死神の華
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――――――――――
一輪の白い花だけが残っていた。
甘く爽やかな香りを放つその花は、とても美しく、寂しげで、何かを伝えようと必死に咲いていた。
***
『葬送華』。
いつからか、人が死ぬとその人の身体から芽が出、そして肉体を養分にするかのように花が咲くようになった。残るのは、衣服と装飾品のみ。肉片も、骨も全て花が生長するために吸い取られ、跡形もなくなる。遺族は、悲しむ暇も、惜しむ暇も無く、ただ残った一輪の花を見て、泣くことしかできなかった。
そう、世界が変わり葬儀屋や火葬業は衰退していった。骨は残らずとも、墓を建てたいと願う遺族がいたため、全てが全て無くなったわけでは無いが、葬儀関係に金がいらなくなったと、新聞でもニュースでも広く報じられた。
死人が残すのは、一輪の花だけ。その一輪の花さえも時がたつと枯れ、腐敗し地に戻った。その死人に生える、咲く花のことを人々は「葬送華」と呼んだ。
人の身体を養分として咲く葬送華は、店先に並ぶどんな花よりも美しく、異質で異様で、葬送華を裏で売買する組織なんかもうまれた。葬送華は高値で取引されるのだ。また、一般人が葬送華を上手く育てられるはずもなく、三日ともたずして枯れてしまう。
葬送華は未だ謎に包まれている。
何故、突如死人が花に変化するのか。葬送華は何を意味するのか。
人によって、咲く花は違う。ある専門家は、家紋だといった。ある専門家はその人が好きな花だといった。ある専門家は、うまれた土地で咲いていた花だといった。でも、どれもただの仮説であり、正しいことは何もわかっていない。
そんな葬送華は、いつの間にか私達の世界の「あたりまえ」になっていった。
***
誰もいない通学路。黒い野良猫に横切られ、縁起が悪いなあと苦笑しながら私は重い足取りで歩いていた。
先月、お父さんが交通事故で亡くなった。轢き逃げで、まだ犯人は捕まっていない。
その日は、お父さんとお母さんと外食の帰り道だった。まだ明るい人通りの多い道を歩いていた。信号は確か青だった。白線の上を歩いていると、急にカーブから飛び出してきた。あちら側は、まだ赤信号だったと思う。目の前に迫ったトラック、白い光に目が眩み私はその場を動けなかった。そんなとき、ドンと、私の身体を誰かが横から押した。「危ない」と。それがお父さんだった。
気がついたとき私は道路の端で倒れていた。そして、真っ先に目に飛び込んできたのは、血だらけのお父さんを、私はただ呆然とみることしかできなかった。お母さんの悲鳴が遠くから聞え、救急車のサイレンの音が近づいてきた。
私は、立ち上がることが出来ず地面を這いながらお父さんに近づいた。もう少しで救急車がきてくれるはず、助かる、大丈夫。お父さんは助かる。と心の中で何度も唱えた。だけど、お父さんにあとちょっとで手が届きそうだった時、気付いてしまった。
お父さんの胸のあたりから『芽』が出ていることに。
そして、その芽はだんだんと大きくなっていく。あたりに散らばった父の血は吸い上げられるように引いていき、芽は生長しやがて白い花が咲いた。一メートル近くあるその花は、今まで見てきたどんな花よりも美しく、大きく、綺麗だった。
「いや、いやよ」
そんな擦れた声が聞え、私はふと顔を上げた。そこには、涙で顔がぐちゃぐちゃになったお母さんがいた。化粧が全て涙で落ち、顔は黒く茶色くなっていた。
お母さんは白い花とお父さんの衣服を抱締め泣いていた。周りの野次馬達もぞろぞろと集まってきて、やっと到着した救急車のサイレンはお母さんの叫びと共鳴するかのようにけたたましく鳴っていた。
