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5-2

 翌朝、空が白み始めた頃。ツバキは時の竜騎兵の正面門で、カゲロウに己が不在中のローザの護衛を託しつつ、ちらりと横目で隣を見やった。

 彼女の視線の先には半ば放心状態の優男が二人。

 悲しいかな、優男──否、優男だったはずの二人、シズマとレーベンは、今やどう見ても『高身長の美女』でしかなかった。

「ぷぷ……いやぁ、我ながら、いい出来だわ」

 化粧品からは全力で逃げられた為、致し方なく隊服の上から女物の服を着せ、シズマの頭にロングヘアのウィッグを被せたアスタロトが、目の前の美女の姿に、必死に込み上げる笑いを押し留めている。

因みにレーベンは髪を下ろしただけであるが、それはそこ、元より中性的な顔立ちの彼は女性の出で立ちに全く違和感などない。

「レーベン、辛いです……。僕、本当に今、辛いです……」

「団長命令です……。無心で耐えましょう、シズマ」

 ──と、涙を飲む二人にアスタロトから怒声が浴びせられた。

「くぉら! 私語は禁止だって言ったろが! 見た目は俺様の天才的な服選びのセンスによって街娘そのものだが、テメエらの野郎声まではどうしようもねえんだよ!」

 会話すら奪われた哀れな二人は切ない表情で、どちらからともなく顔を見合わせ──、がっくりと肩を落とす。

「時に嬢ちゃん、アンタはアンタで、ホントにその格好でいいのかよ?」

 ふいにアスタロトに話を振られたツバキは己の体を見下ろし、首を傾げた。

「その格好って?」

「いや、毎回思うんだが、別に学園に行くワケじゃねえんだから、白服着なくてもいいんじゃねえか? 隊服もあるんだしよ」

 アスタロトの言わんとするところが漸く掴めたらしいツバキは「ああ、そのこと」と合点がいったのだろう。何度か首を縦に振る。

「馬鹿ねえアスタロト。私がこれを好き(この)んで着る理由。それは……これが自費かつ特注の白服だからよ!」

「いやいや、自費かつ特注だからこそ、隊服にすれば支給品だから金もかからねえし、手入れも楽。良いことずくめじゃねえかって言ってんだよ」

 至って正論を述べるアスタロトへと、ツバキは「甘いわね」と人差し指を横に振り──、

「無償の隊服や安物の私服だと、出先で絶対に忘れて帰るじゃない!」

 どうよ、と言わんばかりに彼女は胸を張った。

「あーそうだな。うん、常人なら『アホか』と言うところだが、嬢ちゃんなら驚かねえわ。……アンタにゃ無駄に高価な白服(それ)が丁度良い」

 諦めたような表情のアスタロトに、ツバキは「それにね」と続ける。

「入団した時に隊服と制服、着比べみて気付いたのだけれど、数年間もつように作られている制服って、生地は隊服並に頑丈なのだけど、隊服に比べてこっちの方が圧倒的に、私の動きに支障が出なかったのよ」

 ──と、ツバキはスカートを翻すように一回くるりと回ってみせる。

「知っての通り、影法師は脚に法力を叩き込んで武器とすることもあるわけだから、ズボンか膝丈の、細身のスカートしかない隊服より、断然こっちの……ええと、プリーツスカートって言うんだっけ? まあこっちのスカートの方が良いってわけ」

 どうやら彼女には彼女なりの理屈があって白服を着ていたらしい。

「なんだ、そういうちゃんとした理由もあるんじゃねえか。……隊服なら洗うのが楽だとか乾かすのも楽だとか色々思っていたが、そういう理由なら仕方ねえさ。俺様がいつものようにきっちり手洗いして、皺一つない状態に戻してやるから、きっちり働いて来い」

 ニッと笑んでみせるアスタロトに、「勿論よ」と頷き返すツバキ。

「じゃあ行ってくるわね。後は任せたわよ、カゲロウ、アスタロト」

「ツバキ、気をつけてね、気をつけてね!」

「天使共も上手くやれよー」

 と、別れの挨拶もそこそこに、悪魔に見送られながら、一行は門扉を後にした。

 道中、一行の先頭を行くツバキは、とぼとぼと付いてくる、しょげ込んだ犬のような表情と足取りの、哀れな二人組へと声をかける。

「どうせ、何で馬車じゃないの、とか思っているのでしょうから先に断っておくけど、あなた達が思っているよりずっと、暗殺業界って身近にあるものなのよ。それこそ、馬車なんて不要なくらいの距離に、ね。灯台もと暗しってやつよ」

