第12話
馬車は特段問題なく、目的地である加工工場まで着いた。
途中街々の宿に宿泊しながら向かったので、かなり快適な旅だったと言える。
なによりも、ガウスと普通に会話を交わせたことが、この旅路を最も快適なものにした。
宿では当然のように別部屋に宿泊したが、それでも食事は常に一緒であったし、晩酌まで共にした。
ガウスは明らかに顔から険がなくなり、互いに笑顔を交えながら酒を嗜んだ。
ジュリアは静かに感動していた。
ガウスとジュリアが加工工場に足を踏み入れると、工場長が恭しく挨拶をした。
「これはこれはウォルナット様。お久しぶりでございます」
「ああ。結婚してから妻を紹介していなかったからな。顔見せだ」
「初めまして。ジュリア・ウォルナットですわ」
「こちらがウォルナット様の奥様ですか。この辺りでは見かけないほど、美しい方ですね。よろしくお願いいたします」
今回はあくまでも、挨拶のための訪問であるという体を取っていた。
状況が状況のため何か隠し事をしているのであれば勘付くかもしれが、今後も関係を続けるのであれば、あからさまな疑惑の目は向けたくない。
そのための配慮であった。
工場長は笑顔を絶やさず、ガウスとジュリアを歓待する。
その姿に不審な点は何も見当たらなかった。
(ここの加工工場では何もしていないということかしら。特におかしな点はなさそうな気がするわ)
工場内を案内してもらいながら、ジュリアはじっくり観察する。
しかし至って普通の工場のようだ。
あてが外れたかと息を吐いた、その時。
ふと、窓の外に小さな古い小屋が見えた。
その小屋に、ジュリアはどこか違和感を感じた。
「もし。あちらの小屋は何をする為のものかしら?」
ジュリアが声を掛けると、一瞬工場長の顔が強張った。
普通ならその変化に気付かないかもしれないが、悪意を読むのに長けたジュリアにとっては、こう見えた。
『要らないことを言う、面倒な女だ』と。
「ああ。あれは廃棄物の一時保管場所です。あまり綺麗なものではないですよ。どうぞ、こちらで選定の業務をしていますので、見てやってください」
確かに廃棄物置き場なら、工場長の言葉は尤もだろう。
しかし工場長はごく自然なようでいて、有無を言わさぬ強引さでジュリアたちを誘う。
ますますジュリアは違和感を感じた。
「私、あそこも見てみたいですわ。廃棄物はきちんと処理しないと従業員の健康を害すると言いますもの。ガウス様、如何かしら」
そう言ってジュリアはガウスに視線をやる。
きっとあそこに何かある。
そうした意図を込めて。
ガウスは小さく頷くと、口を開いた。
「そうだな。見たところかなり古いようだ。必要であれば適切な処理ができるよう資金を回す必要がある。あそこも見せてくれ」
「いや、しかし……あそこは本当に会頭にお見せするような所では……」
工場長は引き攣る口元を必死に抑えているようだ。
かなり完璧に作っていた表情が、剥がれかけている。
「構わないと言っている。案内してくれ」
ガウスは有無を言わさぬ圧力で、工場長に言い募る。
工場長は致し方なく、不承不承小屋の方へと2人を案内した。
外に出て、小屋の扉を工場長が開けると、確かに中には割れた瓶や紙屑が入った袋がいくつも置かれていた。
「ほら、この様になっています。確かに古いですが、特に問題も起きていませんので、お気遣い頂かなくて大丈夫ですよ」
工場長はそう言って早々に扉を閉めようとする。
しかしジュリアは、工場長の手を止めて質問を投げかけた。
「あの、こちらにはいつからこうしたゴミが入れられているのかしら?」
「いやぁ、もうずっとこのような状況ですよ。腐るものもないですからずっとこのままで。早いところ処分しなければいけないですね。ははははは。さあ、お目汚し失礼いたしました。あちらに行きましょう」
工場長は何がおかしいのか声高々に笑い、更に扉を閉めようとした。
その扉の隙間からジュリアはするりと中に入り、きょろきょろと周りを見回した。