私は、そんな周りの悲しみや同情の涙よりもなにより、お父さんの残したあの花に心を奪われていた。
「ただいま」
暗い部屋に響く私の声。不用心にも、家の鍵は開いていた。多分お母さんだろう。
お父さんが死んでから、お母さんは仕事を休み家に引きこもっている。洗濯も料理も何も出来なくなってしまった。ただ、「あーあー」と言うばかりで、完全に思考が停止してしまっているようだった。そんなお母さんの面倒を見ながら、学校に行き、バイトもいれ生活している。植物人間のようなお母さんを見るたび胸が痛む。
お母さんは、明るくて優しい人だった。でも、その面影はもう無い。お父さんの残した花を抱締め涙を流し続けている。お母さんの涙を浴びるたびに、花はよりいっそ綺麗に見え、その花弁は宝石のように輝いていた。
葬送華。
本屋で、葬送華を育てる方法が載っている本をあらかた買ってきて、色々試しているが、どれも信用出来ず本棚に入れっぱなしである。きっと、お父さんの葬送華が枯れてしまえば、お母さんは本当に壊れてしまうと思ったから。
また、それとは別に私がお父さんの葬送華をずっと見ていたかったから。私は花が大好きだし、いつか自分の花屋を開きたいとおもっているから。学校の部活も華道部だ。花に沢山触れてきた私だったけど、お父さんの葬送華はこれまで見たどの花よりも綺麗だった。心が惹き付けられた。魅了された。葬送華は芸術品だ、宝石異常の価値があるなんていわれているけど、まさにその通りだと私は思う。
お父さんの葬送華は、かすみ草だった。見慣れたその花ですら、美しいと思うのだからやっぱり葬送華は他の花とは違うのだろう。
「お母さん、帰ったよー」
いつも通り返事は無い。でも、少しだけほんの少しだけ期待しているのだ、お母さんが前みたいに「おかえりなさい」っていってくれることを。もうあの頃に戻れないのかも知れないけれど。
私は、靴を脱ぎお母さんがいつも居る部屋に向かった。お父さんのうつった家族写真の前で、いつもならお母さんは泣いているから。顔を見に行こうと、私は部屋のドアを開けた。
ドサッ。
「お…かあ、さん?」
肩にさげていた鞄が落ちると同時に、私は膝から崩れ落ちた。信じられない光景が、頭はまだ追いついていない、現実を受け入れられない。
天井からつり下げられたロープ。倒れた椅子。手足がぶらん、ぶらんと揺れているお母さんの身体。
「お母さん、おかあさんッ!」
弾かれたように、遠くなっていた意識が戻ってき、私はお母さんに駆け寄った。手に握られていたかすみ草はゆっくりと床に落ち、そしてロープをどうにかしようとした瞬間するりと、お母さんの衣服が落ちてきた。その衣服をぎゅっと抱締め、私は声にならない悲鳴を上げた。
倒れた椅子に、白い一輪の花が突き刺さっていた。
「なんで、なんで、なんで、なんで!なんで!」
部屋に広がる林檎のような甘い香り。私の両脇に美しく咲く白い花。その花が、泣かないでとでも言うかのように、慰めの言葉を紡ぐかのように揺れていた。
もっと早く帰ってこれば、帰るのが辛い、お母さんの顔を見るのが辛いからって寄り道しなければ、もっともっと早く気付いていれば、もっと寄り添っていれば。
お母さんは死んだ。自殺だった。
お母さんのことだ、自殺なんてしないだろうって心の何処かで思っていた。いつか、立ち直ってお父さんの分まで生きるって笑顔を見せてくれると思っていた。
でも――――、
「何で死んじゃったの、なんで。私が嫌いだったの?お父さんに助けられて、生きている私が憎かったの、見てて辛かったの?ねえ、なんで、死んじゃったの」
上手く呼吸が出来ない肺で、ひくつく喉から声を絞り出した。叫んだ。
