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第10話

 

 ジュリアがガウスをバックヤードに連れていくと、店長は慌てふためいて話し始めた。


「か、会頭……! 大変です……! うちのオリジナルブランドのサフランが……!」


 ガウスの前で経緯を話し、実際に瓶の封を切り擦って見せる。

 どうやら、ジュリアが表にいる間に他の瓶も開けてみた結果、どれも同じような状態だったようだ。


「いったい何故こんなことが……。オリジナルブランドは副会頭が初期検査をしてますし、店舗に納入された時は店長である私も検査しています! その際には、問題がなかったはずなんです! なのに、一体何故……」

「四の五の言っていても始まらない。まずは、いつから、どれだけのもので偽装が行われていたか確認するのが先だ。今ある在庫をすぐに調べろ! あとは店員全員に聞き取り調査だ。これまで客から何か言われたことがないか確認する。順繰りに店員をここに呼べ。うちのサフランは確認が取れるまでしばらく出さないぞ」


 ガウスは的確に素早く指示を出していく。

 その姿はまさに、クルメル商会の会頭らしい姿であった。


(やっぱり、会頭としてのガウス様は流石ね)


 ジュリアは感心した。

 すると、ガウスがジュリアに視線を合わせる。

 そして眉間に皺を寄せて、ジュリアを睨みつけた。


「おい。お前、どうして気付いた?」


 ジュリアは目をぱちくりとさせた。

 問われた意味が分からなかったのだ。


「ええと……何だか、見慣れたサフランと少し色が違うように感じたのです。どこか嘘っぽいというか……」


 サフランは高価故に、昔から偽造品が後を絶たない。

 しかしそれは、例えばとうもろこしの髭や、時には羊毛に着色したようなもの、あるいは黄色い下級のサフランにそのまま着色だけしたもので、見る者が見れば一見して偽造品と分かるものが多かった。

 だがこれは、普段からサフランを扱う者であっても、瓶を開けるまで気付かないかなり精巧な偽装だ。



「まさか匂いも嗅がずに、瓶越しに見て気付いたとでも言うのか?」

「ええ、そうなります…………。あの、もしかして、私を疑っていらっしゃるのですか?」


 ジュリアは毅然とガウスを見つめ返す。

 ジュリアはここに来てまだ1ヶ月にも満たない。

 マホガニー家に居た時ですら、このクルメル商会のオリジナルブランドには何ら関係がない。

 ジュリアに何か出来ようはずもないのだ。


「……いや。流石にお前が何かするのは無理だな。すまなかった」


 ガウスは言い終わると同時に、ジュリアから視線を外した。

 自分でも言いがかりだと思った様だ。

 ジュリアは目を丸くした。

 まさかガウスが謝るとは思わなかったのだ。

 どうやらガウスは、自分に非があると認めた時にはきちんと謝罪する人間の様だ。


(やはり、私はガウス様の何も知らなかったのね……)