「あっ奥様! お召し物が汚れてしまわれますよ! 早く出てきて下さい!」
工場長は慌てるが、ジュリアは置かれている空瓶に手を伸ばした。
「ずっとこのままという割に、あまり埃をかぶっていませんわね?不思議ですわ」
どうやらジュリアが感じた違和感の原因はそこにあるようだ。
中に入っている物もそうだが、この小屋自体、古く小さい割に傷んでいない。
大事な物が入っている様には見えないのに、きちんと、いわば不相応に手入れがされているのだ。
ジュリアの言葉にガウスは頷くと、ガウスも瓶を手に取った。
「確かに、そんなに長らく置いてあるようには思えないな。つい最近運び込まれたようだ」
工場長は頭を掻き、動揺を隠すように笑いながら言った。
「ああ! そういえば職員が最近整理を行ったと言っていましたね! 私としたことがすっかり記憶から抜け落ちていましたよ!」
「あらそうなの? その割に随分乱雑に置かれているのね? どう整理をしたのかしら……」
ジュリアは相変わらずキョロキョロと中を見回し、ふとゴミの下敷きになっている縄の端を見つけた。
「あら? これって……。ガウス様、少しお力を貸して頂けます?」
「奥様!!!」
止めようとする工場長を制し、ガウスはジュリアの元へと向かった。
そしてジュリアと共に床に置かれている空き瓶などを移動させると、そこには床に嵌められた扉が隠されていた。
「おい。これは何の入り口だ?」
「いや……これは……その……」
「いい。行ってみれば分かることだ」
そう言ってガウスは地下への扉に括り付けられている縄を持ち、上に持ち上げる。
ジュリアが見つけたのはこの縄だったようだ。
扉は案外簡単に開いた。
まるでつい最近まで開閉されていたかのようだ。
中には地下へと続く板張の階段があった。
倉庫の中に置かれていたオイルランプを使い、ガウスとジュリアは降りていく。
工場長も一緒だ。
もしも地上に工場長を残し、閉じ込められては堪らない。
20段ほど降ると、中には広い空間が広がっていた。
作業用の台が4台、各作業台に椅子が6脚ずつ置かれている。
作業台の上には、何も乗っていなかった。
「ここは一体、どういった場所なんだ」
ガウスが工場長に尋ねると、工場長はダラダラと汗を流しながら視線を彷徨わせる。
「こ、ここは……そう! あまり日に当てるのが良くないハーブを扱う作業場です! 今はそういったものは扱っていないので、すっかり忘れていましたよ!」
「ほう。その割に空気が澱んでいない。埃も積もっていないようだ。つい最近使っていたのではないか?」
「いいえ! そんなことは……」
工場長が否定しようとしたその時、ジュリアは徐に部屋の隅に置かれた戸棚の扉を開けた。
「奥様! おやめください!!」
工場長の制止を受け流し、ジュリアは戸棚の中に置かれたボロ布を捲った。
そこには、思い通りのものが置かれていた。
「これは下級サフランと……この粉はサフラワーですわね? あと、蜂蜜。これはどういうことですの?」
ジュリアは工場長に厳しい目を向けた。
ガウスも同時に工場長を睨みつける。
工場長はもう何も弁解できないと悟ったのか、膝を突き、宙を仰いだ。
「話は上でしっかり聞こう。ジュリア、良くやった」
ガウスはジュリアの目を見つめ、ふわりと笑った。
ジュリアは膝を折り、美しいカーテシーを披露した。
「お役に立てたようで、何よりですわ」
工場長を個室に押し込み、ガウス自ら尋問を行った。
あれほど饒舌に話していた工場長は、ほとんど口を開かず黙秘を続けていた。
いつから、誰の指示で、又は自らの意志で行なっていたのか。
工場長の口から聞き出すことは出来なかった。
ジュリアは警邏に連絡し、工場長の身柄を引き渡した。
これから警邏により、この加工工場は徹底的に洗われることだろう。
何せサフランの偽装は重罪だ。
詐欺事件の中でも特に悪質なものの一つとされている。
工場長の咎はどれほどなのかまだ分からないが、何某かの刑罰は避けられないことだろう。