とりとめも無く溢れてくる言葉。謝罪と後悔と。お父さんが死んでから泣いていなかった私が、何も言わずに心の中でとどめていた言葉が溢れ出した。
甘い香りが鬱陶しい。
お母さんの衣服に顔を埋め、泣いて、泣いて、泣いた。
無力な自分に、何も出来なかった自分に、生きている自分に嫌気がさした。
祖父と祖母はもう他界しているし、親戚とは仲が良くなく絶縁関係であるし、私はひとりぼっちだ。これからどうやって生きていけば良いっていうの。
私は、天井からつるされたロープを見た。
自然と倒れた椅子に手が伸びていた。そこで、椅子に刺さっていた、お母さんの葬送華が目にとまった。林檎のような甘い香りは、お母さんの葬送華のものだったのだ。
「…私が死んだら、どんな花が咲くんだろう」
思い浮かんだのはそんなちっぽけな事だった。
椅子を立て直し、両手にお父さんとお母さんの葬送華を握り、私はロープの縁をそっと撫でた。
お父さんもお母さんも白い花だから、私も白色いかな……
「今、いくよ」
ロープに首を通し一歩前に踏み出す。ただ、それだけ―、
「わ!葬送華が二本あるなんてついてるなぁ!」
飛んできた場違いな声に思わず私は、ロープを引っ張ってしまった。ブチっと音をたてロープは引きちぎれ、私は椅子から落ちてしまった。
「いたた…」
タンスに頭をぶつけ、私はくらくらする視界の中場違いな声の主を探した。
「三本目。って、君まだ生きてるんだ」
手が触れた。
葬送華を握っている手の方だ。誰かが、私の手に触れた。その言葉の意味を理解した私は、ぎゅっと葬送華を握りしめた。
葬送華を売買する裏組織のことが頭をよぎったからだ。
先ほどまで、死のうとしていたのに、それでもお父さんとお母さんの葬送華が他の誰かの手に渡るのが嫌だった。私は、ギッと声の主を睨んだ。
「あーあ、そんな睨まない、睨まない。それ、君の大切なものなんでしょ」
くらくらしていた視界がパッと戻ってき、私は瞬きをした。横に倒れた私の顔をのぞき込んでいたのは、白い髪に金色の瞳をもった男だった。男は、ニッコリ笑うと黒手袋を付けた両手を挙げ、私から距離を取った。
よっこいしょと、身体を起こし私はもう一度目を擦り男を見た。金色の瞳と目が合う。
「貴方は、誰?葬送華を売買しているって言う、裏組織の人?」
思わず聞いてしまった。もっと、違う聞き方だってあったはず。しかし、頭が回らなかったため、凄く幼稚な、危険な聞き方をしてしまった。
男は、顎に手を当て悩む素振りを見せた後、またとってつけたような笑顔と言葉を並べ、私の口に指を当てこういった。
「違う、違う。僕は葬送華を買い取り保管する仕事をしている『死神』だよ」
「『死神』?」
「うん、だから気軽に死神さんって呼んでよ」
男は、そういうとケラケラと笑い出した。
葬送華を売買している裏組織とどう違うのだろうと、頭を抱えたが、こんなひょうきんな男が裏組織の人…とは考えにくい。いや、それは私の考えで、私を騙すために道化を演じているのかも知れない。
私は『死神』と名乗った男を、もう一度睨み付けた。
「売買はしてないなあ。何せ、一般人が葬送華を枯らさず育てること何て不可能に近いからね」
「葬送華…は、いつか枯れるものなんじゃ無いの?花もいつかかれるし」
「それは、君の考えだろ?世の中不思議なことだって、あり得ないことだってあるさ。例えばその『葬送華』。それを、普通の花と同じように考えちゃブー」
死神は、そういうと私のもっていた葬送華を指さした。
確かに、葬送華は謎に包まれているし、まだわからないことだらけで、私だって普通の花と違うことぐらいは知っている。でも、花は花。いつかは枯れてしまうもの。
