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4-3

「はい、今、何時だ?」

物置小屋(じたく)の扉前ではアスタロトが額に青筋を浮かべながら立っていた。

 どうやら帰ってこない主を心配し、既にすやすや夢の中のカゲロウとは違い、彼はずっと寝ずに待っていたらしい。

だが、そんな彼への弁明などそっちのけになるほど、ツバキが気になって気になって仕方がないのは──、

「扉の前でお玉片手に持ったまま腕組みして待ってるって……」

なんてベタな母親(オカン)像!

必死に吹き出すのを堪えるツバキだったが、表情の変化は隠し切れていなかったようで。

アスタロトは「うるせぇ、お玉のことは放っとけ!」と犬歯を剥き出しにしながら吠え──つつも、さりげなくお玉を持つ手を背後に隠した。

「んなくだらねぇコトより、遅くなるなら何らかの形で連絡を寄越せ! このバカ!」

「な、何なの何なの何なのよぅ……! これでも私、妖怪トマッテケから必死に逃げ帰ってきたのに! 私、今回ばかりは褒められこそすれ、怒られる筋合いはないじゃないのよぅ……!」

妖怪トマッテケ。急に話題に上がった謎の存在に、一度怒気を霧散させたアスタロトだったが──、

「そうかいそうかい。そりゃお疲れ様。んで、またどこで喧嘩(やらか)してきたんだそれ?」

怒気は霧散すれど、そこには呆れが残っていた。

がっとツバキの腕を掴み、前後に持ち上げ、その服に付着した汚れを確認し始めるアスタロト。

どうやら、血塗れのツバキがまたどこかで喧嘩をして来たと思っているらしい。

「喧嘩なんてしてないわ!」

「へーへー。喧嘩吹っかけた奴は大概そう言うの」

「何よ! あなた、私が信じられないって言うわけ!?」

「んや、信じてるぞ。──嬢ちゃんの喧嘩っ早さを。……ふんふん、一、六、十二……、ん? ビーフシチュー?」

ツバキの服の裾の臭いに、アスタロトは少しだけ眉根を寄せた。

「さすが悪魔、ね。魔力はそう簡単には戻らないのだろうけど、身体能力は徐々に取り戻していっているってところかしら?」

「元が脆弱な人間の身体だからなぁ、悪魔の宿体に相応しい完全な器にまで組み換えていくのにゃ、数百年ほどかかりそうだが……まあぼちぼち悪魔らしくは戻っていってはいるんだろうよ。……で、嬢ちゃん、俺様の鼻が今──」

「ハイハイ、皆まで言わなくても、あなたの嗅覚が告げている血臭の人数で、正解よ。ビーフシチュー男も含めて、十二人の暗殺者に学園の帰りに襲われたのよ。まあ無傷で返り討ちにしたけど」

アスタロトの言葉を遮り、何でもないことのように帰りの出来事を話すツバキ。

レストランで暗殺者に襲われたこと、路地裏で全員返り討ちにしたこと、そして──。

「──女子生徒を家まで送って行ったら、そのまま捕まって、夕飯を食べるまで帰してもらえなかったのよ。ああ疲れた」

エルマのくだりで、どっと疲労が吹き出たのだろう。ツバキはげんなりした表情で宙を仰ぐ。

「とりあえず今日はもう、誰でもいいわ。誰か、本部のそこら辺を歩いているでしょうお偉いがたの天使サマに暗殺者の件を報告したら、私は寝るわ」

 時刻は二十三時過ぎ。夜遅いとはいえ、宿直の天使は大勢いるため、報告先には困らない。

「お偉いがたの天使ねえ……あ、そういや数時間前だったか、例の白い団長が嬢ちゃん訪ねて此処に来たぞ。不在だって言ったらすぐに去ってったが……もしかしなくても」

「おそらく、この件についてでしょうね」

 さすが時の竜騎兵、情報が早い。と内心で舌を巻くアスタロト。と、どうやらツバキも同じことを思ったのだろう、宙を仰いだ体勢のまま、彼女は面白くなさそうに一度鼻を鳴らした。

