミュレーションの中に生きているという可能性を追求した内容だが、ボストロムの主張を纏めると以下となる。

一 何らかの文明により人工意識を備えた個体群を含むコンピュータシミュレーションが構築される可能性がある。

 二 そのような文明は、そのようなシミュレーションを(娯楽、研究、その他の目的で)多数、例えば数十億個実行することもあるだろう。

三 シミュレーション内のシミュレートされた個体は彼らがシミュレーションの中にいると気づかず、単に彼らが『実世界』であると思っている世界で日常生活を送る。

ボストロムは上記が成立すれば、以下の二つで、どちらの可能性が高いか疑問が生じると主張する。

一 我々は、そのようなAIシミュレーションを開発する能力を手に入れた現実の宇宙の住人である。

二 我々は、そのような数十億のシミュレーションの中の一つの住人である。

ボストロムのその先の議論はわたしには良くわからないが、シミュレートされている人々はそれぞれに意識があり、その中には、シミュレーション外部からの参加者が混じっている、という。

またシミュレーションが多数実行されたと想定することが妥当ならば、そのようなシミュレーション内で更にシミュレーションが行われ、再帰的に派生するだろう、とも主張する。

よって我々が多数のシミュレーションのいずれかに存在しているか、現実の宇宙に存在しているかは不明であるが、可能性としてはシミュレーション内の方が確率的に高い……らしい。

 わたしには、この部分がわからない。

 単に、現実とシミュレーションの区別をつけない世界の数からの帰結なのだろうか。

なお上記は、星間通信可能な技術レベルに達した宇宙における知的種族数を与えるドレイクの方程式の値に大きく依存するらしい。

 適当と思われるパラメーターを入れ、ドレイクの方程式を解くと、人類以上に進んだ文明――今回の場合、高度なシミュレーテッドリアリティを構築できる文明――が存在するという結果が得られる。

 現実の宇宙とシミュレートされた宇宙すべての解の平均値が一以上であれば、高度な文明が歴史上必ず存在するというという解が導かれ、そのような文明がシミュレーションを行う意志を持っていれば平均的な文明がシミュレーション内にある可能性が非常に高くなる……ようだ。

 シミュレーション仮説は遡れば数学的現実主義(数学的プラトン主義)やデカルトの思想に行きつく。

 一見、新しいようだが根は古い考え方なのだ。

 もちろんシミュレーション仮説に反対する人も多くいる。

 二〇〇七年現在の話だが、分子動力学に要する計算能力は世界最高速のコンピュータを数ヶ月使い、蛋白質の一つの分子の動きを〇・一秒程度シミュレートできるレベルなのだ。

 だから、知的生命体をシミュレートできるコンピュータなど夢のまた夢……ということだ。

 が、現代の感覚でシミュレートされた現実の可能性を論じることは間違いとも言われる。

『充分に発達した科学技術は魔法と見分けが付かない』というクラークの法則もある。

 よってシミュレーション仮説が一概に退けられない。

 わたしがシミュレーション仮説に興味を惹かれた主要因はくじの記事だ。

 奇跡のくじの記事に目を奪われたのが、わたしには偶然とは思えない。

 まさかとは思うが、今朝からの感覚異常が結びつくのか。

 それとも単なる偶然か。

 自分がシミュレーション内の産物であると感じるのは薄気味悪いが、現実と見分けがつかなければ区別しようがない。

 が、その区別が自転車や酒匂くんの瞬時の消失というシミュレーション側のバグでつくとなると……。

 けれども単なる気の迷いで済ませた方がわたしの精神には負担がない。

 実際会社に着く前に、わたしを襲ったねっとり感が消えている。

 電車内で既に薄かった感じだ。

 やがて会社に着き、PCを立ち上げ、ネット記事を読んで愕然とするが、ねっとり感は戻らない。

 いつもの会社の空気なのだ。

 ……とすると。

「高野さん、相変わらず早いね」

「末次さんには負けますけどね」

 給湯室でお湯が沸くのを待っていると先輩社員から声をかけられる。

 現在は営業が主な仕事だが、元はプログラマーだった人だ。

「末次さんだったら、自分がプラグラム中の人格だと気づいたら、どう思われますか」 

わたしが図らずも、そう質問すると、

「そういえば、そんな映画があったな」

 という返事。

「『マトリックス』ですか」

「いや、もっと地味な映画で『13F』だ。公開は『マトリックス』同じ一九九九年だが……」

「そうですか。で、内容は……」

「バーチャルリアリティの研究をしている主人公がコンピュータ内に一九三七年のロサンゼルスを再現しようと研究している。そんな彼がある朝目覚めると手元に血まみれのシャツがあり、自身の記憶も曖昧だ。そこへ彼の上司が何者かによって殺害されたという報が入り、アリバイがなかった彼が容疑者になってしまう。後はDVDでも見るんだな」

「そうします」

「しかし高野さんは何だって急にバーチャルリアリティの話を……」

 末次さんが訪ねるので、わたしはくじの確率の話をする

 一通り聞き終えると、

「ランダムシードの問題かな」

 と末次さんが言う。

「あるいは疑似乱数生成器自体か、その使い方が悪いんじゃないかな」

「……と言いますと」

「コンピュータは計算機だから本当の乱数が作れないということはわかるね」

「はい。一応わたしも理系ですから……」

「だから疑似乱数を生成するプログラムが必要だ。それを擬似乱数生成器と呼ぶ。その擬似乱数生成器にランダムシードと呼ばれる乱数のも元になる数列を入力すると、疑似乱数が出力する」

「ああ、そういうこと……」

「つまりランダムシードが適当なものでなければ、くじの結果が異常になるということだ。くじに必要な乱数だから、それぞれのくじの購入者を区別できるランダムシードが必要だ。例えば単に購入時間だけを元にしてランダムシード作成すると翌日の同じ時間にくじを購入した者が同じ同じ結果を買うことになる」


参考:不倒城 レトロゲームと、その他色々

http://mubou.seesaa.net/article/447207389.html



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