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6-1

六 師弟



「あ。キノコ栽培してる……」

 ずん、と布団周辺の空気を澱ませ、じめじめとした悲壮感を漂わせる主の姿にカゲロウは髭を震わせた。ツバキが実際にキノコを栽培しているわけではないが、布団一帯の湿っぽさといい空気の澱み具合といい、いつキノコが生えても全く不思議ではない程に、栽培に適した環境になってしまっている。

「うわ…何なのだわ、ココ」

カゲロウと共に部屋に顔を出したローザも、その部屋の異様な雰囲気に顔を引き攣らせている。

「というかこの部屋、初めて来たんだけど、何なのこの廃墟……。何か、全てにおいて切なくなってくるレベルなのだけど……」

真白な漆喰壁やレンガの壁に、細かな金装飾の家具。それらに慣れ親しんでいるローザにとっては、ツバキの理想郷は廃墟でしかないようだ。

「ふ…ふふ、ローザ……疲れたでしょう? こんなピヨっカスの私と、こんな苫屋(とまや)のことなんか気にしないで、夕飯でも食べに行きなさいよ……。んで、そこで私がいかに使えない屑であったか聞くといいわよ……」

「ちょ、ちょっと、ホントにどうしちゃったのよツバキ!? アンタが自分のことをボロカスに言うなんて……!」

熱があるのでは、と布団の傍に膝を突き、キノコ栽培者の額へと手を伸ばすローザ。

「いえ、ないわね。熱。……ってことは故障?」

「ローザ嬢、お嬢を何だと思ってんです? 一応ナマモノですよ?」

本気で故障を疑っているらしいローザに、アスタロトが苦言を呈す。

「ジソンシンの高い奴ほど、鼻っ柱をへし折られたら中々立ち直れないって言うからね。ツバキなんてそのいい見本ってやつだよ。やつだよ!」

カゲロウは世話が焼けると言わんばかりに、桃色の逆三角形の鼻から小さなため息を吐くと四肢を跳ねさせ、掛け布団へと飛び乗った。

「ツバキ、膝」

鼻と同じ、桃色の肉球で主の向こう脛をてしてしと叩き、三角座りをやめた主の膝へと飛び乗るカゲロウ。

そしてそのまま体を半回転させるようにして座り込む姿は、どこからどう見ても家猫そのものだった。

「師匠に会ったんでしょ? 会ったんでしょ?」

己を見上げてくる金の眸と、膝に触れる毛並みの柔らかさにツバキは小さく頷きながら、その艶やかな黒い背を撫でる。カゲロウの背はお日様に当たった布団のようにポカポカと温く、そして陽に照らされた草花のような匂いがした。

「それでどうせ手合わせさせられてさ、結果、看破なきまでにボコスコにやられたんでしょ?」

「ボコ!?」「スコ──!?」

まるで見てきたかのようなカゲロウの発言に、今まで黙って聞いていたローザとアスタロトに衝撃が走る。

「それを言うなら完膚なきまでに、じゃない? とかそういうのはこの際置いておいて、ツバキがボコスコ!? 師匠って実は悪魔とか化け物の類いでしょ!? それしかいないわよね!?」

「どう考えてもそれしかねえだろ! よく生きてたな嬢ちゃん!?」

悪魔もしくは化け物と勝手に断じられたガイルを擁護するべく、カゲロウが半眼で二人を見やる。

「師匠は人間だよ。しかも異能すらない、一介の人間」

「一介の人間!? いや、そりゃ流石に無理があるわバアル。一介の人間に嬢ちゃんをボコボコにできるような奴なんざいた日には、悪魔という存在のブランド価値は大暴落も良いところだぞ」

「……アホタロト、ボクもお前と一緒で最初はすごく驚いたんだけど、師匠はホントにホントの一般人なんだよ。きっと後にも先にも一人だけだよ。ただの人間であれ程の力を持っているっていうのはさ」

