79 エピローグ
次の週の日曜日。私の父と龍君のお父さん、私、龍君、透、志崎君、咲月ちゃん、雪絵ちゃん、沢野君、川北さんで海に来ていた。
行きは龍君のお父さんの車に私、龍君、志崎君、透が乗って、私の父の車に咲月ちゃん、雪絵ちゃん、沢野君、川北さんが乗った。
着いたのは前回も釣りに来た場所。あの日は志崎君に振られたり前の人生の記憶を思い出したりで大変だったなぁ。当時のいっぱいいっぱいだった自分を振り返って苦笑が漏れる。
今もちょっと困った事になっているけど。……いやすごく困っている。
今日は防波堤まで行かずにもっと手前の方で釣るらしい。子供たちの人数も多いし、こっちの方がトイレにも近くて目が届きやすい。
透が私の前を通り過ぎ、海へ向かい走って行く。少しだけあった段差によろけているのが見え、ヒヤッとした。
「透!」
走って行って後ろから彼の肩を押さえた。
透は私を見上げて、道端で猫を見つけた時のような顔で笑った。
「ありがとう、由利ちゃん」
……彼は動物の中で一番、猫が好きだった。小学校の帰り道で猫を見つけては追いかけて、彼に捕まった猫はこねくり回されていた。
透の背負う小さめのリュックに私があげた修学旅行のお土産、蟹のキーホルダーが揺れている。透が歩く度に小さく鈴が鳴る。
今日、ここへ皆で来たのには目的がある。何なら、さっきまで座っていた座席の位置にも意味があった。
海に近い所にあった、車止めのような段差の上に彼は腰を下ろした。右膝を抱えて海を見ている後ろ姿に呼びかける。
「透」
傍へ行くと、彼はこっちを見ないまま返事をした。
「何?」
修学旅行中に思い出した一度目の人生での記憶。彼は眠りかけていた私に大事な話をしていた。私は……それを憶えていた。
色々聞きたい事はあるけど多分、聞いてはいけない事だと察していた。
恐らく『規約』に『違反』するのではないだろうか。
「……鈴谷さんの所へ行かなくていいの?」
やっと彼はこちらを見た。困ったような表情で少しだけ笑っている。
今度は私が、下を向いて視線を外した。
「全く君たちは……」
透が呆れたように溜め息をつく気配が聞こえる。
修学旅行で龍君を追いかけて海へ行ったあの日。目を覚ました後。
……龍君がいつもと違っていた。
何が違うのか最初はよく分からなかったけど、態度が、眼差しが、口調が。それらから何というか……温かさみたいなものが消えていた。
私、何か嫌われるような事したのかな?
一生懸命考えたけど、有力な答えは浮かばなかった。
「未神石のせいで龍君の中の私の記憶がなくなってしまったのかな?」
涙目になりながら小学二年生に助けを求めている情けない現実。
「それはないんじゃないかなぁ? だって君ら『却下』されたんでしょ?」
修学旅行後、透には事の次第を相談していた。未神石についてくらいだったら話しても大丈夫そうだった。
「じゃあ……」
私は言いかけてやめた。思い付く可能性があった。『規約違反』の可能性。あの修学旅行先の海で意識がなくなる前、龍君は際どい話をしていたようにも思う。
「『規約違反』のペナルティ……?」
「しっ!」
透が人差し指を立てた。
「『あいつ』は結構、地獄耳だから気を付けて! ……もしそうなら妙な点がある。『プレイヤー』の『推測』くらいじゃペナルティにはならないと思う。『あいつ』と何か取引したのかもしれない」
「『あいつ』って……?」
私が尋ねると透は更に声を潜めた。
「ボクが『マスター』なのは知ってるでしょ? その事については『人形』から報告があった。ボクの思考を元に創った部下……『人形』には未神石の番人をさせている。一度目の人生が始まる前に未神石とリンクさせこの地に設置していた。『マスター』にはそれぞれ役割があって。学生でいうところの図書委員とか美化委員みたいな。ボクは未神石の委員みたいなものなんだ」
透の言う『人形』って、あの夜の海で遭遇した『響き』の主の事だよね。なるほど……何となく喋り方とか雰囲気が透と似てたようにも思える。
それにしても。透はこんなに喋ってしまって大丈夫なのだろうか?
内心ハラハラしていると透は見透かしたように笑った。
「一度知って大丈夫だった事にペナルティはないんじゃないかな。君は特に未神石を使って普通じゃないから、『上』から大目に見られているのかもね」
『上』って何だろう。透に部下がいるって事は、上司もいるって事かもしれない。
「役割を持った『マスター』はボクだけじゃない。今回の件に関わっていそうな『あいつ』は『監視役』でもあるから厄介だ、おっと……」
透が急に口を噤んだので後方を振り向くと、トイレへ行っていたり飲み物を買いに行ったりしていた他の友人たちが公園の辺りからぞろぞろこちらへ歩いて来ているのが見えた。
「透、色々と協力してくれてありがとう。今日、龍君が元の龍君に戻らなくても私、諦めずに頑張ってみる」
何日か前、学校で友人らと解決策を話し合っていた。以前、志崎君も交えて釣りに行った時みたいなシチュエーションになったら何か思い出すかも? という案が出て今日ここへ来たのだ。何故か参加者が多くなったけど。……皆、海に来たかっただけじゃないよね?
空元気を出してこぶしを握って見せた私に、透は目を細めて首を少し傾げた。
「あれ? この人生ではボクと結婚しないつもりなの? 君がフラフラしていても、優しいボクは待っててあげるよ? でもあんまり長く待たされたら退屈だし、攫いに行くかも」
そう言って彼は私の後方に視線を向けた。私も振り返る。皆が十メートルくらい離れた所まで来ている。ヤバい。規約に触れそうな会話を聞かれたらまずいかも。
もしかしたらこのメンバーの中に監視役の『マスター』がいるかもしれない。透も警戒している感じがするし。
「由利ちゃん!」
鈴の音がして手を引っ張られた。急いたような口調で透が言う。
「一度目の人生で君が……君が抱きしめてくれた事があって。……憶えてないかもしれないけど。ボクはずっと憶えてるから」
私の右手が、透の両手に包まれている。
当時私は認知症だったけど、その日の事は死ぬ時まで忘れなかった。
あの日病室で、透が大切な秘密を打ち明けてくれた時。
身を起こして彼を、力の限り抱きしめた。
そうしたかったから。
これから幾許かの年月、何にも力になれないだろう。逆にお世話になるばかりという事も分かっていたけど。
彼と結婚してよかったと泣いた。
愛する人たちと巡り会えたこの時を、大切に生きていこう。
物語には続きがありますが、一旦ここで区切りをつけたいと思います。読んでくださった皆様、応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。恥ずかしながら初めて完結した長編小説に感無量です。
*続編的小説の連載を始めました。「未完成な運命は仮初の星で出逢う」というタイトルです。(2023.3.14追記)(←現在連載休止中です。2024.8.30追記)
追記20248.30
「私の前を海へ向かって走る透」を「透が私の前を通り過ぎ、海へ向かい走って行く」に修正しました。
「透」を削除、「彼は」を追加しました。
「が聞こえる」を追加しました。




