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薄暮。
焚き火を熾し、早い夕食を摂る。
一日、山を下った。
ただしウタイの足の状態もあって、歩みは遅々としたものだった。それでも彼女は、決して弱音を吐くこともなく、また助けを乞うような素振りも見せなかった。
「疲れた……」
子供の頃から狩りやら冒険やらで野山を駆け回っていたウタイだったが、さすがに疲労は極度に達していた。
ずっと杖を握っていたせいで、左手がまだ強張っている。
それを右手でほぐしながら、ウタイはポロノシューに、なぜ自分を助けたのか改めて訊いた。
「成り行きだと言っただろう」
ポロノシューは、およそ正義感とは無縁の顔で答えた。
ウタイは、あからさまに疑いの眼差しを向けた。
「で、わたしをどうするつもりなの?」
「別にどうするつもりもない」
火を浴び、陰影濃い眼窩の奥から、ポロノシューは鉛のような目を覗かせる。
気味が悪くて、思わずウタイは目を逸らした。
「じゃ…じゃあそもそも、なんであんな所にいたのよ。ほんとはあなたも、わたしの里の秘宝を狙ってたんじゃないの?」
「そうだ」
「ぶふッ……!」
まさかあっさり認めるとは思わなかったので、飲んでいた薬草スープを吹きだしてしまった。
「やっぱり、あなたも……」
あの野伏たちといっしょだ。
ウタイは憎悪を込めて、ポロノシューを睨みつけた。椀を投げつけてやりたくなったが、どうせ当たらないと思ってやめた。
「そりゃ欲しいわよね。だって、イェルフの秘宝で不老不死になったくらいなんだしね」
腹いせ代わりに、例の伝説になぞらえて揶揄してやった。もっとも、相手がその伝説を知らなければ意味さえ通じないのだが。
するとポロノシューが、傍らに置いてあった曲刀に手を伸ばした。
「えっ?」
痩せぎすの体が跳んだ。
斬られる!?
ウタイは反射的に目を閉じた。
肉の切れる音。くぐもった悲鳴。
驚いて振り返ると、一見して人相の悪い男が、ちょうど血飛沫をあげながら卒倒するところだった。
「な……」
「あと二人」
ポロノシューは身を翻すと、いきなりウタイの体を左脇に抱え上げた。
「きゃっ」
そのまま、跳躍する。
今まで二人がいた場所に、二本の矢が突き立った。
再び跳ぶ。
矢が地面に刺さる。
娘一人を抱えているにもかかわらず、常人を超えた膂力と素早さで、放たれる矢を払い、あるいは躱していく。
人間業とは思えない。
刺客に駆け寄り、腹を突いた。
「あと一人……!」
横あいから一本の矢。
今しがた突き刺した刺客の体を、盾代わりにする。矢は、その哀れな肉塊に刺さった。
刃を抜いて、ポロノシューが再び駆ける。その腕のなかでウタイも疾風となる。
矢がポロノシューの左腕を掠めた。血が僅かに飛び散った。しかし怯むことなく、刺客との間合いを一気に詰める。
刺客が弓を捨て、太刀に手を掛ける。
遅い。
曲刀一閃。
刺客は、血と悲鳴をあげて倒れた。
ポロノシューは、その胸に躊躇なく曲刀を突き刺した。刺客は二、三悶えると、そのまま動かなくなった。
短い戦闘が終わった。
血なまぐさい匂いが漂ってくる。
「いま……のは……」
ウタイは掠れた声で呟いた。うまく舌が回らなかった。
ポロノシューが、両手でウタイの体を抱え直し、土の上にそっと座らせる。
「野伏だ。おまえを追ってきたんだろう」
「わたしを?」
そうか。わたしは追われる身だった。
「わたしを……」
血の気が引いた。
体が震えた。
風もないのに、不安と恐怖が胸の奥に押し寄せ、引き、押し寄せ、ウタイは怯えた。
だが彼女は、大切な使命も思いださねばならなかった。
「行かなきゃ……」
「どこへ?」
「南の里よ」
あっと声をあげ、口に手を当てる。が、もう遅い。
口が滑ってしまった。
「仲間に、危険を知らせてやるという訳か」
「うう……うるさい!」
ウタイは唇を強く噛んだ。
「あなたたちさえいなきゃ、こんなことにはならなかったのよ!」
人間さえいなければ。
「お父様が死んだのも、お母様が殺されたのも……全部、あなたたちのせいじゃない!」
「…………」
ポロノシューは、無言で彼女を見下ろしている。
「……何よ?」
その視線の先を追う。
「あっ」
ウタイは咄嗟に両手で胸元を隠した。包帯がほどけ、服の切れ間からあられもない姿が覗いていたのだ。
「片付けてくる。じっとしていろ」
羞恥で小さくなったウタイに背を向け、ポロノシューは闇のなかへ姿を消した。
ウタイは、彼が消えた先を真っ赤な顔でねめつけた。だが、野伏の死体を引きずる音が聞こえてくると、慌てて顔を背けた。