カゲロウは彼ほど豪放磊落で、馬鹿げた強さを持っている人間を他に見たことがなかった。

──そしてそれは。

「きっとこれから先の人生、いや、悪魔生でも見られることはないだろうね、きっと」

「ど…どんなバケモノなのだわ、その人……」

「大らかで豪胆。快活にして──変態、ですね」

急に割って入った声に、ローザは「うひゃあっ」と変な声を上げる。

「し…シズマ様ぁ!?」

ローザが開け放していた小屋の入り口に立っていたシズマは「驚かせましたか?」と少しだけ済まなさそうに眉尻を下げると、靴音を響かせながら部屋へと入ってきた。

アスタロトとカゲロウはさすがに悪魔なだけあり、隠す気のないシズマの気配を随分前から感知していたのだろう。彼の来訪に取り立てて驚いた様子はない。

「ツバキ。僕も心底、強さというものを思い知らされましたよ。まさか彼のような傑物が、あのような場所で、陽に当たることすらなく(くすぶ)っていたなんて……」

勿体ないと言わんばかりのシズマに、カゲロウは「そーでもないよ?」と首を傾げる。

「陽に当たることすらなく、じゃなくて、当たる気がないんだよ。あの人はあそこがすごく気に入っているからね」

カゲロウの言葉に、ツバキは俯いたまま小さく頷く。

「あの業界は力が全てだからね。あの師匠にとっては、あれほど居心地の良い場所は他にないんだよ」

そんなカゲロウの言葉にもシズマは納得がいかないのだろう。「ですが」と言い募る。

「あれほどの力があれば、真っ当な暮らしだってできるのですよ!? それこそ悪臭漂う下水とは無縁で、高級なお酒だって──」

「あー、これはボクじゃなくて、あの師匠の理論なんだけどね。美味い酒は──」

「値段じゃない。踏み倒した酒だ」

ポツリとツバキがその言葉を継ぐ。

「酒も女も欲しいものは全て踏み倒して手に入れる。それがこの業界の醍醐味だ──師匠から何度教わったか……」

ローザはよっぽど「それ、教わらなくていいんじゃ……」と喉から出かかったが、何とかかんとかそのまま言葉を飲み下した。

「……どうせ、あの白髪男だって私に怒っているのでしょう? 使えない屑だって」

よほど精神をやられているのだろう。ツバキの自虐は続く。

「大口叩いておいて潜入の一つすらろくに出来ず、赤っ恥を曝しておいて、平然と生きている蛆虫(うじむし)。一介の人間にすら勝てず後れを取る屑以下の汚物──とか、その類いのことを言われたんでしょう、あなた」

「い…いえ、それはありません。断じてありません……」

その、あまりのやさぐれ具合に若干引き気味のシズマであったが「あのですね」と来訪の本来の目的を思い出す。

「その団長からの言伝なのですが、明日は非番で良いので気晴らしに学園でも行ってこい、とのことですよ」

「そうよね…使えないもんね……」

決してそういう意味合いでの発言ではなかったのだが、残念ながら自尊心を滅多打ちにされた彼女の精神は口に入れるとほろほろと崩れる砂糖菓子よりも脆い。

「やれやれ…ツバキ、明日は放課後、一緒にお買い物行きましょう!」

「嫌よ。なんでまた、買い物なんかに……」

 全く乗り気でないツバキに、ローザはずい、と詰め寄る。

「そんなのアンタが塞ぎ込んでいるからに決まってるのだわ! 昔から決まってるのよ! 落ち込んだ時にはお店で衝動買いしてからの、スイーツなのだわ!」

衝動買いには微塵も惹かれなかったツバキだったが、その後が大事だった。

スイーツ。あまいもの。おいしい。しあわせ。

パフェは美味しい。あんみつならもっと嬉しいけれど、生憎とあんみつ文化は自分が里ごと根絶やしにしてしまったため、そこは素直に諦めるしかない。

とりあえず今一つだけ、確かに己に分かることは、何でもいいからスイーツをヤケ食いしたい。それだけ。

「し…仕方ないわね。ローザを一人で買い物に行かせるわけにもいかないし、付き合ってあげるわよ」

豆腐よりも脆い主のメンタルが少し回復したのを掌越しに感じ取ったカゲロウは、四肢を突っ張るように一度伸びをすると、その膝から飛び降りたのだった。

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