表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
イェルフと心臓  作者: チゲン
第三部 人間とイェルフ
60/61

21頁

 シュイは、苛立いらだちと焦燥しょうそうの日々を過ごしていた。

 とうとう恐れていた事態が起きた。彼女が頻繁ひんぱんに人間の村に出入りしていることが、父イグセトーンにばれてしまったのだ。

 二度目となると、父も看過かんかできなかった。

 罰として、無期限の謹慎きんしん処分を言い渡された。おかげで、この数日はほとんど軟禁状態である。

 ひとつ所にじっとしていることが苦手な彼女にとって、この罰は応えた。

 しかも外は快晴だ。せめて近くを散策するくらいは……と懇願こんがんしたが、父は断固として首を縦に振らなかった。

「ほら、ふて腐れてないで、い物でもしましょう」

 母のシューンが気を利かせて、話し相手になってくれた。母だけは、事の真相が明るみになっても娘を庇ってくれた。

 彼女が人間の村に出入りしていることに、薄々感づいていた節があった。

「人間の村で、何かあったの?」

「別に何もないわ」

「でも最近ずっと元気がないじゃない。お父様も、あれでけっこう心配してるのよ」

「娘を家に閉じこめるような親が?」

「判ってあげて、シュイ。人間の村に出入りしていたことが判った以上、何らかの罰を与えないと里のみんなに示しがつかないの」

「……なんで人間の村に行っちゃいけないの?」

 シュイは口を尖らせながら、ベッドにごろんと横になった。

 母が困ったような笑みを浮かべる。

「人間とは関わりあいにならないっておきてだから。それにそれは、麓の人間たちも判ってるはずよ。だから私たちは、今までうまくやってこれたの」

「そんな大袈裟おおげさに考えなくても、たいしたことないわよ、人間なんて」

「私は怖いわ。だって、彼らは私たちを憎んでるんですもの」

「そうかしら」

 確かに初めは、村人はシュイを怖がっていた。だいたいポロノシューに出会ったきっかけも、人間のせいで負傷したからだ。

「あいつらは、あたしたちのことをよく知らなくて、無駄に怖がってるだけなのよ」 

 それは私たちも、だけどね。そう付け加える。

 実はあの村は、様々な事情で故郷にいられなくなった人間たちが、自然と集まってできた集落らしい。いつかポロノシューが教えてくれた。

 だからイェルフ族に限らず、余所よそ者に対して閉鎖的になりがちなのだ。

「あいつも、故郷に戻ったら罪人だって言ってたし」

 何があったのか知らないし、詳しく詮索せんさくするつもりもない。

「でも、みんなちゃんと生きてるわ」

 この里のように資源に恵まれていない分、彼らは手を取りあい、必死に生命と向きあっていた。

 明日の食べ物に事欠く者もいる。着る物がなく、むしろを被っている者もいる。

 黙って行方をくらませたり、時には山中で自ら命を絶つ者もいるという。それでも彼らは、貪欲どんよくにあがいている。

「お母様は、人間のこと嫌い?」

「あまり好きじゃないわ」

「人間と話したことある?」

「それはないけど……」

「たぶん、この里で人間とちゃんと話したことあるのって、あたしくらいじゃないかな」

 父や兄でさえ、機会があったとは思えない。少なくともシュイが物心ついてから、そのたぐいの話を聞いたことは一度もなかった。

「……どうでもいっか。どうせ、あいつとはもう会うこともないんだし」

 例えこの謹慎が解けたとしても、村に行くことは、もうないだろう。

 シュイは溜め息を吐く。

 その晩、彼女は眠れずに何度も寝返りを打った。昼寝をし過ぎたせいもあるだろうが、頭のなかがもやもやして、どうにも寝付けなかった。

「あいつ、どうしてるかな」

 一人の男の顔が脳裏を横切った。

 ちゃんと食事をしているだろうか。酒に溺れていないだろうか。また塞ぎ込んだりしていないだろうか。

「もっと強い奴だと思ってたのに」

 あんなに偉そうにしておきながら、簡単にもろさを見せる男は、少なくともイェルフ族のなかにはいない。

 結局ろくに眠れないまま、シュイはひと晩を明かした。

 明け方、うとうとしていたところへ、喧騒が聞こえてきた。

 館のなかを、数人の者が出入りしているようだ。

「なにかあったのかな」

 怪訝に思って居室の方へ行ってみると、父イグセトーンと兄イクルが着衣を整え、腰に曲刀をいて出ていくところだった。

「なにかあったの?」

 ピリピリした緊張感に、さすがのシュイも不安を覚えた。

「まさか人間が攻めてきたとか……」

「当たらずとも遠からずだな」

 イクルが答えた。

「怪しい人間を、捕まえたそうなんだ。もしかしたら斥候せっこうかもしれない」

 父と兄は、早足に館を出ていった。

 人間が簡単に辿り着けないよう、里までの道は巧妙に偽装してある。それを見抜いてここまで辿り着くとは、よほどの手練れかもしれない。

 不安と好奇心が相まって、シュイはこっそり父たちの後を追った。

 早朝だというのに、広場には人だかりができていた。父と兄……そして目隠しをされ、四肢ししを縄で縛られた人間の男が土の上に転がされている。

 その姿を見た瞬間、シュイは悲鳴にも近い声をあげて、その男の名を叫んだ。

「ポロノシュー!」

 まごうことなく、ポロノシューだった。

 捕縛される際に、暴行を受けたのだろう。体じゅうに擦り傷やあざがあった。

「……その声、シュイか」

 ポロノシューの口から、かすれた声がこぼれた。

「なんであんたがここに……」

「おまえ、こいつを知っているのか」

 イクルが曲刀を抜いて、切っ先をポロノシューに突きつけた。

「やめて!」

 シュイが、ポロノシューとイクルの間に立ちはだかった。

 父や兄、周囲の者たちが、どよめく。

「おまえ何を……」

「この人、あたしの恩人だから。斥候なんかじゃない」

 シュイはポロノシューの目隠しを外してやった。

 次いでいましめも解こうとしたが、固く結んであってなかなか解けない。

「何をしている!」

 イクルが、シュイの肩をつかんだ。

「放して!」

 シュイが鋭い声をあげ、イクルの手を払った。

「……!」

 兄を睨む目は、真剣そのものである。

「おまえ……人間を庇うというのか」

 イクルの声が、しだいに怒りを帯びていく。

 だがシュイは無視して縄を解いている。

「答えろ!」

「まあ待て、イクル」

 それまで沈黙していたイグセトーンが、曲刀を抜くと、娘とポロノシューの間に割って入った。

「人間よ。我らの里に近付くなら、相応の覚悟はしていたのだろうな」

「…………」

 ポロノシューは頷いた。

「何をしにきた?」

「やめて、お父様。怪我してるのよ。早く手当てを……」

「いいんだ、シュイ」

 ポロノシューは、きっぱりとシュイの言葉をさえぎった。

「おまえに会いにきたんだ」

「えっ?」

 思わず、シュイは耳を疑った。

「いま、なんて……?」

「怪我人に何度も言わせるな」

「いいから、もう一回」

「……腹が減った」

「なんですって?」

「ひと晩じゅう歩いてきたから、腹が減った。何か食わせてくれ」

 そう言って、ポロノシューは唇の端を吊り上げようとした。しかし痛みに呻いて、まったく様にならなかった。

「……ほんとに、バカなんだから」

 ポロノシューの顔が、みるみる、ぼやけていく。

「ほんっとに……あんたって……」

 父や兄、同胞たちが見ている前で、シュイは大粒の涙を流した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