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イェルフと心臓  作者: チゲン
第二部 イェルフの子供たち
33/61

19頁

 ジイロもまた、眠れない夜を持て余していた。

 昼間のアコイの表情が頭から離れない。自分の言葉に、まさかあそこまで過剰に反応するとは思わなかった。

「あいつも、本気でトリンのこと……」

 もやもやして、どうにも寝付けなかった。

「……?」

 家の外で、何者かの気配がした。

 ジイロは咄嗟に体を起こした。隣で眠っているシダは、起きる様子がない。

「母さん」

 軽く揺すると、不満げにうめいて、シダが目を覚ました。

 その口を、軽く手で塞いだ。

「ん……」

「静かに。外の様子が変だ」

 さすがシダは、すぐに息子の意図を察して頷いた。

 ジイロは音もなく立ち上がると、壁に掛けてあった曲刀を手に取った。外の不穏な気配は、すでに去ったようだ。

「気に入らねえな」

 ジイロの目が鋭さを増す。

「ちょっと様子を見てくる。母さんは、万一に備えててくれ」

「判った」

 ジイロは玄関の戸を僅かに開け、外の様子を窺った。

 誰もいない。

 戸の隙間から滑りでると、足音を忍ばせつつ、家の裏手に回った。

 見慣れないわらの束が積み上げられている。その束は、月の明かりを浴びて、微かに輝いている。

 近付いて、よく観察する。

 輝いて見えたのは、油だった。

「……まさか!」

 その瞬間、離れた場所の無人の小屋から、火の手が上がった。

「しまった!」

 小屋の裏手から人影が出てきた。燃え盛る松明たいまつを手に、こちらに向かって走ってくる。

 野伏だ。

 恐らくジイロの家に仕掛けた藁にも、続けて火をつけるつもりだったのだろう。だが、まさか家人と鉢合わせになるとは思っていなかったのか、野伏は驚いて足を止めた。

「てめえ!」

 一瞬で状況を把握したジイロは、間合いを詰め、下からの抜き打ちで野伏を斬りつけた。

 野伏は、もんどりうって横転した。額が割れ、すでに事切れている。

 そのとき、緊急を知らせる木鐘もくしょうの音が響き渡った。

「!」

 里の至る所で火の手が上がった。侵入していたのは、どうやら一人ではないらしい。

「いつの間に!?」

 見張りは何をしていたのだ。

 いや、それ以前に……この里の位置が、まさか野伏たちに知られていたとは。

「仕返しって訳かよ」

 しかもご丁寧に焼き討ちとは、念の入り用が違う。山間の戦で火計を用いるなど、山に生きるイェルフ族にとっては禁忌きんきの策だった。

 ジイロは叫んだ。

「敵襲だ! 戦える奴は武器を取れ!」

 木鐘のおかげか、周囲の住人たちも異常に気付き、続々と家を飛びだしてきている。

 だがそれにまぎれて、複数の野伏がさらに火をつけて回っているのが見えた。

「ざけんな!」

「うわ!」

 一人を斬り捨てたが、残りは松明を捨て、夜陰に紛れた。追おうとしたが、皮肉にもイェルフたちが邪魔になり、見失ってしまった。

 その間にも、火の手はどんどん広がっていく。

 イェルフたちは火災と夜襲に混乱し、右往左往うおうさおうするばかりだ。なかには必死に火を消そうとしている者もいるが、まさに焼け石に水だった。

 ジイロは一旦、自宅に戻った。シダは落ち着いた様子で、いつでも逃げられる準備を整えて息子を待っていた。

「母さん、山の道からみんなを避難させてくれ」

「あんたは?」

「奴らを片付けてくる」

 それだけ言うなり、ジイロは駆けだした。背後から、シダが気を付けるようにと叫ぶ声が聞こえた。

 火の手は、里のあちこちから上がっていた。何人の野伏が侵入したのか判らないが、恐らく本隊はまだ柵の外だ。

「正門が開いちまったら、おしまいだ」

 ジイロは舌打ちし、正門に向かって駆けた。

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