工場長の身柄を引き渡し、しばらくした所でユアンがやってきた。
本来なら宿で合流する予定であったが、ガウスからの連絡を受け、農家回りを切り上げて合流したのだった。
「ガウス様! 偽装の物証が出たと言うのは本当ですか!」
「ああ。王都での噂はまだ届いていなかったのか? 今年も偽装作業をしていたようだ」
「なんと浅ましい……」
ユアンは酷く顔を歪め、心底愚かだと言うように吐き捨てた。
ジュリアはしっかりとユアンを見つめ、一言一言噛み締めるように言った。
「立派な隠し部屋まで作ってありましたわ。きっと偽装は一度や二度ではないでしょう」
「嘆かわしいことです。地下室を作る余裕があるならば、他にも出来ることがあるでしょうに……。さて、私は他の従業員と話をしてきます。今日はもう暗くなりますから、明日、本格的に話をする時間を設けさせましょう。よろしければ、ガウス様とジュリアさんは先に宿へお向かい下さい」
ユアンの言葉通り、辺りは夜の帳が降り始めている。
ここは田舎であるために、宿までは馬車でしばらく走らなければならない。
暗くなっては、身動きが取りづらいのは確かであった。
「ああ。そうだな。そうさせてもらおう」
「そうですか。それでは、後ほどまた宿で!」
そう言ってユアンは走り去っていった。
ガウスはそのまま、言葉の通り馬車へと向かおうとした。
しかしジュリアは、ガウスの腕を取り、引き留めた。
「ガウス様。お話がございます」
「なんだ? 馬車の中で話せば良いではないか」
「いえ、今しなければなりません」
ジュリアはガウスの瞳を見つめて言った。
ガウスは、その瞳に真剣な決意を確かに見て取り、ジュリアを促した。
「ガウス様。どうか私の話を最後までお聞きください。たとえどんなに、私が不快な話をしたとしても」
「……ああ。分かった」
「ありがとうございます。私は今回の一連の事件、どうしても1人の人物が関わっているとしか思えないのです。それは……他ならぬ、ヒッコリー様ですわ」
今回のサフランの偽装事件。
その発覚が遅れた最たる原因は、巧妙な偽装の方法もさる事ながら、顧客を選んで行われていた事だ。
目利きの顧客には渡らず、偽装に気付きづらい顧客にばかり渡っていたこと。
これはその顧客がどういった者であるのか、よく把握している人物の介入がなければ成り立たないことだ。
それも、王都の本店だけでなく、他の支店でも行われていたということは、各店舗に影響力のある人物である。
それ故に本店の店長に疑念が集まっていた訳であるが、ジュリアには違和感があった。
確かに本店の店長は他店舗の在庫調整を担うこともあったし、その権限もあった。
しかし、顧客ごとにその技量を見極め、偽装商品を卸すか否かを決定するには、かなりの判断力と調整力が要する。
これはジュリアの直感に近いが、店長はそういった人物像と一致しない。
それに、これだけ巧妙に黒幕に繋がる証拠が出ない中で、あの店長のサイン入りの指示書だけが出てきたのは逆に不自然だ。
まるで、誰かがわざと用意したかのような。
ガウス自ら指揮していないとするならば、自ずと、答えは見えているようなものだ。
ジュリアは調査の中で、不審な点に気がついていた。
商会の多くの口座の引き出し人名義に、この1年間でユアンの名が追加されているのだ。
ホルツ王国を始めティンバー王国でも、商会の金銭はいくつかの銀行に分けて保管するのが一般的だ。
それは銀行の不払いによる不利益を防止するためである。
その口座から金銭の出し入れができるのは、各口座ごとに事前に登録しておいた名義人だけだ。
これまでクルメル商会の口座引き出し人はガウスだけであったが、この1年でユアンもその名義に加わった。
それだけ見れば、決して不自然なことではない。
支店も増え、ガウスだけが金銭の出し入れをしていては不便であったのは確かで、それ故に誰も疑問を持っていなかった。
しかし、ジュリアにはどうにも違和感があった。
