6-2
翌日。
朝一からツバキは盛大にため息を吐きながら、時の竜騎兵本部の廊下を早足で駆けていた。
「どしたのさ。今日のスイーツ嬉しくないの? 嬉しくないの?」
横を並走する黒猫をちらりと見やり「そうじゃないわよ」とボヤくツバキ。
「ってことは、ボクが朝のミルクを飲んでる間に何かあったってこと?」
「違うわよ。ほら、あれ」
ツバキは頭痛がするのか片手でこめかみを押さえながら、空いている方の手指で窓越しに頭痛の元凶を指差す。
主に指差されるがまま、窓枠に前肢をかけたカゲロウは、
「え、あの子どこかで……ってか、何やってんのさ、アレ」
カゲロウは門扉の前で早朝訓練から戻ってきたらしいジオン率いるジオン隊と何やら衝突しているらしい勇者に覚えがあったのだろう、窓枠に前脚をかけたまま記憶を手繰る。
「あ……もしかして学園にいたあの大人しそうな子!? え、ホントに何やってんの!?」
「それを確かめに行くのよ。これから、ね」
本部の正面玄関を出ると、否応なしに聞こえてくる言葉の応酬に、ツバキはますますげんなりした様子で、足を早める。
『とにかくこれ以上言うこと聞かねえなら行軍を阻害したってことで、法に則ってしょっぴくぞ!?』
『はぁ!? 職権乱用じゃないの!?』
『黙れ! わかんねぇのか、見逃してやっからとっとと帰れって言ってんだよ! 時の竜騎兵はただでさえ魔物との戦いで人手が足りてねえってのに、この上壁内の面倒事まで増やしてくれんじゃねえ!』
『面倒事なんて増やしてない! 私はただ──』
ようやく見えてきた門扉に立つ、すっかり勇ましくなってしまった恋する勇者エルマはどう贔屓目に見ても短気かつ目つきの悪いジオンに一歩も退くことなく、全力で突っ掛かっていた。何やら外野が「ジオン様に楯突くなんてとんでもない! 逮捕だ逮捕!」と口々に騒いでいる。
「あなた達の行軍妨害なんかしてない! 私はただ、昨日一日丸々逢えなかったエルマの、白馬の王子様を迎えにきただけなんだから!」
「……はぁ!? 白馬の王子ぃ!? ……って、どっちだ…団長のとこの奴か? いや、シズマ隊の奴か……?」
素直に白馬、というよりは白いペガサスを所持する部隊を思い浮かべるジオン。
「エルマの白馬の王子様は、とっても美しくてカッコよくて…若くしてあの強さ、ああ、思い出すだけで雲の上の御方……」
「若くてツラのいい雲の上の白馬持ち……、ってシズマしかいねえか」
確かに彼には白馬の王子が一番似合うだろう、と何とはなしに思うジオン。
「違う! 確かにシズマ・イヴァノフ・セヴィン様もイケメンだし、写真集とかもいっぱい持ってるけれど、エルマの王子様じゃないわ! エルマの王子様はね──」
「エルマ!」
突如として響いた怒声に、エルマは目に見えて頬を染める。
「き、来たわ! ミツルギ様ーっ!」
エルマはそれはもう全身を使って跳ねながら、手を振る。
「あなた、何してるのよ!? 規律を守らない私が言うのもアレだけど、有事の際に本当に困るのだから隊の進行だけは妨げないで!」
今回はたまたま朝の走り込みからの帰りだから何も支障がないだけであり、これが有事であれば、彼女は本当にお縄につくことになるだろう。
「まさか…白馬の王子様ってテメエか……」
「猪男、言わないで。私だって頭痛がしているのよ……」
そんなボソボソとしたやり取りになど目もくれず、エルマは門扉の片隅に置いてあった大きな箱を持って来る。
「さあミツルギ様、学園に参りましょう! お昼ご飯はほら、ミツルギ様の未来の妻、エルマ・バーダーの手作り弁当ですよ!」
手作り弁当と呼ぶには、両の腕に抱えられたそれは少しばかり凶悪なサイズである。
弁当箱を抱えた、少し震えるその腕がその重さを物語っており、また胸元で抱えても顔が弁当箱で隠れるという驚異の弁当箱の段数を前に、
「豚でも育成する気か……?」
と、ジオンが小さくボヤいた時だった。
「ツバキ、お待たせなのだわ! まさかアンタが先に門まで来てるなんて──」