そんなことを考えていると、死神は倒れた椅子を立て直し腰掛け、白黒のパーカーの黒いフードをかぶった。
「死人から咲く花だよ。その人を忘れない限り、その花が枯れることは無い。人はいつ死ぬと思う?死んだとき?火葬されて骨になったとき?…違うよ、人に忘れ去られたときだよ」
死神はそういって、笑う。フードで隠れた顔ははっきりと見え無かったけど、三日月状に裂けた口だけが見えた。つかめない人。
「じゃあ、私がお父さんとお母さんのこと忘れなければ、葬送華は枯れないって言うの?でも、どれだけ遺族が悲しもうが、泣こうが葬送華が枯れてしまうってニュースで」
「扱い方はあるよ。そりゃあね。君の云うとおり、花だ。葬送華も植物と、生き物と一緒。育て方って言うのがあるんだ」
その言葉を聞いて、私は二本の葬送華を見つめた。
この花を枯らしたくない。この美しい花をこのまま保ちたい。
綺麗だと思った花も、綺麗に生けた花も枯れてしまって、何度も胸を痛めた。花が好きだから。ドライフラワーやハーバリウムとかそういうのではない、自然な状態で花を綺麗に保つ方法が知りたい。
そう思った。行動は早かった。
「あの!」
「え、何?」
「もしよければ、死神さんの仕事の手伝いがしたい。私は、この葬送華を枯らしたくない。方法が知りたい。葬送華について、知っていることを教えて欲しい」
私はいった。死神に。
葬送華を枯らしたくないっていう思いも、勿論本物。でも、葬送華のことを知りたかった。私が惹き付けられ、目を奪われ、心を奪われたこの花について。きっと、死神なら教えてくれると思ったから。
「結構ストイックだね、君。嫌いじゃないよ」
「あ、そういえば私の自己紹介がまだでした。私、ハナって言います」
「ハナ、ハナちゃんか」
死神は、フッと笑うと、私の頭を撫でた。冷たい手だった。
まだ、部屋の中に林檎のような甘い香りが残っていた。
***
「日光無いと、花って育たないじゃ無い」
死神と名乗った男に連れられてきたのは、花屋だった。確かに、花屋なのだが暗い路地裏に、ひっそりとある隠れ家のような所だった。本人曰く、表向きには花屋であるが、メインの仕事は葬送華の買い取り保管であるため、後単純にお金がない為こんな所で商売しているらしい。
にしても、暗くじめじめとしている。売っている花も、じめじめした気候や日陰で咲く花ばかりだった。しかし、葬送華と書かれた札が貼ってあるケースの中の花たちは他とは比べものにならないほど綺麗に咲いていた。
チューリップからひまわりまで。今の季節じゃ咲かない花、管理が難しい花まで揃っていた。
私が、不思議そうに見ていると、死神はフードを脱ぎ白い白衣を羽織った。
「何見てるのーえっち」
「い、いや。死神さんって童顔…というか、同い年かなあって思って、思いまして」
死神は目をパチパチとさせ、プッと吹き出した。
さっきは、暗い部屋の中で見たけど灯りのあるところでしっかりと顔を見れば、私と同い年ぐらいの男の子だった。
「うーん、これでも二十歳なんだけどなぁ。僕」
「そ、その見た目で二十歳なんですか!てっきり、中学生ぐらいかと!」
失礼だな。と死神は頬を膨らませる。中学生は言い過ぎたと思ったが、高校生に見えるその姿は、やっぱり年上には見えない。でも、何処か不思議な雰囲気を纏っている。
ふくれっ面の死神は、私から葬送華を取り上げ、他の葬送華が並んでいるケースに入れ小さな小瓶を取り出した。小瓶の中には水のようなものがはいっており。それを葬送華にかけた。量はそれほど無かった気がする。
「何をかけているんですか?」
「葬送華は、ただの水じゃ育たないし意味が無い。葬送華に与える水は、人の『涙』だ」
と、空になった小瓶をテーブルの上に置き死神は私を見た。
