19 お前の病気は魔法じゃ治んねえよ
気がつくと俺は簀巻きにされ、円卓の上に転がされて暗黒竜の尻の下に敷かれていた。
あれ?いつの間にこんな状態になったんだ?直前の記憶が無い。錯乱の呪文でも掛けられたのか?
俺は辺りを見回して状況を把握しようとしたが、暗黒竜に押さえ付けられて叶わなかった。変わりに鼻を利かせる。ノエルの匂いが薄れていて、残り香しかしない。ノエルは何処だ?
俺は暗黒竜の下から這い出そうとしたが、流石は竜族最強、ビクともしなかった。
「暗黒竜、退いてくれ。ノエルを探しに行かないと」
「ノエルは魔王様と一緒に行っただろ」
暗黒竜が呆れたように言う。何処へ?何故俺を置いて行くんだ?
眉を寄せ首を傾げた俺に、暗黒竜が残念なものを見る目を向けてくる。
「聞こえてなかったのか?ノエルは魔王様の婚約者に──」
────あれ?なんで俺簀巻きになってるんだ?それにノエルは?
「暗黒竜、ノエルは何処だ?」
「だから魔王様と」
「よせ暗黒竜。ロイ坊の脳が理解を拒んどるんじゃろう。そっとしておいてやれ」
「あ、マンドラゴラ爺も居たのか。ノエルを見なかったか?」
「やれやれ重症じゃのう」
マンドラゴラ爺は俺の前に来て、短い脚を器用に折りたたんで正座した。両手で湯呑みを持って茶を啜る。
「ロイ坊、ちょっと待っとれ。じきにそこのスクリーンに、嬢ちゃんが映るからの」
「そうか。でもノエルの所に行きたいんだ」
さっきから何だか不安なのだ。口から手を突っ込まれて心臓を握り潰されかけているような、息苦しさと胸の痛みがある。頭もボンヤリしている。マンドラゴラ爺が重症だと言っていたな、俺は何かの病気なのか?
「具合が悪いんだ。ノエルに回復魔法を掛けてもらいたい」
「お前の病気は魔法じゃ治んねえよ。医者でも無理だ」
暗黒竜の言葉にゾッとする。ますます不安が募り、ノエルに会いたくて仕方がない。ノエル、ノエル何処にいるんだ?
「アオーン、アオォーン」
「やれやれ参ったのぉ」
「これオレ達が1番大変なんじゃねーか?」
「そうかもしれんな。じゃが、先代魔王様に連絡出来そうなのは悪魔術士だけじゃし、情報収集はDr.マッドの管轄じゃからの。ここはワシらで頑張るしかないじゃろ」
「そりゃそーだけどな。ここまで酷いと思わなくてよー」
「何の話をしているんだ?それよりも早く俺を解放してくれ」
暗黒竜を退けようと足掻きながら、正面のマンドラゴラ爺に懇願する。マンドラゴラ爺は暗黒竜と顔を見合わせて、ゆるゆると首を横に振った。
「暫くそこで大人しくしとれ」
「だけどノエルが」
「ああ、やっと着いたみたいだぜ。ロイ、スクリーンを見てみろ」
俺の上に陣取ったままの暗黒竜に言われ、顔をスクリーンに向ける。室内に魔王様が入って来て、続いて、ああノエルだ!そんな所に居たのか!
ノエルは濃紺のロングドレスを着ていた。あれは俺とダンスをする時のために買って、クローゼットに仕舞っていた物だ。人間は舞踏会に招待されると、婚約者に自分の色のドレスを贈るのだと本で読み、俺の瞳の色で仕立てた一級品だ。3ヶ月分の給料と冬のボーナスを注ぎ込んだ甲斐あって、ノエルにすごく似合っている。ノエルが美し過ぎて目が潰れそうだ。
だけど、隣で魔王様がエスコートしてるのはどうしてだ?
『待たせてしまったな。オレサマが魔王だ』
スクリーンの中で、魔王様が黒髪の少女に挨拶した。それからノエルを見上げてニッコリと笑い掛け、少女に向き直って続ける。
『こちらはノエル。オレサマの婚約者だ』
……は?今なんて?
ノエルは俺の番いなのだ、魔王様と婚約するはずが無い。聞き間違いか、魔王様の言い間違いだよな?
ノエルが否定してくれるはずだと思い、俺はスクリーンを凝視し聞き耳を立てた。ノエルはニッコリと魔王様に笑い返し、魔王様を抱き上げると。
『先日魔王様と婚約致しました、ノエルと申します』
「ウオオオーン、ウオオオオオオーン」
「ロイ止めろ、窓ガラスが割れる!」
「ウオオオオオオオオオオオオオ」
「クッソ聞こえてねえ、おいマンドラゴラ爺、アレ頼む!」
「しょうが無いのー、ゴホン、ゆくぞ」
♯᙭×♯᙭×♯᙭×♯X×♯᙭×♯᙭×♯᙭×♯᙭×♯᙭×!!
形容し難い音が鼓膜を震わせた瞬間、俺は体中から力が抜けて、声も出せなくなった。指先1つ動かせない。脳みそを掻き混ぜられたみたいに、頭がガンガンして吐き気がする。
叫び終わったマンドラゴラ爺は、急須から湯呑みに茶を注ぎ、一口啜って息をついた。
「やはり土から抜かれた時ほどの威力は出んのー」
「それ死ぬやつだろ!おいロイ、死んでねえよな!」
「マンドラゴラの叫びまで使う羽目になるとはのぉ」
スクリーンの向こうでは、ノエルが魔王様に頬を寄せている。魔王様もノエルにピッタリくっついて、仲睦まじい様子だ。夢だよな、現実だったら死ぬ、早く悪夢から醒めてくれ。
身動きのとれない俺の目から、涙だけが滂沱のごとく流れ落ちていた。