「うーむ、狙う旨味の少ない一般兵が集団に襲われたってのは確かに妙だとはいえ、それでも高々、暗殺者に襲われた程度で団長自らが出向いてくる…か? まあ、報告しないワケにはいかないだろうがもう夜も遅いんだ。さっさと行って、できるだけさっさと報告なり何なりして帰って来い。寝る前にすぐ飛び込めるように風呂は沸かしておいてやるからよ」

アスタロトは暗殺者について考えることをやめ、如何に早くツバキを清潔な状態で床に就かせるか。そんな己の執事業務へと思考を切り替える。が──、

「ええっ!? え、えーと、お風呂は……そうね、私が戻ってきてから沸かしたのでいいわ」

宙を仰いでいたツバキは『風呂』という言葉に肩をびくりと跳ねさせたと思うが早いか、慌てたように顔を正面へと戻すと、次いで首を横へとブンブン振った。

「んあ? なんでだよ」

戻ってきて、すぐに入れた方がいいじゃん。と続けるアスタロトへと、逃げるように本部の方向に向かって走り出したツバキは少しだけ引き攣った表情で振り返り、

「だって沸かされたら入るしかないじゃな……じゃなかった。ほ、ほら、伝達係でなく、わざわざ白髪男が自ら出向いて来たのでしょう? ──何やら大事(おおごと)な予感がするしー? 話が長丁場にならないとも限らないしー? せっかくのお湯が冷めても嫌だから、お風呂は帰ってからでいいわ!」

などと、もっともらしい理由をつけながら、彼女は風呂から逃げた。──のだが、咄嗟に思い付いたのだろうその自らの思考に、ふいにツバキは表情を固くした。

「……いえ、本当に大事(おおごと)である可能性が高いわね。これがただの杞憂であればいいのだけど……」

 固いままの表情で何やらぶつぶつ呟きながら足早に、執務室に恐らくいるであろうヴァイスの元へと向かうツバキ。


 彼女の予想通り、もう夜も遅いというのに団長ヴァイスは執務室で山積する書類の山に向き合っていた。



「情報、さすがに早いわね」

 ツバキはノックどころか声掛けすらせずに執務室の扉を開け放つと、ドカドカと中に乗り込んだ。

 机に向かい、書類に何かを書いていたらしいヴァイスは、

「ふむ、生きているようだな」

 ──と、心配していたのやらしていないのやら、といった風情でチラリとツバキを一瞥し、再び書面に向き直る。

「か弱い女の子が暴漢に襲われている情報を入手したのなら、助けてくれたって良かったんじゃない?」

 冗談なのか本気なのかよく読み取れない作り物のような『不機嫌』を顔に貼り付け、ツバキは勝手に、ふんぞり返るように応接用の豪奢な椅子に腰を下ろした。勿論着替えてなどいない、血濡れの制服のままで、である。

制服に染み込んだ血がいくら乾燥しているとはいえ、椅子が汚れてしまうことは間違いないため、ヴァイスはツバキのその行動に少しだけ眉を顰める。

「馬鹿かお前は。こちらが入手した情報自体が、路地裏で集団死している暗殺者の一団だぞ。助けて欲しいのならせめて情報に上がるまで、そこに居ろ」

 集団死。その言葉にほんの一瞬だけツバキは顔を曇らせた。

ああ、やはりか。と、少しだけちくりとするような、痛みにも似た小さな感情を、ツバキはすぐに『不要なもの』として己の中から掻き消した。

「それもそうね。面倒なのにわざわざ阿呆共の相手なんてせずに、のらくらしながら救援を待っていればよかったわ。……そういえば、すぐに私はその場から立ち去ったのに、よく後から私が襲われたって分かったわね?」

「同刻に馬車でレムベルグの巡視にあたっていたイェンロンと、第二都市であるオスナブガルトの、時の竜騎兵オスナブガルト支部とやり取りをする為に移動中だったアマラが暗殺者に襲われた。ならば、今回の集団死の情報からして、タイミング的にも学園からそう離れていなかったという場所的にもお前が襲われた可能性が高いだろうと思ってな」