そんな情報は、何処にも出回っていない。私も死神を見た。
「葬送華は、死人花とか死花とか呼ばれてたりする。一般的には、葬送華であってるよ。死人から咲く花。さっき僕がいったように、人から忘れられると枯れてしまう。それは、すなわち、その人の死を存在を悲しむ人がいなくなったら枯れてしまうって事」
「で、でも」
「言いたいことはわかるよ。どれだけ大切に思っていても、いつか涙は枯れてしまうからね。毎日泣くなんてこと無いだろ。それに、毎日泣いていても、その涙を葬送華に与えなければ意味が無い」
葬送華の入ったガラスケースに触れながら、死神は悲しそうな目でそういった。
お父さんの葬送華が枯れなかったのはそういうことだったのか。と、点と点が繋がった気がした。お母さんがずっと葬送華を握って泣いていたから。
「あ、ハナちゃん泣くときいってね。涙取るから」
「へ…?」
いきなり話を振られ、間抜けな声が出てしまった。私は、口を手で覆いながらもごもごと、死神を見る。先ほどの悲しそうな表情は、もう彼の顔から消えていた。見間違いだったんじゃ無いかってぐらい笑顔。
「そんな、と言うか私あんまり泣かないので」
「でも、僕だけの涙じゃこれだけ多くの葬送華育てられないし」
「これって、全部死神さんの涙で育ててたんですか」
死神は言う。
葬送華は水の代わりに、涙を与えると。涙は一滴でも良い。一滴で、三日は枯れない。
与えすぎると、変色したり腐ったりすると。
もう一つ、私は死神に聞いた。一番聞きたいことだった。
「なんで、人によって葬送華って違うんですか。お父さんとお母さんは、白い…かすみ草とカモミールだったから。家族の共通点は、白い花」
「あー、それ、それねえ」
カランコロン。と、店のベルが鳴った。
何か言いかけた死神は、営業スマイルと言わんばかりの笑顔で「いらっしゃいませ」と言った。私も、つられて「いらっしゃいませ」と頭を下げる。店の中にはいってきたのは、若い女性だった。白い包装紙で包まれた赤い薔薇を一本大切そうにもって、死神を見つけるとにこりと微笑んだ。
「葬送華の買い取りを…保管をお願いしたくて」
女性はそう言うと、赤い薔薇をカウンターの上に置いた。そして、私に気付いたのか、私にも優しく微笑む。
「あら、新人さん?初めまして」
「は、初めまして」
緊張して、声が裏返ってしまった。仕事を手伝うって言い出したのは自分だったが、バイトの経験は全く役に立たなかった(裏方作業であったため)。
「あーその子は新人というか、お手伝いというか」
「貴方が、バイトを雇うなんて初めてじゃ無い?」
「やめてくださいよ」
と、死神と女性は楽しそうに話していた。道化のような笑顔しかできと思っていたから、そんな普通の男の子みたいな笑顔も出来るなんて、と内心吃驚している自分がいた。
どうやら、女性と死神は知り合いのようだった。知り合い、というか常連さんというか。
「この花、旦那さんのですよね。愛されてるんですね。赤い薔薇なんて」
「そう、ですね。だから、大切に保管して欲しくて」
女性が頭を下げると、死神は「任せて下さいよ」と女性に優しい言葉と笑顔を向けた。
女性はもう一度深々と頭を下げ、店を出て行った。
「あの、死神さん。それで、さっきのは…えっと、葬送華が人によって違うって言うの、教えて欲しくて」
「あ!そのこと、ちょーと自分で考えてみて!花が好きなハナちゃんなら、きっとすぐわかるって」
死神は、そう言って私の背中を叩いた。
さっきは教えてくれる、そうだったのに。と私が死神をじっと見つめた。でも、そんなことお構いなしに、死神はさっきの赤い薔薇を丁寧にガラスケースの中にしまっていた。
