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イェルフと心臓  作者: チゲン
第二部 イェルフの子供たち
26/61

12頁

 トリンが診療所を出た頃、すでに日は沈みかけていた。

 家々から、煮炊きの匂いが漂ってくる。

 これで子供の笑い声でも聞こえたら、どこにでもある夕暮れの風景といった感じになるのだろうが、あいにく里は重苦しい沈黙に包まれていた。

 このままで済むはずはない。誰もが感じていた。

 連日のように続く同胞の死は、里に動揺と悲観をもたらせていた。

 帰り際に、ジイロの家の前を通った。

「あの子なら、井戸に水を汲みにいってるよ」

 顔を見るなり、シダが教えてくれた。何を考えているか、すっかりお見通しのようだ。

 トリンは頬を赤らめながら、広場の井戸の方へ小走りに駆けた。

 いた。

 ジイロは井戸からかめに水を汲み上げ、釣瓶つるべを掛けているところだった。

「なんで走ってんだ?」

「……別にいいでしょ」

「アコイの容態は?」

「とりあえず寝たわ。先生も、すぐに動けるようになるだろうって」

「ふうん」

「心配?」

 からかうような目で、ジイロの顔を下から覗き込む。結局、一番アコイのことを心配しているのは彼なのだ。

「どうでもいいだろ」

「赤くなってる」

 ジイロは照れ臭そうに目を逸らした。

「早く帰れよ」

「何よ、その言い草。誰があんたの傷の手当てをしてやったと思ってんの」

「あれくらい、唾つけときゃ治るっての」

「痛そうな顔してたくせに」

「してねえ」

 ムッと顔をしかめるジイロに向かって、トリンは舌を出してみせる。

 その顔に、ふと不安の影が落ちた。

「……わたしたちって、これからどうなるのかな」

 後どのくらい、こうして、ジイロやアコイとはしゃいでいられるのだろう。

「いつまで、人間と戦ってかなきゃならないのかな」

「俺たちが勝つまでさ」

 ジイロは迷いなく言い切った。

「勝つって、どうやって?」

「ちまちま追っ払ってたんじゃ切りがねえ。あいつらは何度だって襲ってくる。害虫と同じで、まとめて始末しなきゃならねえんだ」

「そんな……戦でもする気なの? 人間とまともに戦って、勝てる訳ないじゃない」

「おまえも、アコイみたいなことを言うんだな」

「じゃ…じゃあ、あんたなら勝てるっていうの?」

「勝てるさ」

 この自信がどこから湧いてくるのか、トリンは不思議でならない。

「……何でそこまでして、戦わなきゃいけないんだろう」

 イェルフ族と人間の争いの歴史は、あまりに長い。それこそ気が遠くなるほど昔から、両者はいがみあい、殺しあってきた。

「人間を好きになるイェルフだっているのに」

「おまえ、まだそんなこと言ってんのかよ」

「だって……」

「そんなこと、ある訳ないだろ。人間なんてのは、所詮、劣等種なんだよ」

「でも、あの人はそう言ってたんだもん」

 十三年前、命懸けで危機を知らせてくれたイェルフ族の娘は、まだ幼かったトリンにそう言い残した。

 顔も名前も覚えていないが、なぜかその言葉だけは鮮明に覚えている。

「おい」

 俯くトリンの額を、ジイロが人差し指で突っついた。

「いいから、今日はもう帰れ」

「……うん」

 顔を上げたとき、ジイロはすでに背を向けていた。

 彼が思い詰めた表情を浮かべていたことには気付かなかった。

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