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シュイは、苛立ちと焦燥の日々を過ごしていた。
とうとう恐れていた事態が起きた。彼女が頻繁に人間の村に出入りしていることが、父イグセトーンにばれてしまったのだ。
二度目となると、父も看過できなかった。
罰として、無期限の謹慎処分を言い渡された。おかげで、この数日はほとんど軟禁状態である。
ひとつ所にじっとしていることが苦手な彼女にとって、この罰は応えた。
しかも外は快晴だ。せめて近くを散策するくらいは……と懇願したが、父は断固として首を縦に振らなかった。
「ほら、ふて腐れてないで、縫い物でもしましょう」
母のシューンが気を利かせて、話し相手になってくれた。母だけは、事の真相が明るみになっても娘を庇ってくれた。
彼女が人間の村に出入りしていることに、薄々感づいていた節があった。
「人間の村で、何かあったの?」
「別に何もないわ」
「でも最近ずっと元気がないじゃない。お父様も、あれでけっこう心配してるのよ」
「娘を家に閉じこめるような親が?」
「判ってあげて、シュイ。人間の村に出入りしていたことが判った以上、何らかの罰を与えないと里のみんなに示しがつかないの」
「……なんで人間の村に行っちゃいけないの?」
シュイは口を尖らせながら、ベッドにごろんと横になった。
母が困ったような笑みを浮かべる。
「人間とは関わりあいにならないって掟だから。それにそれは、麓の人間たちも判ってるはずよ。だから私たちは、今までうまくやってこれたの」
「そんな大袈裟に考えなくても、たいしたことないわよ、人間なんて」
「私は怖いわ。だって、彼らは私たちを憎んでるんですもの」
「そうかしら」
確かに初めは、村人はシュイを怖がっていた。だいたいポロノシューに出会ったきっかけも、人間のせいで負傷したからだ。
「あいつらは、あたしたちのことをよく知らなくて、無駄に怖がってるだけなのよ」
それは私たちも、だけどね。そう付け加える。
実はあの村は、様々な事情で故郷にいられなくなった人間たちが、自然と集まってできた集落らしい。いつかポロノシューが教えてくれた。
だからイェルフ族に限らず、余所者に対して閉鎖的になりがちなのだ。
「あいつも、故郷に戻ったら罪人だって言ってたし」
何があったのか知らないし、詳しく詮索するつもりもない。
「でも、みんなちゃんと生きてるわ」
この里のように資源に恵まれていない分、彼らは手を取りあい、必死に生命と向きあっていた。
明日の食べ物に事欠く者もいる。着る物がなく、筵を被っている者もいる。
黙って行方を晦ませたり、時には山中で自ら命を絶つ者もいるという。それでも彼らは、貪欲にあがいている。
「お母様は、人間のこと嫌い?」
「あまり好きじゃないわ」
「人間と話したことある?」
「それはないけど……」
「たぶん、この里で人間とちゃんと話したことあるのって、あたしくらいじゃないかな」
父や兄でさえ、機会があったとは思えない。少なくともシュイが物心ついてから、その類いの話を聞いたことは一度もなかった。
「……どうでもいっか。どうせ、あいつとはもう会うこともないんだし」
例えこの謹慎が解けたとしても、村に行くことは、もうないだろう。
シュイは溜め息を吐く。
その晩、彼女は眠れずに何度も寝返りを打った。昼寝をし過ぎたせいもあるだろうが、頭のなかがもやもやして、どうにも寝付けなかった。
「あいつ、どうしてるかな」
一人の男の顔が脳裏を横切った。
ちゃんと食事をしているだろうか。酒に溺れていないだろうか。また塞ぎ込んだりしていないだろうか。
「もっと強い奴だと思ってたのに」
あんなに偉そうにしておきながら、簡単に脆さを見せる男は、少なくともイェルフ族のなかにはいない。
結局ろくに眠れないまま、シュイはひと晩を明かした。
明け方、うとうとしていたところへ、喧騒が聞こえてきた。
館のなかを、数人の者が出入りしているようだ。
「なにかあったのかな」
怪訝に思って居室の方へ行ってみると、父イグセトーンと兄イクルが着衣を整え、腰に曲刀を佩いて出ていくところだった。
「なにかあったの?」
ピリピリした緊張感に、さすがのシュイも不安を覚えた。
「まさか人間が攻めてきたとか……」
「当たらずとも遠からずだな」
イクルが答えた。
「怪しい人間を、捕まえたそうなんだ。もしかしたら斥候かもしれない」
父と兄は、早足に館を出ていった。
人間が簡単に辿り着けないよう、里までの道は巧妙に偽装してある。それを見抜いてここまで辿り着くとは、よほどの手練れかもしれない。
不安と好奇心が相まって、シュイはこっそり父たちの後を追った。
早朝だというのに、広場には人だかりができていた。父と兄……そして目隠しをされ、四肢を縄で縛られた人間の男が土の上に転がされている。
その姿を見た瞬間、シュイは悲鳴にも近い声をあげて、その男の名を叫んだ。
「ポロノシュー!」
紛うことなく、ポロノシューだった。
捕縛される際に、暴行を受けたのだろう。体じゅうに擦り傷や痣があった。
「……その声、シュイか」
ポロノシューの口から、掠れた声がこぼれた。
「なんであんたがここに……」
「おまえ、こいつを知っているのか」
イクルが曲刀を抜いて、切っ先をポロノシューに突きつけた。
「やめて!」
シュイが、ポロノシューとイクルの間に立ちはだかった。
父や兄、周囲の者たちが、どよめく。
「おまえ何を……」
「この人、あたしの恩人だから。斥候なんかじゃない」
シュイはポロノシューの目隠しを外してやった。
次いで戒めも解こうとしたが、固く結んであってなかなか解けない。
「何をしている!」
イクルが、シュイの肩を掴んだ。
「放して!」
シュイが鋭い声をあげ、イクルの手を払った。
「……!」
兄を睨む目は、真剣そのものである。
「おまえ……人間を庇うというのか」
イクルの声が、しだいに怒りを帯びていく。
だがシュイは無視して縄を解いている。
「答えろ!」
「まあ待て、イクル」
それまで沈黙していたイグセトーンが、曲刀を抜くと、娘とポロノシューの間に割って入った。
「人間よ。我らの里に近付くなら、相応の覚悟はしていたのだろうな」
「…………」
ポロノシューは頷いた。
「何をしにきた?」
「やめて、お父様。怪我してるのよ。早く手当てを……」
「いいんだ、シュイ」
ポロノシューは、きっぱりとシュイの言葉を遮った。
「おまえに会いにきたんだ」
「えっ?」
思わず、シュイは耳を疑った。
「いま、なんて……?」
「怪我人に何度も言わせるな」
「いいから、もう一回」
「……腹が減った」
「なんですって?」
「ひと晩じゅう歩いてきたから、腹が減った。何か食わせてくれ」
そう言って、ポロノシューは唇の端を吊り上げようとした。しかし痛みに呻いて、まったく様にならなかった。
「……ほんとに、バカなんだから」
ポロノシューの顔が、みるみる、ぼやけていく。
「ほんっとに……あんたって……」
父や兄、同胞たちが見ている前で、シュイは大粒の涙を流した。