女性との会話を思い出してみ、私は考えた。
『愛されている』。『赤い薔薇』。言葉、花…そこまで考えてピンと糸が張った。頭の中でごちゃごちゃとしていたものが、ピシッと雷に打たれるような感覚が走る。
「花言葉。もしかして、花言葉ですか!」
「ピンポーン」
バッと顔を上げ、私が死神の方を見ると、彼は嬉しそうに指を鳴らした。そして、小さな棚を指さす。棚には植物図鑑や花の育て方、そして花言葉の本が綺麗に並んでいた。私はその、花言葉の一覧本を手に取り、かすみ草と、カモミールのページを探す。
「あった」
かすみ草の花言葉は、「永遠の愛」「幸福」「感謝」。カモミールの花言葉は、「逆境に耐える」「負けないで」「ごめんなさい」。
もし、もしも。葬送華が、その人の最期の言葉だったとしたら。
これは、私の憶測に過ぎない。でも、死神が言う。あの女性もそのことに気付いていたのだろう。
お父さんと、お母さんが残した最期の言葉。
お父さんが、私とお母さんを愛していたこと、私を助け幸福でありますようにと願ってくれたこと。お母さんが、辛い中耐え続けたこと、そして私に負けないでと、死を選んでしまっての謝罪。
ぽた、ぽた。とカモミールの花言葉が書かれたページにシミが出来る。じわり…と文字が滲んでいく。
そんな私の様子を、死神は黙って見ていた。
「優しい言葉、だね」
「うん…うん、うん。そう、そう…お父さん、お母さん」
死神は、私の頭をそっと撫でた。子供をあやすように優しく優しく。
私が、葬送華に惹かれたのは、美しいと思ったのはその人の生き方を最期の言葉を映した花だったから。人の思いが込められた生きた花だったから。人の死後美しく咲く花。忘れ去られるまで人の中で生き続ける花。
私は泣いた。
お母さんを失ったときの悲しい涙じゃ無い。とてもとても温かい涙。
泣き止むまで、死神は何も言わなかった。死神は、悲しそうに、妬ましそうに私を見つめていた。
***
死神と出会い、花屋で仕事をし始めて何週間かたった。学校には連絡を入れ少しの間休ませて貰っている。花屋の仕事も慣れた。元から、自分の花屋を開きたいと思っていたから、毎日楽しく仕事をしている。
思った以上に客もきて、やっぱりその中には葬送華を引取って欲しいって人も来る。そのたび、あの本で花言葉を調べたりしてどんな思いでその人が生きていたのかなんて考える。いろんな花がここには集まる。
お父さんとお母さんの花もしっかり育てている。たまに、二人のことを思い出して、花言葉を思い出して泣くこともあるけど、それが花を生かす養分になるし、私が二人を忘れていないって証明にもなるわけで。
ふと、葬送華に涙を与えていると、死神の事が気になった。死神は何で花屋なんか、葬送華の買い取りをしているのだろうかと。
「死神さん…は、どうして花屋を、葬送華を買い取って保管とかしてるんですか?花に詳しいみたいですけど」
「ん?ああ、まあ。母さんが、花屋だったから」
と。何処か気まずそうに死神は答えた。聞いてはいけない話のような気がした。突っ込んではいけない話な気がした。けれど、死神は、あっさりと、でも何処か寂しそうに話した。
「父親がDV夫でさ、働かないし酒に溺れてるしで、母さんが頑張って稼いでたんだけど。まあ、うん。母さんの身体に負担かかってて、父さんが母さんを殴ったときに悪いところに当たっちゃってさ、それでね」
言葉を詰まらせながら、死神は言う。本当に、聞かなければ良かった、古傷をえぐるような事をしてしまって申し訳ないと思った。
死神は続けた。
