第2話 東条和哉
今日は新入部員の顔合わせ会があるっていうのに、なんでこういう日に限って居眠りをしちまったんだ!
教室で目を覚ました俺は、猛ダッシュで剣道部に向かった。
やっと部室が見えたところで、走るのをやめてゆっくり歩き始める。部室のドアの前で呼吸を落ち着かせていると、突然後ろから声がした。
「入部希望の方ですか?」
驚いて振り返ると、女の人が立っていた。髪は肩より少し長めで、落ち着いた感じの人だ。
「あっ!東条和哉くんよね?話は聞いてるわよ。どうぞ」
なんで俺のことを知っているのか不思議に思ったが、きっとマネージャーかなんかだろう。
後について部室に入ると、中から「いらっしゃーい!」と大声が聞こえた。茶髪の元気そうな人だ。この人もマネージャーだろうか。そして、この前俺をスカウトしてきた主将が「待ってたぞ!」と嬉しそうに手を振っている。
今年の新入部員は三人だけのようだ。最初に新入部員が自己紹介をして、次に部員の自己紹介。最後は主将の番だ。
「主将の高瀬守だ。主将って呼ばれるのは、なんかガラじゃないから高瀬先輩って呼んでくれ。そしてこちらは、マネージャーの杉本菜実と森村柚希だ」
「菜実さん、柚希さん、って呼んでね」
主将の紹介が終わると、茶髪のマネージャーが即座に言う。その隣に、さっき入口で会った人もいる。やっぱりマネージャーだったようだ。
その時、バーンとドアが開き派手な女が入ってきた。
「遅れてすみませーん!」
「おお、来たな。こちらは、新しくマネージャーになる白河百合華さん。一年生だ」
「よろしくお願いしまーす」
自己紹介の後は早速稽古だ。
一緒に稽古してみて、この剣道部でまともなのは主将の高瀬先輩ぐらいだということがわかった。それでも俺のほうが強いだろう。
「おい、東条。ちょっといいか」
休憩に入ってすぐ、高瀬先輩に声をかけられた。
高瀬先輩は俺に興味津々で、質問攻めだ。「いつから剣道やってるんだ?」から始まり、どこでどんな風に練習してきたのか、などなど。
俺は六歳から剣道を始めた。「剣士になりたい」と親に言ったら、近所の怖いおじさんが趣味でやってるという道場に放り込まれ、わけも分からずしごかれた。そのうち剣道自体が楽しくなり、ずっとその道場で厳しい稽古をしてきた。
中学、高校でも剣道部には入らなかったので大会とかにも出たことはなかったのだが、去年、学校の剣道部の顧問に大会に出てくれと突然頼まれた。選手が一人、急病で出場できなくなったらしいのだ。そんなわけで急遽入部して、大会に出ることになった。
「そうか、だから急に去年から名前が出てきたのか。今まで部活には入ってなかったのに、大学ではなんで入る気になったんだ?」
「去年は途中で棄権する羽目になって。自分がどこまで行けるか、試してみたくなったんです」
最後に高瀬先輩がニヤッとしながら言う。
「全国優勝、狙うか?」
「もちろんです!」
俺もニヤッとしながら答えた。
いろいろ話してみて、俺は高瀬先輩の剣道に対する真剣な気持ちに好感を持った。いつもは自分の話をするのは面倒なのであまり好きではないが、話してもいいと思えた。
全国優勝か……。それも悪くない。本気でやってみるか。
数日後の大学からの帰り、駅の改札を出てしばらく歩いていると、「あーっ!」と大声が聞こえた。何事かと思い声のした方をみてみると、なんとマネージャーの柚希さんだ。
部活中は真面目で完璧な人って感じなのに、公衆の面前で大声を出すなんて意外だ。
「柚希さん、どうしたんですか?」
柚希さんは俺を見て驚いた様子だったが、恥ずかしそうにうつむきながら小声で言う。
「財布がないの。部室に忘れてきたみたい。取りに行かないと」
「えっ、今から?もう閉まってますよ」
「だって、家に何もないんだもん。本当に何も……」
昨日の夜にキッチンの整理をしたらしく、そのときに調子に乗っていろいろ処分してしまったそうだ。
柚希さんはこの世の終わりのような表情をしている。
たかが一食抜くぐらいでそこまで絶望的になることはないだろうと思ったが、そんなに腹が減っているなら仕方ない。
「じゃあ、おごりますよ」
「えっ! ほんとに? でも、おごってもらう理由ないし。明日、お金返す」
「いえ、金の貸し借りは好きじゃないんで、おごりでいいです」
「でも……。じゃあ、今度私がおごるね」
律儀な人だ。まあ、おごってもらって当前とか思っている図々しい女よりは、よっぽどいい。
俺たちはラーメン屋に入った。柚希さんはラーメンってイメージではないが、俺が食べたい気分だったんだから合わせてもらおう。
ラーメンを食べながら、いろいろなことを話した。
柚希さんはこの春から一人暮らしをしているらしい。親が急に転勤になったそうだ。まだ一人暮らしに慣れていないから今回みたいなことが起こってしまったと、言い訳をしている姿がおもしろい。
部活のときはしっかりしている柚希さんのドジな一面が、すごく新鮮に感じた。
ラーメンを食べ終わり、店を出た。
「ごちそうさまでした。今日は本当にありがとう。飢え死にしないで済んだ」
「一食抜いたぐらいじゃ死にませんよ」
からかうように言うと、柚希さんは恥ずかしそうに笑う。柚希さんの意外な一面を知ることができて、俺はなんだか得した気分になった。
柚希さんと分かれた直後、後方から嫌な気配がした。振り向くと、猛ダッシュでこっちに向かって来る男がいる。同じ社会学科の横山涼だ。
涼とは家が近いということでつるむようになった。女好きで全く話が合わないと感じているが、料理に対する涼の思いだけは認めている。
涼の夢は、一流のシェフになることらしい。小さい頃から、レストランを経営をしている父親を見てきた影響のようだ。その夢に向かって、ホテルの高級レストランでアルバイトをしている。
いつか本場で修業したいらしく、フランス語を独学で勉強中だ。
面倒なヤツに見られたな……。今から質問攻めに合うことを考えると、さっきまでの楽しい気分が台無しになった。