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三 修練と焦燥と



 翌日、結局「ローザの夢は私の夢」であるツバキはウェイトレスができそうもない、ということで「ツバキの夢はボクの夢」らしいカゲロウが、まことにややこしいのだが「ローザの夢を叶えたいというツバキの夢を叶えたい」という理由のもと、ローザに化け、職場体験学習へと向かった。

既に時の竜騎兵に入団済みのツバキはそもそも体験学習の必要がないので登校不要であるため、大腕を振って休みを満喫している。──かに思われたのだが。

意外なことに、彼女の姿は修練所(にわ)にあった。

 修練の真っ最中なのだろう。彼女は呼吸も荒く、真剣な表情で修練所の地面に右片膝を突いている。

 『ぐうたら』『サボり魔』『万年無気力』等々、のらくらすることに関しては蔑称に事欠かず、また何か行動を起こすとしてもその大概が賭け事やら酒盛りやらと、とにかくロクなことをしない──と、非常に悪名高いツバキ。であるが──。

そんな彼女が珍しく修練に没頭する理由。それは、怨敵である魔王の配下である悪魔との戦いが熾烈化してきたためである。

親友であるローザと、その父親、そしてカゲロウに平和な世界を約束してあげたい──。

そう決めて、仇敵である天使と手を組んだツバキは、よく言えば『亡き父の言い付けを守るため』、悪く言えば『見栄っ張りなため』、共に暮らす悪魔二匹と、親友であるローザ以外の者にはなるべく気取られないよう、いつもコソコソと秘密裏に修練を積んでいた。



「あなた、ねえ……!」

呼吸も荒く、地に右片膝を突く──そんなツバキの前にゆらりと立つのは陽光を全身に吸い込んで尚、くっきりと漆黒の闇を浮かび上がらせる、彼女の“影”。

己の影が目の前に立っているためだろう。ツバキの足元には、本来ならばそこにあるはずの彼女の影は見当たらない。

「こんの……待ちなさい──!」

 ツバキは目の前に立つ己の影に、ばっと手を伸ばす。──が、そんな彼女を嘲笑うかのように、影は自身を捕縛せんとする手から、ひらりとその身を躱した。

「ああもう! やっぱり出すんじゃなかった!」

悪態を吐きながらも、ツバキは何とか影を捕らえようと躍起になるが、影はゆらゆらと右へ左へ後ろへとその身を翻し続け──ふいに背に響いた衝撃に、影は咄嗟に背後を振り返る。

影の背へと当たったそれは修練所をぐるりと囲む、錆びた鉄柵だった。

「今更気付いたって遅いわよ。ようやく追い詰めた……!」

ツバキはどうやら影を直接捕らえようとしているかのように見せかけて、少しずつ己の影を修練所を囲む柵へと追い詰めていたようだ。

 ツバキ本体に追い詰められ、窮地に陥った彼女の影が、柵から伸びる黒い影から咄嗟に引きずり出したのは、棒のように細長く、(いびつ)(ゆが)んだ漆黒の──。

「正気──!?」

 現世(うつしよ)に現れた闇の脊髄のような、禍々しいその黒影に、ツバキは咄嗟に危険を察知した。

 彼女は一旦、影の捕縛を諦め、法力を叩き込んだ脚で大きく後方に跳び退りながら──、

「間に合わ……ないわね」

──と、一瞬で判断したらしく、彼女は腕で頭を覆い、内腑を守るかのようにその身体を丸める。

次の瞬間、歪んだ『それ』は突如ぼこりと膨れ上がり──(ねじ)れ、(よじ)れ、そしてガクガクと震えるように膨張と収縮を繰り返し──『それ』は弾けるように裂け、漆黒の破片を撒き散らすように四散した。

四散した破片の一部が、宙で申し訳程度の防御態勢を取っているツバキへと一直線に飛来し、破片が丸めた身体に直撃したのだろう。彼女は、その衝撃に身を強ばらせ、──次いで、前後不覚の状態で勢いよく地面に身体を打ち付ける。

地に半ば叩き付けられたかのようなその衝撃は強く、ツバキは肺に溜めていた呼気を一気に絞り出され──くぐもった呻きがその口から漏れた。

「っぅ──……」

声を必死に噛み殺しながら、地に(したた)かに打ち付けた身体に(わだかま)る、痛みと眩暈を外へと追い出し、──ようやく彼女は己の今の状況を理解する。

「あー……」

といっても、地を二転三転、転がった結果か、それとも背を地で削るように滑った結果か、そこは一瞬の出来事だったため記憶もあやふやな、そんな彼女が理解したのは、最終的には己がいつの間にか仰向けで地面に転がっていた、ということくらいで。

