神はカラクリ
(中略)
その天使が目覚めたのは〈災厄〉から八年後だった。
天使は本来、〈災厄〉から十三年後に目を覚ますはずだった。あらたな主がそのように定めておいでだったからだ。しかし天使は主を心配しておいでだった。それで、予定よりもはやくに目を覚ました。
彼女が主の力を疑っていた訳ではない。緑と紫の彼女、数多の目は主に忠実だ。主の計画よりもはやくに目を覚ましたことを除けば。
我ら人間は主のお導きで天の国を地上に築いている。主の御力で我ら選ばれし民は庇護されている。水があり、食糧があり、寝床がある。男が居て、女が居て、家族がある。老人達は大切にされ、子ども達は慈しまれている。
(中略)
これは主との約束である。
主は我らが争うことをよしとされない。
主は我らの数が減るのを厭うておいでだ。
主は我らを庇護し、そのかわりに我らの祈りを求める。
(中略)
・
「パトリック?」
コニーはうんざりしながら呼びかけた。あの子は一体どこに居るのだろう? 心配ばかりさせて。
コニーが居るのは(そして彼女の仲間が居るのは)ラスヴェガスという街だったところだ。
二〇〇八年に戦争がばかげた終結を迎えて以来、華やかだった街は見る影もない。きらめいていたネオンは消えてしまったし、金をチップに替えて胴元に献上しようとしているばかな人間達も姿を消した。
ただ、カジノというのはなにに備えていたのか、やけに頑丈なつくりである。建物の幾つかは原形をとどめており、彼女やパトリックはそのうちのひとつを家にしていた。その建物は地下にシェルターがあり、コールドスリープに似た状態をつくりだす機械が設置されている。
「パトリック、はやく出てきなさい」
コールドスリープは試験的に運用されていた、まだ未熟な技術だった。その為、使用していいのは死体だけだった。生きている人間を眠らせるのは御法度だったのだ。コールドスリープしたい人間は、遺言にこう書けばよかった。「自分の死体を凍らせろ」。コールドスリープを研究していた団体が喜び勇んで死体をもらいに来る。当時の法律では、それは可能だった。
しかしその技術はコニー達にはごく身近で、実用的なものだった。
・
数多の目は主を支え、我らの暮らしをより一層豊かで実りあるものにしてくださった。緑と紫の彼女は我らにあらたなものを与えた。あらたな光とあらたな水だ。彼女は主とともに永遠に称えられるべきである。その目が開かれている限り我らには光があり、我らの子孫には栄誉が授けられる。
・
コニーは(そして仲間も)単なる人間ではない。
かつて「父」と仰いだ男は、コニーらを「子ども達」と呼んでいた。彼の持ちものである子ども、彼の自由に出来る子どもという意味だ。
コニーは(仲間達は)「改良」されていた。よりよい人間、より強い人間、より賢い人間をつくる為の改良だ。
ひとつとして同じ改良はない。ある者は手を刃ものに変えられ、十五㎝の鋼板でも切り裂いた。ある者は光に干渉して透明になるようになった。ある者はなにも持たなくても仲間達と連絡をとれるようになった。
それらはすべて、膨大なエネルギーをとりだすことの出来る「ユニ」という鉱石が見付かったことに端を発している。
コニーもまた改良されている。その体のなかにはユニ炉がふたつあった。
ひとつは「父」の指示でつけられたもの。
もうひとつは、あのばかばかしい空騒ぎ、くだらない戦争の後、放浪(または逃亡)の日々のなかで死んでしまった仲間からとりはずしたものだ。
壊れていないから誰かが体のなかに仕舞いこんでおくべきだとパトリックが云った。貴重なエネルギー源だし、へたに扱うと爆発してしまうから。体内に余裕のあったコニーがそれを請け負った。
パトリックは優しすぎるとコニーは思っている。
エネルギー源だからというのは建前に過ぎない。
彼は人間に危害を加える可能性があるから炉を回収した。
人間の手で改良され、人間ではなくなってしまったのに。
・
(中略)
主は嘆いておいでだった。
戦いによって我らが傷付き、数を減らした、そのことを哀しまれた。
・
コニーは積み重なったがれきをのぼっていく。
