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イェルフと心臓  作者: チゲン
第二部 イェルフの子供たち
27/61

13頁

 翌日の昼過ぎ、アコイは歩けるほどにまで回復していた。

 トリンが持ってきてくれた服に着替えると、寄合へ向かう。

 その途中、先の夜襲で命を落としたウリクとゲーナの家に寄った。

 ウリクはアコイより少し若く、まだ幼さの残る少年だった。母親と二人暮らしで、普段は畑仕事を手伝っていた。膂力があり、肝の据わった少年だった。

「ウリクのことは、全て僕の責任です」

 アコイは、ウリクの母親に向かって頭を下げた。ウリクの母親は、泣き腫らした目を細めて微笑んだ。

「あの子が望んでやったことだから」

 小さな家が広く感じられた。アコイは、逃げるようにそこを後にした。

 ゲーナには妻子がいた。娘はまだ生まれたばかりで、妻の乳の出が悪く、ときどき他の女に母乳を貰っていた。

 目元の辺りは父親によく似ていた。

 その目が、アコイの顔を見つめている。

 ゲーナの妻も、彼を責めたりはしなかった。ただ、一度も目を合わそうとしなかった。

 里のイェルフたちと擦れ違った。誰もがアコイの怪我を心配し、労を労ってくれた。

 寄合の席に着く頃には、アコイの顔からは悲壮感さえ漂っていた。長老衆が、思わず息を呑むほどに。

「怪我は、もういいようだな」

「はい」

 最長老トスカの前に座し、頭を垂れる。

「すでにお聞き及びでしょうが、夜襲でゲーナとウリクの二人を死なせてしまいました」

「うむ。彼らには可哀想なことをした」

「隊を指揮する者として、配慮に欠けていました。敵の力をあなどっていたんです」

 グッと拳を握りしめる。爪が、手の平に食い込む。

 ウリクの母親の涙。ゲーナの妻の顔。生まれたばかりの赤子の、父の命を継いだ目。

「僕には、これ以上この役を続ける資格はありません」

 後悔と無念で、胸が張り裂けそうだった。

「任を降りるというのか」

「全て僕の責任です」

 泣くことは許されなかった。泣いて許しを乞おうとも思わなかった。

「一人で背負い込んでんじゃねえよ」

 振り返ると、ジイロが立っていた。

「ジイロ……おまえ、なんでここに……」

 それには答えず、ジイロはアコイの隣へどっかと腰を下ろした。

「アコイは悪くねえ。そもそも、奇襲のことを言いだしたのは俺なんだ」

「ジイロ!」

「だから、罰するなら俺を罰してくれ」

 長老衆がざわめいた。あの問題児のジイロの口から、そんな殊勝しゅしょうな発言が飛びだすとは。

 トスカは、二人の若者を見つめると、小さくかぶりを振った。

「あの夜襲は、私が決めたこと。とがを受けねばならんのは、私の方だ」

「最長老……」

「身に傷を受けた者が、心にまで傷を受ける必要はない」

 トスカの言葉は、アコイの胸に深く染みとおった。

 俯き、涙を堪えた。

「ところで、野伏どもの動きはどうなっている」

「警戒がきつくなったんで、あんまり詳しいことは判らねえけど」

 そう前置きして、ジイロは報告した。アコイの療養中、彼が中心になって野伏たちの動きを監視していたらしい。

「人数はまた増えてるな。たぶん二十人くらいになってんじゃねえか」

 思ったより少ないが、決して楽観視できる数ではない。

「今のところ、動きだす気配はねえけどよ」

「ふむ。ならば今のうちに、柵の強化を急いでくれ」

 何人かの長老が、頷いて席を立った。

「やはり決断を下さねばならんか」

 トスカは、吐息とともに肩を落とした。

 疲れている。アコイは思った。数日顔を見なかっただけで、十年も老けたように見えた。顔には無数の傷と皺が刻み込まれていた。

「決断って?」

 その言葉の真意が判らず、ジイロは疑問符を浮かべていた。

「……この里を捨てるんですね」

 アコイは確信を込めて訊いた。

 トスカが、苦汁に満ちた顔で頷いた。

「捨てるだって!?」

 悲鳴をあげたのは、ジイロ一人だった。

 長老衆は、沈痛な表情を浮かべて俯くだけ。すでに何度も話しあってきたことで、暗黙のうちに覚悟はできていた。

「やはり、僕が夜襲を成功させてれば……」

 悔やんでも悔やみきれない。アコイは奥歯を食い縛った。

「いいや。夜襲の結果がどうあれ、近くここを捨てるつもりだった」

 人間の侵攻が、もはや防ぎ切れないところまで来ていることを、トスカは悟っていた。

 目の前の野伏たちを駆逐くちくしても、すぐに新手がやってくるだろう。正規の軍が動きだせば、抗し切れるものではない。

「冗談じゃねえ!」

 ジイロが怒りの声をあげた。

「なんで俺たちが里を捨てなきゃならねえんだ。先に住んでたのはこっちなんだぜ!」

 拳で床板を叩く。

「人間なんか、皆殺しにしちまえばいいじゃねえかよ!」

「よせ、ジイロ、最長老の前だぞ」

「ここを守るために、いったい何人死んだと思ってんだ。ウリクやゲーナや、オッティーさんや……俺の親父だって、みんなを守るために戦って死んだんだ!」

 その言葉は、激しく館を震わせ、イェルフたちの胸を打った。

 ジイロはあまりにも鋭い目で、アコイを睨みつけていた。その目は怒りと悲しみに打ち震えていた。

「純粋な目をしている」

 トスカは二人の若者を見守りながら思った。彼がとうに失ったものを、臆することなくさらけだし、ぶつけあっている。

「里を捨てるなんて、俺は反対だ。俺は、何があっても、この里を守ってみせる!」

「じゃあおまえは、みんなが殺されてもいいって言うのか」

 アコイの拳が、微かに震えている。

「何だと……」

「おまえの言ってることは、ただの理想だ」

「理想じゃねえ。俺が守るっつってんだろ。人間なんかに、もうこれ以上、指一本触れさせねえ」

「無理だ。人間たちが本気になったら、俺たちなんかあっという間に全滅だ」

「そうならねえようにするのが、俺たちの役目だろ!」

「勝てる訳ないだろ!」

 アコイが語気を荒げた。普段の彼からは想像もできない声だった。

 場に、気まずい空気が流れる。

「どこをどう見たら、そんな楽観的なことが言えるんだ。兵力も足りない……武器だってろくにないっていうのに」

「戦おうって気がねえから……逃げることしか考えてねえから、負けちまうんだよ!」

「ジイロ、言い過ぎだ!」

「うるせえ!」

 ジイロが不意に立ち上がった。

「どこに行くつもりだ」

「ついてこいよ」

 そう言って、ジイロは寄合に背を向けた。

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