「まあ、それが五年前の話。母さんはそこで倒れちゃって、死んじゃって…その、母さんの身体から花が咲いたんだ。残ったのは母さんの衣服と花だけ。赤いゼラニウムが咲いていたんだ。それを見て、父さんは怖くなって家を飛び出した。そうして、階段から足を滑らせ頭をぶつけてね。父さんの花はトリカブトだった。花に罪は無いけど、凄く、凄く汚くて、おぞましい花だった」
赤いゼラニウムの花言葉は「君ありて幸福」。トリカブトの花言葉は「あなたは私に死を与えた」。
そこまで聞いて、私はギュッと拳を握った。実の息子にそんな言葉を残して、死ぬ父親と。最期まで、息子がいて幸せだったと伝えた母親。死神は、どんな思いでその花を。
私は、本を閉じて死神を見た。また、いつもの笑顔で私を見ている。
「母さんの花は大切に取ってあるよ。父さんのは、すぐに枯れちゃってさ…。その、次の日ぐらいから葬送華の話でテレビは持ちきりになった。五年前だね、葬送華がうまれたのは」
と、死神は付け足しフードをかぶった。暗くてよく見えない死神の顔。
「その後もさ、立て続けに親戚とか友人とか死んじゃって。今の君みたいな、周りに誰もいなくなっちゃって。だから僕は『死神』なんだ」
と。死神が、私の前に現われたこと、この間の女性がバイトを雇わなかったのにね。と言っていたこと。死神が私に向けていたのは、同情の目。同じだねとそんな風に私の事を見ていたのだ。
私に優しくしてくれる彼。同じような、でも全然違う境遇で、同じと言えば家族がいないひとりぼっちだと言うこと。そして、花が好きだということ。ただ、それだけの共通点。
「私は、死にません。死神さんと一緒にいても死なないので!」
「わ、あ、あ、うん。ありがとう。ハナちゃん」
死神の手をぎゅっと私は握っていた。考えるより先に身体が動き、少しでも「大丈夫だよ」と彼に声をかけてあげたかった。
彼が自分の事を『死神』といった。まもなく死を迎える人の前に現われる、架空の存在である死神の名を口にする彼の表情はやはりよく分からない。道化を演じ、本当の顔が見えないのだ。悲しくて辛い過去を隠すように。
私は汗ばむ手で、死神の手を握る。貴方の隣にいても死なないから。一度死のうと考えた私の前に現われた死神。死神のおかげで私は生きているんだよ。って、伝えたかった。ただ、その言葉は口から出なかったけども。
「やめてよ…そんな」
「死神さん?」
「ん?嫌なんでも無いよ。さ、店を閉めるから片付け手伝ってね」
死神は何かを呟き、店のシャッターを閉めにいった。
***
死神の事がよく分かってきた。そりゃ、まだわからないことが多いけど、ちょっと寂しがり屋なところとか、隠したいことがあると、フードをかぶることとか。以外と、甘いものが好きだったこととか。一ヶ月一緒にいるとわかることが増えてきた。そんな、死神を私は目で追っていた。
時たまみせる、本当の彼の笑顔。道化とか、寂しそうな笑顔じゃ無くて無邪気な子供のような笑顔。年は三つ離れてて、死神は成人男性だけど。私はそんな死神に惹かれていた。
勿論、店のガラスケースの中の葬送華にも。葬送華を見るたび、胸が締め付けられる同時に、これほど美しい花は無いと、何時間でも見ていられる。時間を忘れ、客がきたのも気付かないぐらい惹き付けられる。魔性の花。
「ハナちゃん。買い出しに行こうか」
「はいっ」
死神に名前を呼ばれ私の心臓はビクッと跳ね上がった。高鳴る胸をさえ、呼吸を整える。死神を見つめているのがバレたら、またからかわれる。
「どうしたの?ハナちゃん。顔赤いよ?」
エプロンを脱ぐのに手間取っていると、いきなり死神の顔が目の前にヌッと現われた。長い白い前髪からのぞく綺麗な金色の瞳は私をうつし、照明の光をうつし輝いていた。童顔であるが、とても整った顔。
私の額に手を当て、熱が無いか確認する死神。さらに、体温がグッと上がっていき、頭が沸騰しそうになった。