 あくまでも憶測だったのだろうが、それは見事に正解で。

ツバキは、それはもう面白くなさそうな表情で「ご名答」と、ヴァイスのその憶測が間違っていないことを乾いた拍手とともに認めた。

「つまらないけど正解よ。そこで襲われたのは、レストランに寄って帰ろうとしていただけなのに何故か暗殺者を仕向けられた可哀想な私でした。……しっかしまあ、同時にあの二人の天使の暗殺、ねぇ。いやはや遣わされた暗殺者には同情するしかな──」

「いや、アマラが負傷した。今レーベンが治療にあたっているが──相当な深手でな。未だに昏睡したまま、目覚める気配もない」

 ツバキへと現状を告げながら、ヴァイスは小さく目を見瞠った。

 アマラの負傷。その一言に、ツバキの顔から一瞬にして、余裕と冷やかしが消えたからだ。

「アマラの負傷については時の竜騎兵の内部機密だ。ただでさえ最近、壁内がごたついているというのに、この状況下で更にアマラが負傷したなどと民に知れ渡れば、彼らの生活に直に響く。それだけは避けねばならん」

 ヴァイスとて、ツバキがむやみやたらとそれを学園や街中で吹聴しないことくらいは分かってはいる。

 その言葉は念押し、くらいの意味だ。

「乳牛が重傷なら、暗殺者は…どうやって退けたの?」

「それは……、襲われた場所が悪かったのだろう。目撃者もいない為に未だ不明のままだ。応援要請を見知らぬ伝書鳩から受けた第二支部の天使が現場に着いた時にはもう全てが決していてな。地には暗殺者の死体と、恐らくはアマラを襲う為に人質にされたと思しき赤子と、負傷したアマラや彼女を庇った兵士達が倒れ伏していたらしい」

「はっ、馬鹿じゃないの。赤子一人の命と引き換えに自分が死ねば、ドレストボルン上空の守護はどうなると思っているのかしら」

鼻の頭に皺を寄せ、凍てついた声で零すツバキ。

怒気を抑えているのだろうその冷声の主をヴァイスは一顧だにすることなく、

「私やシズマなら、もし現場にいればだが……お前と同じで赤子を見捨てる道を選ぶだろう。だが、アマラやレーベンは目の前の命を切り捨てられん性分なのだ」

──と、幾分か疲れの滲む声でそう呟く。

まあそんな慈悲深い性格だからこそ、彼らは『癒し』と『守護』の能力を持っているわけなのだが。

「私は嫌い。この前私の修練の邪魔をした挙句、私を庇って負傷したど阿呆な天使も、たった一人の見知らぬ赤子のために命を落としかけたその大馬鹿者の天使も」

自分に言い聞かせるように、自分の気持ちを確かめるように、小さく呟かれたツバキのその言葉を、ヴァイスは聞かなかったことにしたのだろう。彼がそれについて触れることはなく。

「赤子は既に母親に引き渡している。…なんでもその母親が言うには、市場で品物の値踏みをしていたところ、急に見知らぬ男に赤子を腕から引ったくられ、そのまま拐われてしまった、と。まあその直後に母親が時の竜騎兵に救助依頼の為に駆け込んで来ていたからな。引き渡しに手間はかからなかった」

 ヴァイスは一度目を伏せると、羽根ペンをペン立てに立て、ゆっくりと執務椅子から立ち上がった。

「これから私はアマラの所へ向かうが、付いて来るか?」

 彼の誘いには普段の彼女であれば「やだ」やら「面倒」やら「興味ない」の一言で、まず乗ることはないのだが、ヴァイスから「相当な深手」とアマラの容態を告げられている今、さすがにそんな悠長なことを言っている気分ではないのだろう。ツバキは固い表情で応接用の椅子から立ち上がった。

「まだ生きているうちに、あの阿呆面を見納めておくとするわ」

いがみ合いも、貶し合いも、相手がいて初めてできること。

一人では、いがみ合おうとした、貶し合おうとした、それらの言葉はただの悪口になってしまうのだ。

故に、ツバキは最低限の悪態を吐くに留め、くい、と親指を立てて扉を指し、ヴァイスへと案内を促すのであった。

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