 ジュリアは改めて反省した。


「店舗は営業する。だが並行して確認作業を行ってくれ。他の店舗でも同様のものがあるかもしれない。俺は一旦事務所に戻って各店舗への手紙を書く。頼んだぞ」


 そう言ってガウスは店を出て行った。

 その間際、ちらりと視線が合ったのを、ジュリアは感じた。

 何か意味があるのか、はたまたただ視線が合っただけなのか、判別がつかなかった。





 ジュリアたちは店長の指示の元、各等級のサフランを確認した。

 結果、上級と中級での偽装が行われていることが発覚した。


 サフランは秋口にほんの一瞬だけ花を咲かせる。

 だから今市場に出回っているのは、昨年収穫したものだ。

 収穫して乾燥させ、市場に出るのはその年の冬頃。

 その年に収穫したサフランは、乾燥させたら劣化しないよう全て密閉容器に入れられる。

 つまり、今サフランが偽装されているということは、少なくとも半年以上前には既に偽装が行われていたということだ。


 何故そんなに長期間偽装が発覚しなかったのか。

 これから確かな調査が必要だが、全ての商品に偽装がされていたわけではないというのが、1つ要因としてありそうだ。

 最上級品は薬用として使用されることが多く、瓶を開けた時に即座にわかってしまうためか、偽装は確認されなかった。


 サフランの偽装はれっきとした犯罪だ。

 ここまで大々的に偽装が行われていれば、一時店を閉めることも免れない。

 クルメル商会にとって、大打撃であることに間違いないだろう。

 もしも他の店舗の商品にも同じことが行われていた場合、その差額は数千万に及ぶことが予想された。




 確認作業に加わっていたガウスやユアンも、頭を抱えた。


「今の時期は証拠を掴むのも難しいな。もうあと2月もしたら今年の収穫が始まる。それまでは今あるもので探っていくしかない。とにかく今は商品を回収するのが先だ。ユアン、お前は大口の顧客をリストアップしろ。俺が直接行く。お前たちも皆手分けして回収してこい。これ以上クルメル商会の名で紛い物を流通させる訳にはいかない!」


 ガウスが号令をかけると、ユアンを始め各々が動きだす。

 ジュリアはマシューに付いて行こうとすると、ガウスに声を掛けられた。


「お前は俺について来い。聞きたいことがある」

「っはい!」


 ジュリアは意外なことに驚いたものの、すぐに返事をした。

 何のことかは分からないが、もうガウスが自分を疑っていないことは分かる。

 マシューがジュリアを心配そうに(たぶん)見ていたが、ジュリアは安心させるように頷いた。

 ガウスがジュリアに何かをするなど、今の状況では考えられない。



 ガウスはジュリアを伴い5階まで上がる。

 そして自席に座ると、ことり、と先程のサフランの瓶をデスクに置き、ジュリアを目の前に立たせた。


「この偽装に使われた赤い粉、お前は何だと思う。意見を聞きたい」



 それはジュリアも考えていたことだ。

 万一人体に影響のある物質であった場合、問題は偽装だけに止まらない。

 しかし、それに対してジュリアは楽観視していた。

 思い当たるものがあったからだ。


「私は……サフラワーだと思います。匂いがかつて嗅いだことのあるものに似ていますわ」

「やはりか。比べて見ないと断言は出来ないが、俺もサフラワーではないかと思う」


 サフラワー。

 別名ベニバナ。

 名前も色も似ているが、価格は全く異なる。

 サフラワーは花の部分を使うが、乾燥させるとそれだけで似ている。

 とはいえよく見れば違いは歴然だ。

 しかしこの偽装サフランには、粉末にしたサフラワーがまぶされているようだ。

 どうやっているのか、むらなく綺麗に色付けされている。


「しかしこの先端部分はどういう訳だ?サフラワーでは色付けしか出来ないはずだが……」


 そう。

 それはジュリアも考えていたことだった。

 この先端が膨らんだ形状にするためには、他にも何か繋ぎが必要だ。

 しかしそれもジュリアには思い当たるものがあった。


「あの、少しいいですか?」


 ジュリアはデスクの上の瓶に手を伸ばし、蓋を開けておもむろに偽装サフランを舌に乗せる。


「っおい!」

「やっぱり。直に舌に乗せないと気付かないでしょうけれど、ほんのり甘いですわ。多分繋ぎにごく少量の蜂蜜を使っているのではないかと思います」

「なに? 本当か?」


 ガウスもジュリアを真似て偽装サフランを舌に乗せる。

 そして眉を顰めた。


「……確かに。この先端部分だけ、ほのかに甘いな。上級以下は直接口にすることもない。それなら気付かないかもしれないな……」


 そしてガウスは腕を組み、考え込む。


「他の店舗の確認が取れないとなんとも言えないが、それでもかなりの量だろう。関わった人間は1人2人でないはずだ。まずは商品の流れに不自然な点がないか探る。おい、お前もコンテナ男爵の端くれだろう。物流について少しは分かるな」

