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イェルフと心臓  作者: チゲン
第二部 イェルフの子供たち
36/61

22頁

 八人目を斬ったところまでは数えていた。

 足元には野伏や、同胞たちの骸が、無数に転がっている。

 父の形見でもあるイェルフの曲刀は、決して斬れなくなることはない。

 しかし重い。疲労は徐々にジイロの動きを鈍らせる。

 もはやかせと化したその曲刀を、それでもジイロは握りしめた。いつ斬られたのか、体のあちこちに無数の切り傷を負っていた。

「人間ども」

 呪詛じゅその言葉は、物言わぬ野伏の骸に。

 悲鳴があがった。すぐ近くだ。

 ジイロは駆けだす。

 燃え盛る小屋が崩れ落ちた。火の粉が飛び散り、ジイロは身をよじってかわした。

 里は炎上した。

 家も畑も、懐かしい遊び場も、全てが焼け落ちつつあった。

 崩れ落ちた小屋の向こうに、倒れたイェルフと、その前に立ちはだかる男の姿があった。

「あいつは!」

 夜襲の日、ジイロの背後を取り、アコイに重傷を負わせた男。

 その強さは、他の野伏を遥かに凌駕りょうがしていた。彼がいなければ、アコイも怪我はしなかったし、仲間も死なずに済んだのだ。

 ジイロは男に駆け寄ると、有無を言わさず斬りかかった。

 男は不意に現れたジイロの一撃を、その太い刀身で正面から受け止めた。

「殺してやる!」

 ジイロは唸った。

 男は、歯を剥きだしにして笑った。

 凄まじい力で、ジイロは弾き飛ばされた。

 背を地面に打ち、激痛が走る。

「!」

 咄嗟に身をひねった。男の刃が、背中を掠めて土に突き刺さった。

 ジイロは立ち上がり、身構えた。

 巨体の男も太刀を構え直した。

 男の斬撃。風の唸りが耳朶を打つ。

 渾身の力で刃を受け止める。

 やはり凄まじい力だった。

「くっ……」

 ジイロは押されていた。

 力負けしているのだ。こんなことは初めてだった。

 これが、人間の強さか。妙に冷静な思考で、ジイロは男を観察した。顎に力を入れ、刃を押し返した。

 魔術を失ったイェルフ族は、人間のこの力に敗れたのだ。

 いや、魔術はなくとも抗うことはできたはずだ。

 ではなぜ俺たちは、人間如きに敗れたのか。今までずっと頭の隅にあった疑問が、氷解したような気がした。

 まるで心底から殺戮を楽しんでいるかのような、この男の表情。

 これが人間の強さなのかもしれない。必要ならば身内や親しき者でさえ手にかけるという、苛烈かれつな野性の持ち主たち。

「でも、俺はまだ死ねねえ。イェルフの国を作るまでは」

 再び渾身の力を込め、男の刃を押し返す。男の目に僅かな驚愕と、狂喜の色が浮かぶ。

 二人は互いに弾きあうように、跳び離れた。

「くそ……」

 ジイロは慎重に二度、三度と深呼吸した。

 汗は出ない。すでに肌が干涸ひからびているのか、喉はからからに乾いていた。火事場に長くいたせいか、皮膚のあちこちがチリチリと痛む。

 男は輝くような目でジイロを捕らえていた。これが人間の目なのだ。血走った、鉤爪かぎづめのような目。

 風を切る音。

 男の背中に、一本の矢が突き立った。

「ぐっ……」

 男が初めて呻き声をあげ、バランスを崩した。

「今だ!」

 ジイロは、男の懐に飛び込んだ。

 その首に曲刀を叩きつける。

 ぼきりと鈍い音がして、男の体がよろけた。

 だが刃が通らない。鋼鉄のような皮膚に食い込んだまま、斬撃を止めていた。

 男が目を剥き、ジイロを睨みつけた。

「ウガアアアッ!」

 その口から、獣の如き咆哮ほうこうがあがる。

「イェルフを舐めるなよ……化け物が!」

 曲刀にありったけの力を込め、男の巨体を地面に叩きつけた。

「ぐはッ!」

 男の口から、血と唾液が飛び散った。

 首が、あらぬ方向に折れている。

 ジイロが男の胸を踏みつけた。

 男の眼球が、確かにジイロを見た。

 わらった。

 ジイロは曲刀を逆手に構えると、男の心臓を目がけて突き下ろした。

 肉を断つ感触が、手首を伝わった。

 二、三度波打ったあと、男は動かなくなった。

 その胸から曲刀を引き抜くと、ジイロは顔を上げた。その先に、弓を持ったアコイの姿があった。

「トリンは?」

「山の道から逃げた。みんなといっしょだから大丈夫だ」

「何で、ついてってやんなかったんだよ」

「……こいつに、借りを返したくてな」

 息絶えた男の巨体を見下ろす。

 嗤ったまま死んだ、人間という生物を。

「もういいだろ。後は俺に任せて、トリンと合流しろ」

「いや、最長老がまだ戦ってる。手分けして探しだそう」

「そんなのは俺がやるって。おまえはトリンを守ってやれよ」

「僕は……大事なものは、全部守りたいんだ」

 二人は、互いに不敵な笑みを浮かべた。

「ほんっとに、ばかな奴だな。アコイは」

「おまえに言われたくない」

 燃え盛る炎は、断末魔のように渦を巻き、里を飲み込もうとしていた。

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