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ジイロもまた、眠れない夜を持て余していた。
昼間のアコイの表情が頭から離れない。自分の言葉に、まさかあそこまで過剰に反応するとは思わなかった。
「あいつも、本気でトリンのこと……」
もやもやして、どうにも寝付けなかった。
「……?」
家の外で、何者かの気配がした。
ジイロは咄嗟に体を起こした。隣で眠っているシダは、起きる様子がない。
「母さん」
軽く揺すると、不満げに呻いて、シダが目を覚ました。
その口を、軽く手で塞いだ。
「ん……」
「静かに。外の様子が変だ」
さすがシダは、すぐに息子の意図を察して頷いた。
ジイロは音もなく立ち上がると、壁に掛けてあった曲刀を手に取った。外の不穏な気配は、すでに去ったようだ。
「気に入らねえな」
ジイロの目が鋭さを増す。
「ちょっと様子を見てくる。母さんは、万一に備えててくれ」
「判った」
ジイロは玄関の戸を僅かに開け、外の様子を窺った。
誰もいない。
戸の隙間から滑りでると、足音を忍ばせつつ、家の裏手に回った。
見慣れない藁の束が積み上げられている。その束は、月の明かりを浴びて、微かに輝いている。
近付いて、よく観察する。
輝いて見えたのは、油だった。
「……まさか!」
その瞬間、離れた場所の無人の小屋から、火の手が上がった。
「しまった!」
小屋の裏手から人影が出てきた。燃え盛る松明を手に、こちらに向かって走ってくる。
野伏だ。
恐らくジイロの家に仕掛けた藁にも、続けて火をつけるつもりだったのだろう。だが、まさか家人と鉢合わせになるとは思っていなかったのか、野伏は驚いて足を止めた。
「てめえ!」
一瞬で状況を把握したジイロは、間合いを詰め、下からの抜き打ちで野伏を斬りつけた。
野伏は、もんどりうって横転した。額が割れ、すでに事切れている。
そのとき、緊急を知らせる木鐘の音が響き渡った。
「!」
里の至る所で火の手が上がった。侵入していたのは、どうやら一人ではないらしい。
「いつの間に!?」
見張りは何をしていたのだ。
いや、それ以前に……この里の位置が、まさか野伏たちに知られていたとは。
「仕返しって訳かよ」
しかもご丁寧に焼き討ちとは、念の入り用が違う。山間の戦で火計を用いるなど、山に生きるイェルフ族にとっては禁忌の策だった。
ジイロは叫んだ。
「敵襲だ! 戦える奴は武器を取れ!」
木鐘のおかげか、周囲の住人たちも異常に気付き、続々と家を飛びだしてきている。
だがそれに紛れて、複数の野伏がさらに火をつけて回っているのが見えた。
「ざけんな!」
「うわ!」
一人を斬り捨てたが、残りは松明を捨て、夜陰に紛れた。追おうとしたが、皮肉にもイェルフたちが邪魔になり、見失ってしまった。
その間にも、火の手はどんどん広がっていく。
イェルフたちは火災と夜襲に混乱し、右往左往するばかりだ。なかには必死に火を消そうとしている者もいるが、まさに焼け石に水だった。
ジイロは一旦、自宅に戻った。シダは落ち着いた様子で、いつでも逃げられる準備を整えて息子を待っていた。
「母さん、山の道からみんなを避難させてくれ」
「あんたは?」
「奴らを片付けてくる」
それだけ言うなり、ジイロは駆けだした。背後から、シダが気を付けるようにと叫ぶ声が聞こえた。
火の手は、里のあちこちから上がっていた。何人の野伏が侵入したのか判らないが、恐らく本隊はまだ柵の外だ。
「正門が開いちまったら、おしまいだ」
ジイロは舌打ちし、正門に向かって駆けた。




