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イェルフと心臓  作者: チゲン
第二部 イェルフの子供たち
39/61

25頁

 アコイとトリンは、里の外れにいた。二人ともジイロに呼びだされたのだ。

「ジイロったら……人を呼びだしといて、何やってんのよ」

 トリンはすっかりおかんむりである。

 横目で見ながら、アコイは微笑を浮かべた。

 食糧もろくになく、満足に眠れない日々も続いたせいか、一時トリンは体調を崩していた。今はそれも快復して、持ち前の明るさを取り戻している。

「ちょっとアコイ、何笑ってんのよ」

「何でもないよ」

 憮然ぶぜんとするトリンだが、アコイの笑みに釣られるように笑った。

 笑ったのは久しぶりだ。

 風が二人の間を走り抜ける。

 木々が揺れ、夏の匂いを漂わせた。

「もう、一年も経つのね」

「ああ」

「始めはどうなることかと思ったけど」

 あの夜のことは、まだ鮮明に覚えている。戦火に落ちる家や、同胞たちの悲鳴。目の前で殺された赤子の姿。

「一年で、ここまで住めるようにしたんだ。凄いことだよ」

「みんな必死で頑張ったもんね。ジイロなんか、ほんとに死に物狂いって感じだったし」

「そうだな。そんな奴だよな、あいつは」

「あっ、もちろんアコイだって頑張ってたからねっ」

「思いだしてくれて嬉しいよ」

「もうっ、そういうんじゃなくて……」

 慌てて弁明するトリンに、アコイはまた微笑んでみせる。

「ところでトリン、先延ばしになってたあの話なんだけど……」

「えっ?」

 そのとき草むらが揺れ、ようやくジイロが姿を見せた。

「遅いじゃないの。何やって……」

 文句を言いかけて、トリンは困惑した。

 ジイロが旅装を整えていたからだ。

「よう」

 腰の曲刀が、鳴る。

「俺、行くわ」

 ジイロは言った。

「行くって、どこへ?」

 トリンは怪訝な顔で訊いた。

「さあな」

「何よ、さあなって……」

「そうだな。さしずめ、俺の夢が実現できるところへ、ってとこかな」

「夢って?」

「イェルフの国を造るんだよ」

「あんた、まだそんなこと言ってんの!?」

 トリンは思わず声をうわずらせた。

「そんなもの、できる訳ないじゃない!」

「やってみなきゃ、判んねえだろ」

「判るわよ!」

 前にも、こんな会話を交わしたような気がする。

 ジイロはあのときと同じように、目を輝かせていた。

「そりゃ、今すぐには無理だ。でも、いつかきっと……必ず造ってみせる。イェルフだけの国を。みんなのために。おまえのために」

「わたしの……」

 その言葉に、トリンは頬を赤らめた。

 ジイロは、寂しげに微笑んだ。

 彼がそんなふうにして笑うところを、トリンは初めて見たような気がした。

「おまえは、アコイといっしょになれ」

「え……?」

 だからその発言に、トリンは耳を疑った。

「な…なに言ってんの……?」

「そんで、たくさん子供を産め。たくさん子供を産んで、もっともっとイェルフを増やせ」

 からかっているのではない。

 ジイロの顔は真剣だった。

 不意にトリンの視界がぼやけた。

 彼は本当に真剣なのだ。

「いつか俺が、おまえたちを迎えにくる。そのときまでに、もっと仲間を増やしとけ。人間に負けないくらいにな」

「そんなの……」

「俺が無理でも、俺の子供が、必ずおまえたちの子供を迎えにくる。だからそれまで……」

 ジイロは言葉を詰まらせた。

「それまで待ってろ」

 トリンの頬を、涙がひと筋、伝って落ちた。ジイロの顔がよく見えなかった。

 それがもどかしくて、トリンは何度も目をこすった。擦っても擦っても、彼の顔は見えなかった。何か言おうとして、言葉さえ浮かばなかった。

「やっぱり行くんだな」

 アコイは呆れた様子で、ジイロを見つめている。

「何だよ、お見通しかよ」

「おまえのことなら、何でも知ってるつもりだ」

 止めても聞きやしないこともな。アコイはそうぼやき、ジイロは苦笑した。

「トリンを頼む」

「おまえに言われるまでもないよ」

「それと部族のみんなもな」

「シダおばさんは?」

「ありゃ、殺したって死なねえさ」

「同感だ」

 兄弟は互いに笑いあった。

 ひとしきり笑った後、アコイは息を吐いた。

「本当におまえは、子供の頃から変わらないな」

「そうか?」

「待ってるぞ」

「ああ」

 ジイロは二人に背を向けると、歩きだした。

 声を掛けようとして、アコイは口を開いたが……言葉は意味をくれなかった。

「待ってよ!」

 トリンが涙を振り払うように、大声で叫んだ。

「なんでよ……なんで勝手に行っちゃうのよ! ジイロのばか! ばか!」

 その声が届いたのだろうか。ジイロが背を向けたまま、片手を挙げた。

「ばか……」

 もう一度、トリンは呟いた。

 泣きながら。


 (第二部 完)

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