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3-3

「さて、と。あの(うつけ)も戻ったワケだし。改めて──御用は何かしら?」

ツバキは思考を切り替えるように、一度頭を軽く横に振り──、

「御用があってこんな辺鄙(へんぴ)な処まで来たのでしょう? 冷やかしで来るような場所でもないし、ね……」

──と、彼女は周囲に滑るように視線を巡らせた。

 そう。此処は広大な本部敷地の片隅。訪れる者の少なさ故に放置された修練所。

 他の、設備などがしっかり整えられている修練所ならいざ知らず、冷やかし目的で訪れるには此処は些か──いや、かなり主要施設からの距離も遠く、勿論ながらこの修練所でなければならないような特殊な価値があるワケでもない。

だからこそ、間違いなくあるはずの、その来訪理由をツバキに問われたレーベンはというと──。

「えー? 用が無ければ訪れてはならないのですかー? ここは一応、共用の施設の筈なんですけどねー」

 ──とのことで。

まさかの本当の、冷やかし(まが)いのその言葉に、ツバキの額に青筋が一本浮かんだ。

「あのねぇ……私、見ての通り、暇じゃないのだけれど? まさかとは思うけれど、本当に冷やかし目的なら即刻お引き取り願えるかしら?」

 目障りだから早々に立ち去れ、とその顔にも大きく貼り付けたかのようなツバキにジロリと睨まれたレーベンは、そんな彼女の刺々しい視線を飄々と受け流しながら、のんびりと口を開く。

「やれやれ、本当に短気なお方ですねぇー。……私もちゃんと用事があるから、こんな辺鄙なところまで足を運んだのに決まっているでしょう。──ほら、おいでアメリ」

 ふいに宙に向けて放たれたレーベンの呼び声に、芦毛のペガサスが一頭、バサバサと重い羽音とともに、修練所へと舞い降りて来る。

「ココの修練所はもう使われていなくて、そこかしこに色んな種類の草……と言ってもまあ雑草ですけど、多種多様な草が生え放題なので、アメリの気分転換に丁度良いと思ってたまに放しに来ているのですよー。今では誰かさんに占拠されかかってますけど、ね、アメリ」

 アメリと呼ばれたペガサスは、聡明そうな顔つきで主の顔をじっと見つめ──次いでツバキへとそのつぶらな瞳を向けると、ぶるりと鼻を鳴らした。

 勿論ペガサスの心境など知る由もない不法占拠人は、己へと向けられたその視線に、ペガサス──アメリも主レーベンと同じで、自分へ文句があると取ったのだろう。「文句があるなら桜鍋にしてやるわよ」と喧嘩腰で暴言を叩き付ける。

育ってきた文化の違い故、桜鍋が何であるかを知らないのだろう、レーベンとアメリはそんなツバキの言葉に、互いに顔を見合わせ、首を傾げた。

そして──。

「まあその、サクラナベとやらが何なのかは存じ上げませんが、今回ここを訪れたのは正解だったみたいですねー。悩める兵士の自殺を止められたみたいですしー」

「だから自殺なんかじゃない……というかそもそも悩んでもいないわ! ……って、分かった上で言っているのでしょうね。この腹黒天使」

 誰よりも温かに。そして誰よりも親身に──。仕事の悩みから家庭でのお困り事まで幅広く、悩める兵士達の相談役でもある時の竜騎兵の救護部隊長、レーベン・ツァイト。

中性的な容姿や、その穏やかな口調も相まって、老若男女問わず、彼に心を開く者は非常に多い。のだが──。

生憎と、ツバキにしてみれば、彼は猫かぶりとでもいうのだろうか、まあその手の本性を隠した、ただの性悪であり、心など開ける──どころか、先の戦いの折にも、治す前提で腕を骨折させられかけていたり、歩く重火器と罵られていたりする彼女にとって、彼は一言で言って、ただの天敵でしかなかった。

「天馬の放牧くらい、壁外にでも行きなさいよ。草木なんて生え放題、食べ放題じゃない。好きなだけ其処の天馬と野草を食べて、うっかり毒草にでも(あた)って、死なない程度に一晩悶絶すればいいわ」

 堂々と有毒植物による食中毒を勧めてくるツバキに、レーベンは顰めっ面を顔に貼り付け、その勧誘への拒否を示す。

「えー。食中毒云々以前にー、戦闘に不向きな救護部隊長を単騎で壁外に放り出すとか、鬼畜の所業じゃないですかー? 魔物に襲われでもしたらどうす──」

 ──刹那、一瞬にしてツバキが地を蹴った。

 彼女は地を蹴ったその瞬発力を活かしたまま、レーベンの鳩尾(みぞおち)へと飛び蹴りを繰り出し──。

「わー酷い」

自称、回復専門の天使であるはずのレーベンは大して驚いた風もなく、急襲とも取れるその攻撃を一瞬で見切ると、怪我をしていない左腕で器用に、己の鳩尾を襲う脚をいなすようにして身を躱す。

 だがツバキも、その程度の抵抗は予想の範囲内なのだろう。勢いを付けたまま、両手を地面に突くと、一撃目をいなされた彼女は、振り返りざまに両脚を跳ね上げるようにして、追撃に出た。

「わっ、とと……」

 己の顎へとかち上げるように伸びてくる二本の脚を、身体を逸らしながらギリギリで回避したレーベンは、ツバキからの更なる追撃を見越し、身体を逸らした状態から、そのまま二度ほど後方へと宙返りし、ツバキの脚が届かぬ場所まで距離を空ける。