「あついけど、大丈夫?熱、ない?」
「あー!ありません、大丈夫です。さ、買い出しに行きましょ!」
私は、両手で顔を隠しながら後ろへ下がり裏返った声でそう叫んだ。
死神は「変な、ハナちゃん」と笑いながら、先に出てるよと店を出て行った。ああいう所が、するいよなあ。と私はその場でへたり込んだ。
買い出しはいたって普通だった。メモを片手に近くのスーパーに行き、籠に野菜やら肉やらを入れレジを通る。それから、余ったお金で最近出来たパンケーキ屋にいった。
曖昧ものが大好きな死神は、目を輝かせながらクリームがたっぷりのったパンケーキを頬張っていた。保冷剤をもってきたけど、肉が腐るといけないから、私達はそのことに気付いてからは急いでパンケーキを平らげ店を出た。
丁度夕暮時で、ビルの谷間に赤い、赤い夕日が沈みかけていた。黒いアスファルトに長い影が伸びる。
「さっきの、パンケーキ美味しかったですね。またいきたいです」
「ハナちゃんも甘いものいける派の人?嬉しいな。うん、またいこーね」
と、帰り道他愛も無い話をして歩いた。歩きなれた道も、死神と歩くと特別に感じられた。
お父さんとお母さんが死で、学校を休んで、死神と花屋を切り盛りして。普通の日常とはかけ離れているけど、確かにそこに幸せはあった。大好きな花に囲まれて、ちょっと気になる人と働けて。生きていて良かったと思った。
あの時、死を選ばなくて良かった。死神が助けてくれて良かったと。感謝してもしきれない。
そんなことをぼんやり考えていると、死神が私の名前を呼んだ。
「ハナちゃん、信号青になったよ」
先を行く死神の後を追うように私は一歩踏み出した。すると、遠くから鼓膜が破れそうなほど大きなクラクションが鳴った。大きなトラックがいきなり突っ込んできたのだ。確か、反対側は、赤色で。
「死神さん、危ないっ」
ドンッ…、似たような光景が頭をよぎった。お父さんの顔。
私の視界は真っ白になった。
『私が死んだら、どんな花が咲くんだろう』
死神…さん、大切に育ててね。
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――――――――――――
――、これは酷い。と野次馬が集まって、口々に言う。肉の塊になった、ハナちゃんを、俺はただ呆然とみることしかできなかった。遠くから救急車のサイレンの音が聞える。
ハナちゃんの身体に触れようと、手を伸ばした瞬間彼女の身体から芽が出ていることに気がついた。『葬送華』。ハナちゃんの身体は消え、衣服と白い花だけになってしまった。
見覚えのある白い花。日光を好むその花の名前は「アングレカム」。
葬送華は、死人の最期の言葉だ。大切な人に送る最期の言葉、花。
彼女が脳内で話しかけてくるような気がした。
『死神さんと一緒にいても死なないので』
彼女の笑顔を思い出す。
「…嘘つき」
僕は、アングレカムを手にとって抱きしめた。頬を伝って熱い何かがこぼれ落ちる。甘く爽やかな香りを放つアングレカムは、とても美しく、寂しげで、何かを伝えようと必死に咲いてる。慰めようとしてくれている。大丈夫だよってハナちゃんの声が聞えてくる気がする。
アングレカムの花言葉は、『いつまでも貴方と一緒』。
それが、ハナちゃんの最期の言葉だった。
僕は、涙をぬぐい膝をつき立ち上がる。すっかり日は落ちてしまっていた。到着した救急車のサイレンはけたたましく鳴っていた。
僕はフードを被り、アングレカムを握りしめ暗闇へと足を進める。
「ぼくはやっぱり『死神』なんだ」
一輪の白い花は、死神の手によって大切に育てられている。枯れないように、君を忘れないように。