▽北のサキュバスのお願い▽
全長5cm。体重11g。2頭身のその姿は愛らしいとも言えるだろう。顔とレンズのサイズが同じくらいの大きなめがねは恐らくチャームポイント。柔らかそうな体の腹と思われる部分には動物のような色の違う部分がある。体毛はない、いや申し訳程度の髪の毛が頭に見られる。
この姿は人間が、一部の人間がいらない部分を捨てて、進化し、成長したモノだ。
そんな人間とも言えない生物がひとつ、新たにこの地に命を灯した。
「おはよう。あなたすごいわねぇこんなトコに生まれるなんて。」
こんな、サキュバスの洞窟に人間モドキが生まれるなんて。と付け足した女性に生物は目を見開いた。
「ア、アァ……アアア!?」
「アハ、元気ねぇ。オネーサンと遊びたいの?l
生まれて初めて声を上げた生物を愛おしそうに見つめる女性。露出度が高い訳ではないが色気がとてつもなく、頭がくらくらするほどの甘い香りに、耳を撫でる声すらも脳みそを直接刺激してくる。これは、この姿は間違いなくサキュバスだと確信した。
性別すらもわからない生物だが確実に混乱していた。まずこんな場所に用はないので早速逃げ出そうとする、も例のサキュバスによって行動権は奪われた。5cmの体は呆気なく柔らかな手に掴まれてしまい、サキュバスの顔の目の前まで持っていかれる。ついにバッチリ合った視線。紫色の瞳はなんとも魅惑的だ。
「……ボースー、人間モドキくん生まれたよ〜」
「ウ!?アー!アー!」
もぞもぞと動くも力は敵わない。さらに紫色の瞳のサキュバスの奥から全体的に青い背の低い女の子が出てきた。サキュバスがボス、と呼ぶからには彼女もサキュバスなのだろう。ショートカットの毛先は少し青く、鎖骨の間の少し下にはハートと矢印が交差したような刺青が見られる。
「こんにちは、はじめまして。ボクは北のサキュバスの長のフユだよ。人間モドキくん、言葉は話せるかな?」
「ウ、しゃべ、れる…。でも、はなす、にがて」
その見た目に見合った動物の鳴き声のような声。拙い喋り方に目の前の2人のサキュバスは嬉しそうに笑った。
「いいね、かわいい。うん、かわいいね」
「ボス、ホントにコイツでいいの?どう見てもそうは見えないけどさぁ」
「さきゅばす、ことば、むずかしい…」
しゅん、と少ししょげる生物を、今度はフユと名乗ったサキュバスが生物の体を掴んだ。本当に生きているか疑うほどの体温の低さに体をびくりと動かす。薄い手袋越しに細い指に力が込められた。
「人間モドキくん、知ってる?君はね、とっても強いんだ」
冬の景色を詰め込んだみたいな薄い、青い瞳が真っ直ぐ生物を見つめる。
「キミはね、色々できるんだよ。だからちょっと希少だし売ったらすごいお金になるけど……。まあそんな人間モドキくんにお願いがあるんだけどね。ボクと一緒に遠い南まで旅行に行かない?」
煌めいた瞳が、生物の心臓を撃ち抜く。辺りの甘い空気は今にも冷たく凍りつきそうなほどの物に変わっていた。恐らく北のサキュバスの力とやらだろう。生物は南への旅行、という魅惑的な言葉に目を輝かせた。
「南のサキュバスに用事があってね。ボクが直接行かないとどうにもならなくて、でもボクはサキュバスだし変な人に襲われちゃうかもしれないでしょう?それなのに戦闘には向いてないし…。あんまり他のサキュバスを連れて行くとまた変な輩が寄ってくるかもしれない。たった今生まれた、何も知らないキミにしかできないお願いなんだ。聞いてくれない?」
サキュバスならではの、甘い誘惑。「叶えてくれたらお礼になんでもしてあげるから」と最後のひと押しが軽く聞こえるのは彼女がサキュバスだからだろう。
「ふゆ、と南、いきたい」
本当!と笑った彼女はサキュバスらしくない子供のような笑顔を見せたそうな。