「そうなのですか?」

 少しだけ目を丸くするシズマに、ツバキは「そんなものよ」と返す。

「生と死、光と影が常に隣り合わせであるように、暗殺と日常生活も、誰もが意図しないだけで、常に隣りにあるもの──」

 ツバキは早朝の静かな街並みを見回し、皮肉気にそう呟く。

 早朝、というよりは夜明け間際、といった方が正しいかもしれない。僅かに湿気を含んだぼやけた白に微かな紺の混じる空。

まだ殆どが夢の中にいるのであろう人々の、その大半が考えすらしないだろう。

 いつも目にするこの街並みも、皮一枚剥げば、そこは死臭漂う空間なのだ、などと。

「まあ、私なんかに言われなくたって、時の竜騎兵の天使であるあなた達なら、私の(たと)えから遠からず近からずの──この街が薄氷の上に建っているに等しいことくらいは、気付いているのでしょうけれど」

 不安定なまやかしの如き平穏。

 誰もがその薄氷(へいおん)を安心して踏み歩いている。その薄き氷の下には彼らを虎視眈々と狙うならず者が(うごめ)くとも知らずに。

「そうですね。──その薄氷を不動の大地だと(うた)い、民の目を塞ぎ、彼らに仮初めの安寧の中で生きてもらう。その為に我々はいるのですから」

 レーベンは躊躇うことなく、そう言い切ると「酷だと思いますか?」とツバキへと肩を竦めてみせる。

「魔物の脅威から彼らを護り、都市に法を敷く。そうすれば彼らはそこを秩序の保たれた安全な処と考えるでしょう。──たとえ、魔物が壁一枚隔てた、都市のすぐ外を這いずり回り、法に(そむ)く輩が薄氷の下で舌舐めずりしていたとしても」

 其処に民の目が向かないように、口当たりのよい平穏の中、彼らの目を真綿で塞ぎ、柔らかな微睡みを(いざな)う。

「酷かどうかは分からないけれど、本当にそういう処が大嫌いではあるわね。あなた達は決して……民に『(うそぶ)く』とは言わないのだから」

 ツバキは忌々しげにそう吐き捨てると、少しだけ歩みを早める。

 ──仕方のないことではあるのだ。

 時の竜騎兵にできることには限りがある。ならば、彼らにできる精一杯で、民の幸福を導かなくてはならないのだから。

 ならば、目先の障害を取り除き、安心しきった民の目を塞ぐ。それが最善となることもあるだろう。

 そうして話はどちらからともなく断ち切られ、静寂の中、足早に歩くこと二十分程。

 ツバキは「着いたわよ」と(おもむろ)に足を止めた。

「着いたって……あの、何もないんですが……」

 シズマが小声でボソリと呟く。

 それもそのはず。周囲の景色は至って普通の、人っ子一人いない街道沿いであり、怪しげなところなどどこにも見当たらない。

「まあ、そう思ってくれなきゃ困るわね。ほら、こっちよ」

 ツバキは下水の流れる側溝脇にひらりと飛び降りると、側溝脇をしばらく進み、水路の突き当たりに()まっていた鉄格子に手をかける。──と、それはいとも簡単にポコリと抜けた。

「まさか……この先、ですかー?」

 汚水の臭いが充満する水路の先を、眉を(ひそ)めて見やるレーベン。

「そ。ほら、行くわよ」

 ツバキは二人を先に水路へと押し込むと、抜いた鉄格子を元へと戻す。

 狭いと思われた水路は案外広く、成人男性が屈まなくても進めるくらいの高さもあった。

「ああ、敢えて黙っていたんだけれど──」

 背後を振り返り、ニコッと笑むツバキと目が合ったシズマは、彼女のその顔に底知れぬ嫌な予感を覚え「な、なんでしょう」と引き気味で首を傾げる。

「今のあなた達の姿。二人共、すっごく師匠好みだから……せいぜい気をつけることね」

 彼女は「何に」とは言わなかったが、彼女の言葉に、シズマとレーベンは謎の吐き気と悪寒に襲われた。

「僕、ちょっと……本当に気分悪くなってきたんですけど……」

「ははは、私もですよー……。さっきから寒気が止まらないんですよねー……」

 顔を引き攣らせながら、ボソボソと会話する二人。

 ツバキはそんな二人の脇をすり抜け、再び先頭に立つと、薄暗い水路を歩き続ける。

──やがて仄かな明かりが水路の奥に見え始め、

「明かり、ですね」

「ああ、あれは拠点の篝火(かがりび)よ」

どうやらその明かりの正体は『鮫の巣』の拠点の入口で焚いている、篝火の明かりのようだった。

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