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side ガウス

 

 また時は遡り、数日前。

 ガウスは終業後、愛人の家に居た。

 自宅のメイドに飽きたらず、ガウスは外にも愛人が居る。

 その日は、とある貴族の未亡人の所に来ていた。

 ちなみにガウスは既婚者には手を出さない。

 自由な恋愛を楽しみたいが故に、面倒ごとは避けている。

 同じ理由で避妊は怠らない。

 実に器用な男であった。



「聞いたわよ。ついに結婚したのですって? なのに……ふふふ……悪い人」


 素肌にガウンを羽織っただけの女が、窓辺でシガレットを燻らせる。

 歳は30代半ばだろうか。

 瞳と同じ、赤いガウンから覗く白い足が艶かしい。


「ただ友人の頼みを聞いてやっただけですよ。とんだお荷物を抱えたものです」


 ガウスはベッドに横になったまま、シガレットに火をつける。

 シーツから覗く上半身は、やはり何も身に付けていなかった。


「あら。あなたでも食指に引っかからないような女だったの? 残念ね」


 そう言われてガウスは眉間に皺を寄せる。

 実際、最初に会った時はこんな女ではその気にならないと思った。

 しかし今では見違えるようになった。

 今の状態で会ったのであれば、一度試してみてもいいかという気になる。

 だが、そうすれば離縁は出来なくなる。

 流石にそんなに簡単に前言撤回することはプライドが許さないし、やはりジュリアのことは許せないのだ。



 子どもについても、ガウスは居なくていいと思っていた。

 ウォルナット家は貴族ではないのだ。

 別に血筋に拘ることもあるまいと考えていた。

 むしろ商会のことを思えば、自分が優秀だと認めた者に任せたい。

 その時に気になる者を養子にしてもいいし、親戚から骨のある者を養子に貰ってもいいと思っていた。

 そのためそもそもが結婚には乗り気でなかったのだが、確かに商売では妻帯してこそ一人前という風潮があるのは確かだ。

 だからこそ、ガウスが欲していたのは「一度結婚した」という事実だけ。

 それさえあれば、如何様にも言い分を付け、好きなように遊べるという訳だ。


「私でも全然情報が入らないのよ。随分内密に事を運んだのね」

「決して内密にした訳では。式も上げるつもりもありませんし、いずれは出て行かせるつもりですから。あえて人となりを触れ回るつもりはありません。『結婚した』という事実さえ伝わればいいのですよ」