街の一角は完全に崩れていたが、パトリックはそこを片付けようとしない。彼の悪い癖だわ、とコニーは思う。賢くてなんでも知っている筈のパトリックは、どういう訳だか片付けの方法だけは知らないらしい。もしくは、知っていてもやろうとしていない。
コニーがコールドスリープの装置にはいり、単なる人間では不可能な眠り、体内の炉と装置とを同期させてから眠るという荒技を成し遂げたあと、パトリックはパトリックで相当な仕事をしていた。コニーはそれを見ることが出来なかったのは残念に思っている。どうせなら、すぐに起きたかった。
コニーは十年眠る予定だった。パトリックがそう決めたからだ。彼には権限が与えられていた。チームのリーダーとしての権限だ。
それを与えた「父」は彼が殺してしまったが、だからといって彼がリーダーでなくなる訳ではなかった。
コニーは眠りにはいって五年足らずで目を覚ました。装置が誤作動したのだ。かすかな地震で、彼女のはいっていた装置だけ蓋が開いてしまった。
そう、彼女以外も装置にはいっていた。起きていたのは彼だけだ。人道的で博愛主義のパトリック。わたし達のボス。
「パトリック、食事をとって」
がれきの一番上から、半分倒れずに残っている建物へとびうつる。みつあみにした髪が肩より前へ垂れ、片手で払いのけた。コニーの髪は、生えてすぐは淡い緑をしていて、段々と白っぽくなり、最後には淡い紫に変わる。だから、頭の上のほうは緑だが、毛先は紫だった。それは改良の副作用だ。
パトリックはそこで、夕日を眺めているらしかった。改良された彼は、直射日光程度で目をどうにかしたりはしない。
パトリックは食事を拒否したいようだった。彼らしいことだ。改良されているから食事はとらなくてもいい、炉から永久にエネルギーが供給されると、彼はそう云いたいのだろう。コニーだってそれはわかっている。
しかし食事ほど人間らしい行為があるだろうか?
コニーはパトリックが座っている、かつて窓だったと覚しいところ、その傍まで行った。「ハイ、気分はどう?」
「まあまあだよ」
パトリックはやわらかい声で応じた。コニーは頷く。
・
主は数多の目を信頼し、我らの治療を任された。
(中略)
・
コニーはまくれあがっていた袖をもとに戻す。余計な電力が必要だったから、自分の炉からエネルギーをとりだしたのだ。パトリックの炉でまかなっているここの電力は、最近コニーの炉もつながれて、街は夜でも明るくなっている。勿論、ネオンなんてものはないけれど。
「怪我人は?」
パトリックの声にその瞬間、反応できず、コニーはしばし黙った。
それから云う。「ああ……ふたり、死んでしまったわ」
「そうか」
パトリックの言葉には無念さがにじんでいる。
彼らが死んだからなんだというのだろう?
地球を破壊しようとしてきた彼らが死んだからといって。
コニーはなにも云わなかった。パトリックにはコニーの反発がわかったのだろう。彼はかすかにコニーへ顔を向け、静かな声を出した。
「僕らはこれ以上欠けるべきではないよ」
それには同意見だ。しかし、コニーとパトリックの「我々」には差異があった。彼の「僕ら」は普通の人間を含み、コニーの「わたし達」には改良された子ども達しか含まれない。
コニーはパトリックの隣に腰掛ける。外へ脚を出してぶらつかせ、目を閉じた。コニーの左目は特別製だ。衛生担当、機械の修理担当として改良されたコニーは、相手を見るだけで診察が出来る。それを、人間達はどう勘違いしたか、コニーに「数多の目」というあだなをつけた。
なんでもお見通しの目は反面、強すぎる光や色の氾濫には弱かった。自分で徐々に改良しているが、まだ完成ではない。
「あのひと達を改良したら?」
コニーは目を瞑ったまま云う。「体のなかに炉をいれるのじゃなく、充電式にしたらいいわよ」
パトリックは答えない。彼が自分に賛同しないことは、コニーは知っている。
コニーはあたたかすぎる日光を浴びている。
「ヘザーはなんて?」
「あまりよくないって」パトリックはささやく。「わかってたことさ」
そうねとコニーは応じた。
二〇〇八年、ばかばかしい戦争があり、地球人類はそのほとんどが死んでしまった。爆弾で死ななかった人間は、汚染された水で死んだ。それでも死ななければ、日光で焼かれた。