「え、ええ……。これでも、一応父と兄に付いて学んでいましたから……」

「ならお前にサフランの仕入れと加工に関する帳票を見せる。何か不審な点がないか確認しろ」

「はい……あの、でも、よろしいのですか? 私に見せても……」

「勘違いするな。今この商会の中で、お前が最もこの偽装に関わっている可能性が低いだけだ。もちろん俺もユアンも確認する。何か気付いたことがあるなら言え」

「承知いたしました。精一杯頑張りますわ」


 ジュリアは真っ直ぐガウスを見て答えた。

 本心は分からないが、少なからずジュリアにその能力があると考えているのだろう。

 ならば、自分は精一杯出来ることをやるだけだ。






 夜。

 ガウスは王都に近い他店舗からの連絡を待つため商会に残ることにし、ジュリアだけ帰宅することになった。

 ジュリアはこれからのことを考えると、気が重くなる。

 偽装は最も憎むべき犯罪の一つだ。

 真面目に仕事をしている生産者の思いを否定し、業界全体の風評被害を招きかねない。

 ジュリアにはとても許すことのできないことだった。



 既に外はとっぷりと暗くなり、月が頭上に輝いている。

 夕食後、ジュリアはどうにもそのまま休む気にはならず、1人中庭に降りた。


(今日は風が気持ちいいわ。これから段々涼しくなるわね……)


 夏の最盛期から少しすぎ、夜風が気持ち良い頃だ。

 ジュリアは先日も座ったガーデンテーブルの椅子に座り、ぼんやりと月を眺めながら、これからのことを考えていた。




「あれ、奥様。こんな時間にどうされたんですか?」


 ジュリアがその声の主の方に顔を向けると、案の定、ビルが居た。

 初めて会った時も夜遅くまで仕事をしていた。

 ジュリアは庭仕事のことはよく分からないが、そんなに遅くまでやる仕事が多いのだろうか。


「ビル、ご苦労様。あなたこそまだ仕事なの? ここの庭はそんなに厄介なのかしら?」

「ああ、いえ。今日は前の仕事に時間が掛かってしまって、ここに来るのが遅くなったんです。次来られるのがまた3日後なので、今日中に全部やってしまいたくて」

「そうなの。他にも色々な所で仕事をしているのね。庭師というのも大変ね」


 ジュリアはなるほどと頷く。

 この庭を見る限り、ビルの腕は確かだ。

 きっと色々な所で贔屓にされているのだろう。

 そんなジュリアに、ビルもいつも通りのにこやかな笑顔を返す。


「奥様は最近お忙しいのですか? 俺もここ最近はこっちに来れていなくて代理の人間に頼んでいたので、よくは知らないのですが……」

「ええ、そうね。商会の仕事を続けさせてもらっているから」

「何だかお疲れのようですね。何か大変なことでもあったのですか?」

「ええ……ちょっとね……」


 今回の偽装事件のことはさすがにビルにも話せない。

 いっそ全て打ち明けてしまいたかったが、ジュリアはもどかしい気持ちになった。


「ですが最初に会った時より、ずっと生き生きとしてます。以前の奥様は、あまりに痛々しくて見ていられませんでしたから」


 ジュリアの雰囲気を感じ取ったのか、ビルが意識的に話題を変える。

 ビルの気遣いが嬉しい。


「そこまで? そんなに酷かったかしら」

「そうですよ! 何というか、まるで傷だらけの兵士みたいな……。あ! いえ奥様がそんな逞しそうという訳ではなくですね!」

「ふふふ。まったく失礼な人ね」


 ジュリアは口の前に手をやり、自然と上がる口角を隠した。

 ビルと居るといつも自然と笑顔になってしまう。

 それは彼の持つ独特な雰囲気のせいだろう。

 どうにも力が抜けて、素の自分が出てきてしまう。


「でも、きっと辛いこともありますよね? どうか無理をしないでくださいね」


 そう言ってビルは、腰につけたバッグに刺していた花をジュリアに手渡した。

 それは、いつものクチナシの花だった。


「今年はもうこれで終わりです。例年より長く咲いたんですけどね。クチナシの香りにはリラックス効果もあるそうですよ。直接渡せて良かった」


 そう言ってビルは、どこか照れたような笑みを浮かべた。



 ジュリアはその笑顔に、目が釘付けになった。


 月明かりのせいか、いつものように跳ねた茶色の髪が、何故か輝いて見えた。

 ジュリアはその時、その髪に触れてみたいと自然と思った。


 月明かりの下で見るビルは、いつも通りの笑顔なはずなのに、どこか艶を感じる。

 垂れ目がちな瞳、案外細い首筋、その割に筋張った手。

 それらから目が離せない。

 ジュリアはどきりと胸が高鳴るのを感じた。

 そして、そんな自分に驚きを隠せない。


(私……そんなまさか……)