「まあ酷い。どんな子なの?」

「あいつの話なんて……。元は、ティンバー王国の貴族だったんです」

「まあティンバーの……。そう。その子は運が良かったんじゃないかしら? ティンバーは今、とってもきな臭いわ」

「……どういうことですか?」


 女はホルツ王国で、外交に関わる仕事をしている。

 他国の状況については詳しい。

 過去にもガウスはこの女との関係から情報を得、利益を得ていた。

 しかし、この女もかなりのやり手だ。

 ある程度の情報は渡すが、きっちりと線引したその先のものは決して渡さない。

 それに、ガウスも彼女にいくつかの情報を流さなければならない。

 要はこの女との関係は、愛人と言うよりもビジネスパートナーとしての側面が強いのだ。



「詳しくは話せないけれど。今ティンバーは大いに揺れているわ。どうやら婚約破棄される令嬢が多々出ているみたいね」

「それは……そうなんですか?」

「ええ。しかも原因は1人の少女のようよ」

「!」


 ガウスは口からシガレットを離し、考える。

 ジョシュアの手紙に書いてあった「素晴らしい女性」のことを思い出す。

 それはこの女が言うところの、原因となった少女のことではないだろうか。


「その話、もっと詳しく」

「だーめ。ここからは秘密。さあ、私は教えて上げたんだから、あなたも話して? 奥様は何かティンバーのことを話していなかった?」

「……あいつも、婚約破棄をされて……それでうちに来たんです。あいつの兄とは友人でしたから。コンテナ男爵の娘がティンバーで恥を晒し続ける訳にはいかないと」

「待って。あなたの奥様、コンテナ男爵のご令嬢だったの?」

「え、ええ……そうです。ですが、もうマホガニー家からは縁を切られたただの娘ですよ?」


 ガウスは驚いていた。

 女の様子が急に真剣なものに変わったからだ。

 ジュリアがティンバー王国の貴族だと伝えた時点で、既に雰囲気は変わっていた。

 しかしコンテナ男爵の名を出した途端、それまでとは圧倒的に異なる空気に切り替わった。

 コンテナ男爵の名はホルツ王国でも知れ渡っている。

 その名に驚くのも無理はないが、どうにもそれだけではないように感じる。


「あの……あいつが何か……?」

「……いえ。直接あなたの奥様に何かある訳ではないわ。悪いけれど、今日はもう帰ってくれる? 調べたいことがあるの」

「ええ……はい。分かりました」


 ガウスは腑に落ちないながらも、服を着込む。

 そして部屋から出る間際、胸に手を当て、深く頭を下げ言った。



「またお呼びください。お待ちしています。ダルベルギア侯爵閣下」







 それから数日後、ジュリアがサフランの偽装に気付く前日。

 ガウスが仕事から帰ると、ジョシュアからの手紙が着いていた。

 ガウスは逸る気持ちを抑え、自室で1人封を切った。


『親愛なるガウス。


 なかなか返信が書けず申し訳ない。

 マホガニー家の当主就任など、色々慌ただしくしていたんだ。

 それで、ジュリアのこちらでの素行を詳しく教えて欲しいと言うことだったな。

 あいつは、とにかく自分の家の功績を鼻にかけるやつだった。

 “コンテナ男爵”を誇りに思うのはいいが、それで他の者を見下すのは違うだろう?

 付き合う人間も高位のものばかりで、自分だってつい最近まで平民だったはずなのに、下位の者を馬鹿にしていた。

 そうでなければ、前にも話したジュリアが虐げていた女性を虐め抜くことなどないからな。

 申し訳ないことにジュリアが怪我をさせてしまったその女性なんだが、本当に素晴らしい人なんだ。

 彼女の側に居るだけで心が穏やかに落ち着くというか……』



 そこから、ジョシュアの手紙には終始、ジュリアが虐げたという女性の素晴らしさが綴られていた。


 ガウスははっきりと違和感を覚えた。


 まず、ジュリアは平民を馬鹿にしている印象は全くない。

 ガウスだけではなく、他の者に対する態度も至って普通、むしろ働きぶりによってきちんと敬意を表している印象すらある。

 それに、自分の立場を偽って店で働いていることとも齟齬がある。

 まあ、それは自分の不名誉な噂から、悪感情を持たれないようにするためとも考えられるのだが……。



 ジョシュアは浮ついた所のない男であった。

 そんな男が、ここまで1人の女性に入れあげ、溺愛していた妹を、いくら当人の素行が悪かろうとここまで扱き下ろすものだろうか。

 初めての恋に身を焦がすにしても、どうにも違和感が拭えなかった。


 また、ジョシュアの母についての記述が何もないことも気になる。

 以前の手紙では、ジョシュアの母マレーナは心労に倒れたとあった。

 マレーナとの面識はあまりないが、あのジョシュアがマレーナの近況を何も伝えず、好いた女の話だけをするなど、これまでのジョシュアからは考えられない。



 この違和感は、どういうことだろう。

 間違いなく、ジョシュアはふざけた嘘は言わない男だ。

 もしやと思い、かつてガウスの目の前で書いた書類と手紙の筆跡を比べてみたが、完全に一致していた。

 ならば、ジュリアが演技をしているのか?

 あれが全て演技なのだろうか?

 ガウスは複雑に絡み合う思考の海に溺れ、独り寝の夜を過ごしたのだった。



 ガウスはいつも通りジュリアを迎えに行った。

 本来であればこんなことをする必要などない。

 そう自分で分かっているのに、どうにも拭えない違和感がガウスをジュリアの元に向かわせる。


 本当のジュリアは何なのか、見極めたい。

 だが、目の前にいるのは憎い女かもしれない。

 そんな女とは、一言も交わしたくない。


 ガウスはちぐはぐな自分の行動を自覚しながら、毎朝ジュリアを迎えに行った。





 その日、ガウスがジュリアの部屋に行くと、その変化に驚いた。


 目の前にいるのは、多少顔色は悪いものの、それでも美しい女だった。



 髪はしっかりと磨かれたアンティーク家具のような艶やかさで、痩けていた頬にはふっくらと肉が付き健康的だ。

 ぱっちりとした黒目を長い睫毛が彩っている。

 少女から大人の女性に変わる途中の、危うい魅力がそこにはあった。


 毎日顔を合わせていたし、容姿が改善しているとは思っていた。

 それなのに何故か、その時に初めて、ジュリアの美しさに気付いたのだ。


 それは正しく、ガウスの中の「悪女」という色眼鏡が外れかけていることを示していた。

 いつも通りに二人で屋敷を出て歩いていると、今まで気にならないことが気になるようなった。


(そう言えばこいつ、いつも同じドレスしか着ていないな。違うドレスはあの水色のドレスだけか……)