しばらく仰向けに転がったまま白い陽の光降り注ぐ空の蒼を眺め、ツバキは目を突き刺す陽の眩しさに、(ひさし)にすべくその右手をゆっくりと持ち上げる。──と、その持ち上げた右手には真っ赤な鮮血がべっとりと付着していた。

負傷することは端から覚悟していたのだろう。ツバキは「やはりか」くらいの感覚で身を起こそうとするが、彼女の意思に反してその身体は全く言うことを聞かず。

「……もしかして……何か神経、やっちゃった……?」

ふいに脳裏を駆け抜けるのはそんな、最悪の想定──。

 とりあえず落ち着こう、と深く息を吸い込もうとする彼女だが、その動作にすら息苦しさを覚え、いよいよ『想定内の最悪』が彼女の目の前にチラつき始める。

「やらかしたなー……」

視界一杯に広がるひたすらに蒼い空を眺めながら他人事のように、ぼんやりと呟くツバキ。

「とりあえず呼吸は何とかできるから、アスタロトが買い出しから戻ってくるのを待つ……しかないわね。……失血死する前に帰ってきてよ、アスタロト……?」

彼女の影が不在である今、『影供』で瑕疵をそこに押し付けることもできないツバキは八方塞がりで天を仰ぐしかなく。

まあ、地を腕で這いずって誰かに助けを求めに行くこともできるといえばできるのだろうが、彼女の性分からすると、まずそれは有り得ない選択肢だろう。

「あ、そうだ。ちょっと(わたし)ー。……って、呼んだくらいで来るはずがないわね。追撃が飛んでこないってことはあちらも無事ではないのでしょうけど」

自業自得よ、とツバキが冷たくボヤいた、──その時だった。

「あのー、縁起でもないので、ここで自殺とか本当にやめてくれますかねー」

ツバキはごく至近距離で不意に掛けられたその声に、自由の利く首だけをがばっと持ち上げる。──と、彼女は全く気付いていなかったようであるが、その身体の上にはいつの間に現れたのだろう。救護部隊長、レーベンが覆い被さるように倒れ込んでいた。

「は!?」

 ツバキは現状が飲み込めないのだろう、何度も目を瞬かせている。

そんなツバキの視界の中では──、

「『は!?』じゃないですよー。あー、意識が戻ってホントに良かったー。偉い自分ー」

──などと呟きながら、レーベンが地面に手を突き、緩慢な動作で彼女の上から身を起こした。そして──。

「うっかり本気で突き飛ばしましたけどー、怪我、してませんかー?」

どうやら彼は影が弾けた瞬間に、全身で突き飛ばすようにしてツバキを庇ったらしく。

本来であれば彼女を襲っていたはずの破片が掠めたと思しき、彼の手の甲はぱっくりと裂け、その指先からは、ほたほたと鮮血が滴っていた。

「ちょっと!? あなた何やってるのよ!? いえ、それよりまさかこの血……!」

ツバキは己の右手に付着した赤に、それが己のものではないと知るが早いか、彼女は迷うことなく、己の纏っていたブラウスの袖を食い千切ると、地に座り込んだレーベンの腕を己の左脇で挟むように固定し、両手で素早く眼前の血を垂らし続ける手へと布を巻き付ける。

 ラファエルの天号を持つ救護部隊長の彼は、そんなことをせずとも、その気になれば手の甲の裂傷程度なら即座に回復させられるほどには、優れた回復能力を持つ。

 敢えて彼がそれを口に出さないのは、咄嗟のこととはいえ、彼女の行動が他者を助けんとするものだからに他ならず──。

 ──と、止血布を慣れた手つきでレーベンの手に巻き終え、布の両端を結びかけたところで、ようやくツバキは彼がラファエルの天号を持っている救護部隊長であったという、その事実を思い出した。

 ──その瞬間、一瞬にして三白眼になったツバキは布を結ぶのを止め、巻いた布の両端を両手で掴むと、彼の手が絞まるように思い切り左右へと引き伸ばす。

「痛い!?」

「『痛い!?』じゃないわよ! うっかり騙されるところだったわ」

 レーベンは「別に騙していませんけどー」とボヤきながら、それでも一応布の両端を結んだツバキから解放された、己の手の甲を擦る。

「自力で回復できるくせに、それを黙っていた。その時点でこちらを騙していたと見なして何が問題だと言うのよ。──それと、あなた、一体今まで何処に隠れていたの」

 ローザに拾われる前──それは僅かな一時であったとはいえ、暗殺者であったという経歴を持つツバキは人並み外れて、他者の気配に敏感なのだ。

 そんな彼女にとって、咄嗟のこととはいえ、一瞬で距離を詰められるほどの距離まで、気付くことなく彼を寄せ付けていたことが不思議でならないようだった。

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