「奥様? どうかしましたか?」

「い、いいえ何でもないわ」


 ジュリアは頭を振り、今浮かんだ可能性を頭から追い出す。

 きっと今この雰囲気に呑まれているだけだと自分に言い聞かせ、ジュリアは恐る恐るクチナシの花を受け取った。


「ありがとう……良い香りだわ……」

「そうでしょうそうでしょう。あ、そう言えば、最近仕入れたこの花も、また違った香りでとても良いですよ」


 そう言ってビルは、見たことのない黄色い花を取り出した。


「そうなの? 初めて見る花だわ。ダリアとも違うし……。何という花なの?」

「マリーゴールドの仲間なのですが、東洋でキクと呼ばれる花です。まだまだこの国でもティンバーでも馴染みがないですよね。中でも、この品種はしっかりとした香りが特徴なんですよ」


 ビルにそう言われ、ジュリアはキクに顔を寄せた。




 その瞬間、嫌悪感が身体中を駆け巡り、思わず花を投げ捨ててしまった。



「こ、これ……」

「奥様! どうされたんですか!? 香りが気に入りませんでしたか?」

「ち、違うの……。ごめんなさい、ビル。せっかく私のために摘んでくれたのに……」


 ジュリアは自分で気付かぬ内に、ぎゅっと自分自身の手を握り合わせていた。

 そんなジュリアを宥めるように、ビルは自分の手でジュリアの手を握り込んだ。


「そんなことはどうでも良いんです。奥様……顔が真っ青です。どうしたんですか、大丈夫ですか?」

「ごめんなさい……。ただ、前に嗅いだことのある香りに似ていてびっくりしただけなのよ。どうか気にしないでね……」

「前に嗅いだことが? この花はまだまだ流通していないですし、僕もツテで偶然手に入っただけなのですが……。どこで嗅いだんですか?」


 ジュリアは少し大きく息を吸い込み、そして吐き出した。



 そう、この香りは嗅いだことがある。

 回数は多くない。

 だが、ジュリアにとって忘れられない香りだった。



「シャーロットの……あの、お兄様と元婚約者が傾倒していた男爵令嬢……彼女が使っていた香水に似ていたの……」

「そう……でしたか」


 そこでビルは申し訳なさそうにキクを拾い上げ、ポケットに突っ込んだ。


「嫌なことを思い出させてしまい申し訳ありませんでした。これは、この中庭には今後植えないようにします。奥様、知らなかったこととは言え……本当にすみませんでした」

「良いのよ……。誰だって、まさかこんな偶然があるだなんて思わないじゃない。気にしないで。でも、ごめんなさい。このクチナシの花だけいただくわ」

「はい……すみませんでした……。……あの! 俺、もっともっと、奥様に喜んでもらえるような花をたくさん咲かせますから! どうか、まだ見捨てないでくださいね!」


 ビルはズボンを両手で握りしめ、必死の様子でジュリアに訴えかける。

 その様が何だか可愛らしくて、ジュリアは自然とまた力が抜けるのを感じた。


「ええ。ありがとうビル。楽しみにしているわ」



 夜もかなり更けてきた。

 ガウスはまだ帰らないようだが、ジュリアはもう休まないと明日に響くだろう。

 ジュリアはビルにクチナシのお礼を言い、自室へと戻って行った。

 ビルはその様子をにこやかに見送り、自分自身も中庭を後にした。









 ウォルナット家からかなり離れた場所。

 しかし王都の貴族街にある、とある屋敷。


 その一室に、何故かビルの姿があった。


「まさか本当にビンゴとはなぁ。調べても出てこないはずだよね。キク自体は毒どころかその逆だし。彼女には悪いことしちゃったけど……早いとこ兄さんのとこに行かなくちゃ」



 ビルは部屋の浴室に入り、湯を浴びる。

 頭に石鹸をつけ湯をかけると、泡と共に茶色い湯が流れ出た。

 そして、金に近い栗色の髪が現れたのだった。



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