落ち込んでいたツバキを心配し、昨日は時の竜騎兵に泊まり込んでいたローザが現れた。いや、現れてしまった。
エルマは恋敵が現れた、と言わんばかりに布に包んだ弁当箱を地面に置くと、ツバキの腕にかじりつく。
「へ? 何事?」
当然ながらポカンとするローザを敵愾心に満ちた目で見やるエルマは、
「ヴァイセンベルガーさん、おはようございます。ヴァイセンベルガーさんはここの猫さんと登校して下さい。ミツルギ様は未来の妻である私、エルマと行きますから」
──と、ツバキの足元にいたカゲロウを脚でぐいぐいと押しやる。
「え、と、……は? 未来の妻?」
理解が追い付かないローザは、ただ目を白黒させる──と、去り際を見つけられず、成り行きを傍観するしかなかったジオンが「まずは落ち着け」とその肩を軽く叩いた。
「そ、そうよね。まずは落ち着いて、と。……エルマさん、その、今、未来の妻とか何とか聞こえたんだけれど──」
「はい! このエルマ、ミツルギ様の妻として、尽くし尽くされる覚悟は出来ています!」
ツバキの腕から右手だけを離し、びっ、と敬礼してみせるエルマ。
「あ、あの、アタシが思うに、ツバキから尽くされるコトはまずないかなー、とかなんとか……」
「コイツにだけは無理だな」
ジオンがローザの横でしきりに頷いている。
だが、恋する乙女は強かった。
「じゃあ構いません! 尽くし尽くしますから!」
収拾がつかなくなりかけた不毛すぎる論争は、思いの外あっさり終わることとなった。
ツバキがエルマの手から腕をすっと引き抜いたのだ。
「ミツルギ…様?」
「ツバキ?」
不安そうな二人へとツバキは「遅刻するわよ」と時計塔を指差す。
「え…ええっ!? まずい、遅刻寸前なのだわ!」
「み、ミツルギ様、ヴァイセンベルガーさん急ぎましょう!」
喧々囂々と言い争っている間に、思わぬ時間が経っていたようだ。
弁当箱を掲げてスタコラと駆け出すエルマと、それに倣うローザを見やりながら、
「迷惑かけたわね。隊の邪魔はさせないように、よく言い聞かせておくから」
──と、殊勝にも自ら謝罪するツバキ。
潜入失敗の報告を受けているジオンは、普段の彼女であれば絶対しないであろうその謝罪に、彼女がよほど自信を喪失してしまっているのだろうと踏む。
「別に気にしてねえよ。テメエの未来の妻が愛妻弁当届けに来た。それだけだからな」
将来安泰でよかったな、と冗談めかしてニヤリと口端を吊り上げるジオン。
「そうね。執事がもう一人増えたと思えばいいんでしょ。別にいいわよ。二人で分担してご飯作って、朝起こしてさえくれれば。アスタロトもその方が楽になるでしょ」
「アホかテメエ。妻は執事じゃねえ。というかそれ以前に、テメエは自分の性別に自覚はあるのか?」
「勿論あるわよ。性別、影法師ね。……とりあえず今日の護衛は私だし、あの子達を放っておくわけにはいかないから、行ってくるわ」
じゃ、と軽く手を挙げて走り去っていく背中を見送るジオンの足元には一匹の黒猫。
「影法師って性別じゃねえだろ…ん? テメエは行かねえのか?」
「行くよ? けど、一個だけ聞いておこうかなって」
「なんだよ?」
「今日はつまんないでしょ? つまんないでしょ?」
急に告げられた言葉に「は?」とその顔に理解不能の色を示すジオン。
「いつもなら、ツバキと外でばったり会ったらドンパチ始めるじゃん?」
「そりゃあアイツが喧嘩売って来るからだ」
渋面で答えるジオンにカゲロウは、
「少なくとも、ボクはつまらないよ。なんかこう……尻尾がシュッてなっちゃう」
──と、猫にしか分からないであろう感覚を告げる。
「今度お外で会う時には、二人で殺し合いできるように、ボク、頑張ってツバキのご機嫌直して来るから、待っててね! 待っててね!」
物騒すぎる言葉を残し、タタタ、と走り去っていく猫を見送り、ジオンは、
「それ、殺し合いじゃなくて小競り合いじゃねえか……?」
──と小さく呟いた。