「お前、いつも同じ服だな。何故そればかりを着る」

「ええと……黒い服がこれともう一着しかないので……」


(マルタに言ってもっと用意させてあったはずだが……ああ、その時はセンダンの会頭の訃報の前だったか)


「なら買えばいい。お前が服を何着か買ったところで、ウォルナット家は傾かない。それとも、そんなに高価な服を買おうというのか?」

「いえ、そんなことはありませんが……よろしいのですか?」

「いいと言っている。何度も繰り返すな」



 ガウスはちらりと想像する。

 ジュリアが着るのなら何色のドレスが良いだろうか。

 赤茶の髪に合わせて赤か。

 それにしても、この黒色のドレスというのはなかなかに禁欲的でジュリアの魅力を上げている。


(俺のこれ(女好き)はもう病気だな……)


 そんなことを考えている自分に辟易とし、ガウスは仏頂面を作る。

 そしてそのまま無言で事務所まで歩いたのだった。



 ジュリアと別れ、事務室に入ると、ユアンがいつも通りにこやかな笑顔で挨拶をした。


「いやあ奥様がいらっしゃってからガウス様の出勤が早くて助かりますね」

「毎日毎日嫌味なやつだな、お前は」


 そうしてガウスは仏頂面のまま自席にドサっと座った。

 そして早速仕事に取り掛かる。

 しばらく資料にかかりきりになっていると、ふと思い出したようにユアンが言った。


「そう言えば、奥様の目利きはかなりのものなようですね。バックヤードでマシューと作業をしているようですが、かなり効率がいいとか。最近とてもお綺麗になったのもあって、店長がそろそろ販売の方もやらせてみると言っていました」

「なに?」


 ガウスは眉を顰めた。

 まずジュリアがそういった作業をしていることを知らなかった。

 気にはなっていたが、どうにも聞きにくかったのだ。

 バックヤードの作業なら、2人きりでやっていることも多いだろう。


(……あの女、まさか色仕掛けなどしないだろうな)


 最初の頃ならいざ知らず、最近のジュリアにはくらりと来る男もいるだろう。

 ガウスは心配になった。


 そしてマシューという男を思い出す。

 ひょろりと背が高い猫背の男で、身長はガウスと同じくらいだ。

 目を前髪で隠しているため表情がわからない。

 しかし印象としては、あまり女性に興味がなさそうだ。


(……それでも、間違いがないとも限らない)


 ガウスはがたりと音を立てて立ち上がり、部屋を出て行く。


「ガウス様、どちらへ?」

「下の様子を見てくる。あいつが何かやらかしているかもしれない」

「これまで問題なかったのに? なるほど。奥様がご心配なのですね」

「違う! 店の奴らが困っていないか見に行くんだ!」

「そうですかそうですか。行ってらっしゃいませ」


 ユアンはにこりと微笑んで、ガウスにヒラヒラと手を振る。

 ガウスはふんっと鼻を鳴らし、事務室の扉を閉めた。




 その時、ガウスがチラリとでもユアンの方を見たならば、気付いたかもしれない。

 ユアンが閉まっていく扉に、鋭い視線を投げかけていたことを。






 ガウスが店舗のドアを開けようとすると、ドアに嵌った窓ガラスからジュリアの姿が見えた。

 もう売り子の仕事に移ったのだろうか。店頭の商品を並べている。

 ……いや、違う。

 どうやらジュリアは商品を店頭から下げようとしている。

 店の中には他にも従業員が居るのが見える。

 流石に堂々と商品を盗んでいる訳でもないだろう。


(では……何をしているんだ……?)


 ガウスはドアを開け、ジュリアに声をかける。


「……お前、何をしている」


 ジュリアはその声にはっと振り返ると、ガウスの顔を見て驚いた。


「ガウス様! これは……」


 少し言い淀んだ後、ジュリアは真剣な表情でしっかりとガウスを見つめた。


「ガウス様。お話がございます。どうか裏手の方へ」


 ジュリアは残りの商品もトレーに乗せると、ガウスと共に歩き出す。

 商品はどうやら、全てクルメル商会オリジナルブランドのサフランのようだ。


 ガウスは何事かと思いながらも、素直にジュリアに従う。

 そしてバックヤードに入ってから聞いた話は、あまりにも衝撃的な内容だった。


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