04 身分
「ところで、アレクシス様」
突然、リヒトがニーナから僕に目を移したので、「はい」と僕は答える。
「アレクシス様は、使用人も護衛も伴わず、お一人でこちらにいらしたのですか」
「はい、先生のお宅に伺うときは、一人では来ています」
なぜ、そんなことを聞くのだろう。
「今のお話は、アレクシス様、公爵家のご子息であるあなたが、お供を連れずにお一人で市場にいらして、暴漢…市井ではゴロツキというのですが、ゴロツキと対峙して、暴力を振るわれそうになったということなのですね」
リヒトは、意地の悪い笑みを浮かべる。
「この事をお知りになったら、公爵様は、さぞやご心配されるでしょうね」
僕はどきりとした。
確かに、父さんに知れたら、なぜ市場にいたのかとか、なぜ殴られそうになったのかとか、いろいろ聞かれそうだ。
そのとき僕が上手く説明できないと、最悪の場合、今後は、危ないからと、一人では出させてもらえなくなるかもしれない。やばい。
「別に、今日のことを父に話す気はありません」
僕は、思わず、不満そうな声になる。
リヒトは眉をあげた。
「そうはいきませんよ、我々も聞いてしまいましたし、シモン先生も、アレクシス様の安全を図る必要があるでしょう」
僕は慌ててシモン先生を見る。それって父さんに告げ口する気?
先生は困った顔をしている。
「アレクシス様」リヒトの口調が強くなる。
「今回は、お怪我がありませんでしたが、そもそも公爵家のご身分で、市井のゴロツキに、たった一人で対峙することなどあってはならないことでしょう。ご自身で身を守るすべはお持ちでないのですよね? 怪我をされたかもしれませんし、警官につかまって、公爵家のあなたが、スリの一味と疑われるようなことになってしまったかもしれません。それは、お考えでしたか?」
それは…、もちろん、考える前に、行動していた。
いや、でも、僕にだって言い分はある。
「じゃあ、あなたは、目の前で、子どもが殴られるのを、何もしないで見ていろというのですか」
リヒトはふっと息を吐いた。少し目付きが険しくなる。
「あなたが、暴力を受ける子どもを助けようとした、心根には感心いたします。では、どうやって子どもを助けようと思ったのですか? ゴロツキがあなたの言うことを素直に聞くと思ったのですか? ゴロツキすることに口を挟んでみただけで、後先、考えてなかったのではありませんか?」
反論できない。だから、腹が立つ。
なんで僕が、商人風情に、こんなに風に言われなくてはならないんだ。しかも初対面なのに。
「おやおや、そのお顔は、商人風情に諭されるいわれはないと、おっしゃりたいようですね」
僕がムッとしたまま顔をあげると、微笑みを浮かべながらもぼくを見据えているリヒトと目が合う。
「私は、ただ、年長者としてご助言させていただいているだけです。でも、そのように、素直に聞き入れていただけないとすると、やはり、これは、公爵様に今回のことをお伝えしておく必要がありそうですね? シモン先生」
それは嫌だ。反論したいけど、きっとその倍言い返されそうで、なにも言えない。
僕は、上目遣いにリヒトを見たまま、押し黙る。
でも、僕は間違ってない。
「まぁあ、そのくらいで許してやれよ、リヒト。」
マルクスの明るい声がした。楽しげな表情だ。
「シモン先生。アレクシス様も、いつも危ない目に遭っているわけではないのでしょう? 今回のことは、我々の胸の内にしまっておくということでいかがでしょうか。アレクシス様は、もう無理なことはなさらないでしょうから」
マルクス!なんて物わかりのあるいい人だ! 弟のリヒトとはまるで違う!
僕は尊敬の目でマルクスを見た。
「そうだな、アレク、今後は、無茶はしないでおくれよ」
シモン先生の言葉に頷く。
「アレクシス様、我々は仕事がありますので、失礼します。これからあなたと一緒に学ぶ妹を、よろしくお願いしますね」
「はい」
僕は笑顔で頷く。
マルクスは、リヒトと共に部屋を出ていこうとして、ドアのところで、ふと立ち止まった。
「ニーナ」
マルクスに呼ばれて、ニーナが顔をあげた。
「勉強が終わったら、私の部屋に来なさい」
「はい、わかりました。お兄様」
ニーナは、笑顔が消えたまま、マルクス達を見送る。
僕は、ふと、今自分がやらかしてしまった失敗に思い当たった。
もしかしたら僕は、助けてくれた恩人を売ってしまったのかもしれない。
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