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イェルフと心臓  作者: チゲン
第三部 人間とイェルフ
42/61

3頁

 シュイの部族は、三十年ほど前にこの山に流れ着いた。

 同じ頃、麓には人間の集落もでき始めていた。

 両者は互いの存在を知りつつも、山の中腹と麓とに別れ、接触を避けて暮らしていた。

 互いに干渉しないという不文律が、いつの間にかできあがっていたのだ。二種族の対立の歴史のなかでは、稀有けうなパターンと言えるだろう。

「人間はみんな野蛮だって聞いてたけど、この男は、そういう感じには見えないわね。すっごい暗いけど」

 目の前で黙々とスープをすすっている男を、シュイは上目遣いに盗み見した。

 もう日はすっかり暮れている。

 ポロノシューと名乗った男が持ってきた食事は、ぱさぱさのパンと、貧相な芋のスープだった。

「毒なんか入ってないでしょうね」

 匂いを嗅ぎ、顔をしかめる。

「こんなの、あたしたちの里だったら犬も食べないわ」

贅沢ぜいたくを言うな」

 感想が口から出ていたらしい。シュイは、さっと顔を赤らめた。

「……ほんとのこと言っただけじゃないの」

「これでも奮発ふんぱつした方なんだが」

「肉は?」

「ない」

「魚は?」

「干物ならあるが」

「……遠慮しとくわ」

 シュイは項垂うなだれる。

 どうやらこの男は、相当に貧しいようだ。医者という触れ込みだったが、怪しいものである。

 結局、空腹には勝てず、スープを口に運んだ。腹に入れば同じだろう。

「……うすい」

「そうか」

「このパンも、全然味がしないんだけど」

「スープにひたして食うといい」

 シュイはのどの奥で唸った。

 美味い不味い以前に、これを料理と認めたくなかった。

「よく、こんなの平気で食べられるわね。味覚がおかしいんじゃないの?」

「食べないと治らないぞ」

「判ってるわよ」

 渋々、シュイは手を動かした。

「お母様のスープを食べたら、腰抜かしちゃうんじゃないかしら」

 いつもなら、一家で食卓を囲んでいる時間なのだ。シュイの里は恵み豊かで、冬でも食糧に困ることはない。

「この芋、スカスカなんだけど」

「いちいちうるさい奴だな。贅沢を言うなと言っただろう」

「む……」

 子供扱いされているような気がして、シュイは憮然ぶぜんとした。

「土地がせているから、こんなものしか育たないんだ」

「あっそ」

 シュイはスカスカの芋をフォークに刺し、まじまじと見つめる。

 いちいち味わっても甲斐がないので、一気に食べてしまおう。そう思い立って、パンとスープを一気に口のなかへ掻き込んだ。

「ごふっ」

 思わず咳き込む。さすがに詰め込みすぎた。

「落ち着いて、ゆっくり噛め」

「ふうふぁい」

 うるさい、と言ったつもりだ。

 何とか咀嚼そしゃくして飲み込むと、軽く息を吐いた。

 ポロノシューと目が合った。

「……なに見てんのよ」

「イェルフの娘は、みんな、おまえみたいなのか」

「どういう意味よ!」

 ガン、と食卓を掌で叩く。

「別に他意はないが」

「ふん」

 腹立ちまぎれに、真ん中の皿からおかわりのパンを取り上げ、乱暴にかじりついた。

「気に入ったんなら、まだあるぞ」

「いらないわよ」

 袖で口元のパン屑を拭う。

 ふと右足首の包帯が目に入った。動かすと、まだ少し痛む。

 もっとも、沢から落ちてこの程度の怪我で済んだのだから、幸運と言わざるを得ない。打ち所によっては、生死に関わったかもしれないのだ。

 それだけではない。

 もし、彼女を追っていた猟師たちに見つかっていたら。

 そう思うと背筋が寒くなる。

「……なんであたしを助けてくれたの?」

 食事も済み、ひと心地ついたところで、シュイは切りだした。

「俺は、あの辺りで薬草を採っていただけだ。よく生えているからな」

「じゃあ、なんで連れてきたりしたのよ。あたしはイェルフ……あんたたちの敵なのよ」

 敵という単語を、殊更に強調して言う。

「ヤブだが、俺も一応医者なんでね。怪我人を放っておく訳にはいかない」

 ポロノシューは淡々と言った。

 のらりくらりと言いくるめられているようで、シュイは少し苛立った。

「村の連中にばれたら、どうすんのよ。あんただって、ただじゃ済まないかもよ」

 もしシュイの里で、誰かが人間を家にかくまおうものなら、たちまち大騒ぎになるだろう。村ならぬ里八分にされてしまうか、最悪追放されてもおかしくない。

「心配してくれるのか?」

 ポロノシューが、真顔で訊いてきた。

「そ…そんな訳ないでしょ!」

 慌てて弁解するが、声がうわずってしまった。取りつくろうように咳きをする。

「なんか、他人事みたいね。ひょっとして、村の連中と仲悪いの?」

「それはないな。少なくとも、この家にいる限りは安全だ」

「んなこと言って、油断したところを後ろからブスッとやる気じゃないでしょうね」

「だったら、とっくにやっている」

「う……」

 何とかぼろを出させ、会話の主導権を握ろうとするが、またしても軽くいなされた。

「じゃあ、あたしの体が目当て、とか……?」

 言ってから、自分がとんでもないことを口走ったことに気付く。

「……なんてね」

 冗談っぽくごまかそうとしたが、語尾が情けないほど震えていた。

 だがそれならば、全ての説明がつくのだ。

 恐る恐る、ポロノシューの様子を窺う。目論見もくろみが露見した獣は、開き直ったように獲物に襲いかかる……ことはなかった。

 ポカンとした顔で、シュイの顔を見つめている。彼女が口にした妄想など、これっぽっちも考えていなかったふうだ。

 皮肉にも、初めて感情らしいものを見ることができた。

「……うう……」

 もっとも、そんなことを感じる余裕もなく、シュイは顔を真っ赤にして項垂れていた。

 言うに事欠いて、乙女にあるまじきことを……。

 恥ずかしい。穴があったら入りたい。

「気分でも悪いのか? また熱でも……」

 ポロノシューが、押し黙ったシュイの額に手を伸ばしてきた。

「さ…触らないでってば!」

 シュイは、咄嗟とっさにその手を払った。

「あ……」

 食卓に気まずい沈黙が降りた。

「あ…あの……」

 シュイは言葉に詰まる。

「それだけ元気なら、もう心配なさそうだな」

 ポロノシューが席を立ち、何事もなかったように食器を片付けだした。

「…………」

 むしろ、怒ってくれた方が気が楽だったかもしれない。

 口のなかに、芋の味も忘れてしまうほどの、後味の悪さが残った。

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