パトリックは、重大な破局を招いた人間達、無責任に地球から搾取し続けた人間達を、助けようとしている。
わたし達を改良した人間達を。
コニーは片膝を抱える。
「人間が居なくなってもデータだけはとられ続ける」
「そうね。ユニは枯渇しない。夢のエネルギーだもの」
人間達はどうして、それを平和的に利用できなかったのだろう。解決すべきことは沢山あった。食糧問題、温暖化、増え続けるごみ。
人間がやったのは、ユニを爆弾にすること、ユニ炉を埋め込んだ改良人間をつくること、ユニをつかって覇権を争うことだった。
ヘザーはパトリックほか数人、それに人工衛星や各地のコンピュータと、接続されている。ヘザーもつい先日、誤って装置から飛びだした。散発的に起こっている地震が原因だ。
ヘザーが起きたのは予定外だったが、パトリックはそれを喜んだ。彼女なら、誰も観測しなくなっても炉の力で永遠に地球のまわりを飛びまわり続ける人工衛星に、アクセスできるからだ。
結果はパトリックの思っていたよりも悪かった。
ハリケーンも大雪も、隆盛だ。ここはたまたまましなだけで、各地では大きな被害を出していた。
人間が百分の一だか千分の一だか、それとも万分の一だか、全盛期からは考えられないくらいに数を減らしていても、簡単にもとに戻らないくらいに地球は壊れていたのだ。
「あなたに供物を捧げれば、気温を下げてくれると思っているひとが居るわ」
「思わせておけばいい」
コニーはパトリックを見る。
彼は沈みゆく太陽を見ている。今日の最高気温は幾らだった? すべてをおしながすみたいな雨は、今年にはいって何十回降った?
「パトリック」コニーは頭を振る。「よくないことだと思う。彼ら今に、自分の赤ん坊を殺そうとする」
パトリックの目は潤んでいた。改良されていても、涙は流れる。
「コニー?」
「ええ」
「僕はいつかやるよ。もとに戻す」
パトリックの頬には血がついていた。
今日、パトリックが庇護している連中を殺しに、別の場所から暇人どもがやってきたのだ。彼は戦った。コニーも戦った。コニーは改良された人間のなかではまったく、お話にならない弱さだが、普通の人間相手ならばなんでもない。
地球を破壊し、破滅を招いた自業自得の人間達を、パトリックはそれでも助けようとしている。パトリックを神さまだと考え、現実逃避しているあんなやつら、どうして助けるんだろう。
「戻す? なにを?」
「地球だよ。人間が病気を殺そうとするみたいに、地球が人間を殺そうとしているから」
パトリックは建物から飛び降りた。コニーも続く。「パトリック?」
「もうそろそろ、ジルが目を覚ますね」
「ええ」
もう先程までの話題は打ち切り、ということだろう。パトリックはそれ以上、地球の現状については語らなかった。「ジルはここを見て、なんて云うかな」
「あの子は感激屋だから、綺麗ねって喜ぶわ。それに、あなたが二十年近く休まずに稼働してることを怒るでしょうね」
「ジルを怒らせたくはない」
「そうでしょうとも」
「コニー?」
「ええ」
先にたって歩いていたコニーは、パトリックを振り返った。
「僕のやっていることは、無駄なんだろうか」
「わたしにはわからないわ、パトリック」
「僕は、人間に、余計な希望を抱かせているのかな」
「どうかしら」
「人間が滅んでも、地球はもうどうしようもないと思うんだ」
「パトリック」
「だから僕は、自分の責任として、せめて地球をもとに戻してから」
・
(中略)
〈災厄〉から十八年後、あらたな天使が目を覚ました。
異形の天使は主の尖兵であった。その腕はむっつあり、主の敵を打ち、刺し、切り、殴り、滅ぼした。
(中略)
・
それをどうしてあなたが背負うの?
あなたに責任はないか、あるとしてもごくわずかじゃないの。
あなたは愚かな人間達の欲望の為に、決して死なず負けない兵士になるように改良されたのよ。
どうしてそんな愚か者が政府の中枢でのさばることを許容していたこの国の国民達の為に働くの。
コニーは口から飛び出しそうになった言葉を、苦労してのみこんだ。
パトリックはなんと云ったって、犠牲になるだろう。
自分が、自分達がそれを手伝うだろう。
仲間を見捨てることは出来ない。
同族で争う人間とは違う。
コニーは頷いた。