「もう。急に襲わないで下さいよー。これ、一般兵士だったら今頃重傷ですよー?」

狙ったかのように、己の脚が後半歩ほど届かぬ所まで、──恐らくその安全圏となる距離を理解した上で回避したのだろうレーベンの抗議の声に、仏頂面のツバキは非常につまらなさそうにボヤいた。

「……ほら、そのくらいの腕前があれば壁外でもやっていけるじゃない。さすがね、拷問部隊長さん?」

「ええと、もしかしなくても喧嘩売ってますー?」

「いいえ。誉めているのよ全力で。……それとも何? 喧嘩を売れば買ってくれるのかしら? 品切れのことなら心配しなくても、あの猪男がよく買っていくから在庫はたんまり用意しているけど?」

 拳を構えたまま、円を描くように、じりじりと側方へと移動するツバキと、彼女が接近した分だけその反対側へと逃げるように距離を取るレーベン。

 そうして互いに出方を窺うように、無言で対峙することたっぷり十秒。──「道化ね」とポツリと溢すとともに、先に戦闘の構えを解いたのはツバキだった。

「足──」

 つい、とツバキに己の右足を指差されたレーベンは、意識を半分だけそちらへと向けつつ、首を傾げる。

「あなた、私ほどじゃないけれど、言動と行動が噛み合っていないわよ。……口先でいくら自分は弱い、使えないとほざいたところで、ね」

 分かるかしら、と続けるツバキ。

「本当に弱い者ならば、とっとと逃走できるよう、あなたで言うなら──そう、身体よりも後方にある左足に大半の体重を乗せ、すぐに(きびす)を返せるようにするはずよ。……だけれどあなたは身体の前方にある右足に結構体重をかけているのでしょうね。本当に逃げたい者と比べて、身体の軸の位置が明らかにズレている。ねえ、これであわよくば反撃を目論(もくろ)んでいない、なんてことがあるのかしら?」

 呆れ半分、警戒半分の黒曜の瞳を見返しながら、なに食わぬ顔で「バレましたー?」とレーベンは肩を竦めてみせる。

「こちらが手負いだと油断しているであろう呑気な兵士に、関節技でも()めてあげようと思っていたのですけど、どうやら失敗みたいですねー」

 残念です、と微笑む救護部隊長に、ツバキは渋い顔をした。

「あのねえ……窮鼠(きゅうそ)こそ最も危険な存在に決まっているでしょう。窮鼠を前に呑気に(かちどき)の声を上げる馬鹿猫はうちのカゲロウ一匹で十分よ。鬨を上げている間に鼠はこれ幸いとチョロチョロ逃げるし、急いで追いかけようとしても「ボクがやる!」とかなんとかでカゲロウが足元に(まと)わりついて邪魔なことこの上ないし──」

相棒の黒猫がその場にいないのを良いことに、その頭の緩さに文句を垂れるツバキであったが──、

「オイオイ嬢ちゃん、そこまでにしといた方がいいぜ? なんせバアルは悪口にだけは耳聰(みみざと)いからな。うっかり奴がそれを聞いてた日には「ネズミのせいでバカにされた!」って斜め上の傍迷惑極まりない逆怨みして、ドレストボルン中のネズミを一匹残らず駆除しに掛かるぞ」


 柵で囲われた修練所の敷地への出入口からふいに響いた声に、彼女はそちらへと視線を滑らせる。

「あら、思っていたよりもお早いお帰りね、アスタロト。てっきり今頃、市場近辺で人に(ふん)して街娘でも口説(くど)いているのかと思っていたのだけれど」

「ふふん。俺様が街娘を口説いて遅くに帰ると、どこぞのヤキモチ嬢ちゃんは、すっげえイヤな顔するからな。今日は一人の娘も口説かずに真っ直ぐ帰宅したんだ」

 丁度買い出しから帰ってきたらしいアスタロトは、修練所の出入口の柵に背をもたせ掛けると、己が主へとその浅黒い顔を向け──パチリと片眸(かため)(つぶ)って見せた。が──。

「本気で吐きそうになるから気持ち悪い勘違いしないでくれる? 何処の女が何人あなたに抱き付こうが食事に誘おうが、どうだって構わないし、興味もないわよ。……ただ、パンを買った紙袋を抱えたまま女と戯れるのはやめてって話。何で私があなたの道楽のために、化粧品の臭いの染み付いたパンを夜遅くに食べなきゃならないのよ」

 心底不快だと言わんばかりに鼻の頭に皺を寄せるツバキ。

彼女の不快の原因は言葉通り、化粧品臭いパンを己が食さなくてはならないことについてだけでしかなく、残念ながら、嫉妬や彼の心配などという発想は彼女の中には微塵もない。

 そんな冷めた瞳の主を少しだけ──いや、かなり、不服かつ恨めしそうに横目で睨むアスタロトだったが、いくら睨めど主から、己にとって都合のよい言葉など聞けるはずもなく。

 アスタロトは「そういうトコロなんだよなー」と遠い目でボヤき──、

「何がそういう所なのよ? というか、今あなたは何の話をしているの?」

 ──と、さっぱり彼の言葉の意が掴めないツバキは疑問符を盛大に頭から飛ばしながら、更に独りぶつぶつと呟き続けているアスタロトへと、壊れた絡繰(からくり)を見るかのような、哀れみとも何とも形容し難い視線を向ける。

「何でもない。大した話もしてない。ついでに言えば期待もしてない。……というかするだけ無駄だと知っている。……ほら、そんなことよりも、頼まれてたモノ買ってきたぞ」

色々と諦めた雰囲気を醸し出しながら、アスタロトは手にしていた一つの紙袋をツバキへと振って見せた。

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