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足早に歩くジイロを追って、アコイは山道を登っていた。
里からは、さほど離れていない。ただ、あまり里の者が訪れるような場所でもなかった。
「……冗談じゃねえ、か」
ジイロの気持ちは痛いほど判る。
誰が好き好んで、住み慣れた土地を捨てたいものか。まして、この里で育ったアコイにとっては、故郷と言っても過言ではないのだ。
木々が風に揺れる音に混ざって、水の音が聞こえてきた。
沢に出たのだ。
水は澄み、変わらぬ流れを湛えている。
空気は冷たく、山歩きで火照った体を潤す。
緑の枝葉は、戦いで疲れた心を和ませる。
いつもと変わらない山の景色。
夏。
沢の一角に、小さな洞穴があった。
自然にできたものかと思ったが、どうやら人の手により少し広げられているようだ。木の枝が覆いかぶさっているので、ぱっと見たぐらいでは存在に気付かなかった。
「これは……」
その洞穴のなかを見て、アコイは驚愕する。
太刀や短剣、弓に矢など、ざっと五十個以上の武器が揃っている。まるで武器庫だ。
「全部、山に入ってきた野伏から分捕った物だ」
「ええっ!?」
「ちょくちょく手入れしてるから、いつでも使えるぜ」
「おまえ……奴らの武器を集めてたのか」
「いわゆる戦利品ってやつさ。捨てるよか、いいだろ」
フフンと、得意気な顔で鼻を鳴らす。
「この前の夜襲で使っても良かったんだが……あのときは人数分の武器があったしな」
「いつの間に……」
昨日今日では、ここまで集めることはできまい。
「これだけありゃ、少なくとも、あの連中とは戦えるぜ」
「でも、人間の武器を使うなんて……」
綺麗に拭い取られているといえ、この刃には、親しかった者たちの血がこびりついているかもしれないのだ。
「僕は反対だ。里のみんなも、きっと使いたがらないと思う」
「武器に善悪なんてねえ。役に立つか立たねえか、だ。例え人間が使ってた物だとしても、今の俺たちには必要なんだ」
ジイロが手に取り、差しだした太刀を、アコイは受け取った。ずしりと重い感触がする。自分たちが使っている武具より、遥かに質が高い。
「おまえの言葉とも思えないな」
日頃あれほど人間を忌み嫌っているジイロが、その手垢にまみれた武器を使うと言う。
「……俺も最初は迷ったよ。まあ今も迷ってるから、ここに隠してあんだけど。まだ、おまえにしか見せてねえし」
「だったらこんなもの……」
「こんなものなくても、人間には勝てるってか」
「それは……」
「だいたい、俺たちが普段使ってる武器だって、大半が人間の技術だろう。それに」
「それに?」
「人間どもが、自分たちの作った武器で殺られるんだぜ。結構なことじゃねえか」
ジイロは、嗜虐めいた笑みを浮かべた。
たぶんこれが本音なのだろう。
「なあ、おまえからみんなを説得してくれよ。俺が言ったって、たぶん聞いちゃくれねえしさ。この武器がありゃ、あの野伏どもなんか、ちょろいもんだろ」
「その後は?」
「?」
「野伏たちを追い払ったとして、その後でもっとたくさんの人間が攻めてきたら、どうするつもりなんだ?」
「もちろん全員ぶっ殺す」
事もなげにジイロは答えた。
「そんな簡単に……」
「籠城するんだ」
「何だって?」
思わぬ言葉が、ジイロの口から飛びだした。
「いくら人間どもが攻めてきたって、里の防備を固めれば、簡単には落ちやしねえさ」
「……そんなことをしても、いずれは陥落する。だいいち籠城したとして、誰が援護にきてくれるんだ?」
すると、我が意を得たりとばかりに、ジイロがにやりと唇の端を吊り上げた。
「俺が援軍を連れてくる」
「おまえが……?」
思わず、眉根を寄せる。予想だにしなかった返答だ。
「おまえたちが里を守ってる間に、俺が各地を回って、生き残ってるイェルフたちを掻き集めてくる。世界じゅうのイェルフが集まれば、人間なんか屁でもねえさ」
「正気か?」
あまりの突飛な発想に、開いた口が塞がらなかった。
「んなの、正気に決まってんだろ。そんでここに、イェルフの国を作るんだよ」
ジイロの目は輝いていた。遠大な冒険の計画を立てた、子供のように。果てしなく広がる海を前に、心躍らせる船乗りのように。
「イェルフの国……」
その言葉は、甘美な響きをもって、アコイの胸を浸した。
だが、それは砂上の楼閣。
「やろうぜ、アコイ、俺たちでさ。母さんも、最長老も、トリンだって、みんなが安心して暮らせる国を俺たちの手で作るんだ」
ジイロは熱に浮かされたように語る。
彼の目に映っているのは、遥か昔に失われたイェルフ族の栄華ではなく、永遠に続く平和な里の風景なのだ。
その顔を、目を、アコイは正視できなかった。
眩しすぎる。
眼差しから逃れるように、アコイは背を向けた。
「……とにかく、一旦里へ戻ろう。武器のことも含めて、最長老に相談しないと」
「そうだな」
興奮したジイロの声に、アコイはやり切れない思いを感じていた。