それまでの口座からの引き出し頻度よりも、幾分頻度が高い。
商会を営んでいれば、一度引き出したもののそのまま戻したり、引き出した時とは異なる予定外の支出があったりと、簡単に説明がつくものばかりではない。
しかしユアンが引き出した金銭の処理は、あまりに整然と整いすぎていた。
そのことに、逆にジュリアは違和感を感じた
だが理由は分からない。
ユアンはガウスがクルメル商会を継いでから、ガウス自らが見出した自他共に認める右腕だった。
彼らはまさに一心同体。
確かな絆で結ばれた同志であったはずだ。
何か金銭的なトラブルでもあったのだろうかと、ジュリアは内密にユアンを調べてもいた。
だがそう言った事実は見つからなかった。
疑惑は持ちながらも、表立ってその疑惑を唱えられるだけのものは、何もなかった。
少なくとも、今日までは。
「先ほど、ユアン様は『地下室を作る余裕があるならば』とおっしゃっていました。私は『隠し部屋』としか言っていないのに。まるで、地下室があることをご存知のようでしたわ。何故ユアン様がそんなことを知っているのか。ガウス様、貴方様にもお分かりではないでしょうか」
「……お前は、何を言っている」
ジュリアは信じていた。
かつて、ジュリアを全く信用していなかった時のガウスに話したとて、きっと聞き入れられない。
しかし、今ならば。
きっとジュリアの言葉にも耳を貸してくれるのではないか。
そう思っていた。
だが、目の前のガウスを見て、ジュリアは自分のその判断が間違いだったことに気づいた。
「ユアンが、偽装事件の首謀者だと? そう言いたいのか。たったそれだけのことで」
「ですが……今回の一連の事件。ユアン様が裏で指揮していたと考えれば、全て辻褄が合うのは事実ですわ。何故、何のためにそんなことをなさったのかは分かりませんし、物証もありません……。ですが、私は今、ユアン様を追いかけるべきだと思いますわ。もしもユアン様が関わっているなら、証拠を隠すなら今しかありませ」
「いい加減にしろ!」
ガウスは激しく激昂し、ジュリアの頬を打った。
ジュリアはあまりの衝撃に頭に電流が走ったかのようだった。
自分の頬が打たれたのだと、理解するまでにしばし時間がかかった。
「ガ、ガウス様……。一体何を……」
「言うに事欠いてユアンを疑うなど! 多少仕事が出来るからと見直してみれば、何と愚かな! お前に何が分かると言うのだ! ユアンと俺は、ずっと2人でこの商会を支えてきたんだ。そのユアンが、まさか、そんなことを……ふざけるな!!」
ガウスは息を荒げたまま、1人馬車へと乗り込んでしまった。
そしてジュリアを残し、走り出してしまった。
置き去りにされたジュリアは、ただ呆然とそれを見送るしかなかった。
ガウスとの距離が近づいたと思っていた。
もう、自分の声が届くだろうと思っていた。
何かが2人の間に芽生えたと思っていたのは、ジュリアの独りよがりだったのか。
ガウスの圧倒的な拒絶と激しい頬の痛みに、ジュリアは自分の中の何かが粉々に砕け散った音を聞いた。
しばしその場に佇み、しかしそれでもユアンを追いかけなければとジュリアは自分を叱咤する。
そして身を翻した、その時。
激しいサイレンと鐘の音が聞こえた。
「火事だー!! 火が出たぞー!!」
ジュリアが慌てて声の方を見ると、事務所棟から黒煙が上がっていた。
(もしや……ユアン様が……!?)
ジュリアは駆け出し、事務所棟へ近付こうとした。
しかし集まってきた警邏たちに抑えられてしまった。
「お嬢さん危ないよ! 消火始めるから離れてな!」
「ですが! もしかしたらあそこに偽装事件の証拠があるかも知れないのです!」
「何!? いや、しかし今は近づけない! そんなドレスでは危険だ! いいからこっちに!」
その後、警邏や工場の人々の尽力で、火は30分後に消し止められた。
しかし工場長の事務室はほぼ全焼し、ほとんどの書類は炭と化した。
そして、その日から、ユアンは忽然と消息を絶ったのだった。




