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トリンが泣いている。
子供の頃、トリンは本当に泣き虫だった。ジイロにいつも泣かされてたっけ。
泣いた彼女を慰めるのは、いつも僕の役目だ。そのせいで、しょっちゅうジイロと喧嘩をした。
でも、本当にトリンのことを大事に思っていたのはジイロかもしれない。彼女に何かあったとき、真っ先に駆けつけていたのもあいつだったから。
大人になり、美しくなったトリンが泣いている。
「トリン、泣かないで」
自分の声で、アコイは目を覚ました。
周囲には誰もいない。
「泣いてたのか」
頬が濡れていた。
夢を見ていたようだが、どんな内容だったか覚えていない。泣くほど悲しい夢だったのだろうか。
アコイは、焦点の定まらない目で天井を見上げた。
里の診療所のようだ。薬品や薬草の匂いが、鼻腔をつく。
野伏に斬られたことを思いだした。
「動けない……」
寝起きのせいか、体に力が入らなかった。
腹部には包帯が巻かれている。どうやら、胴体は分断されずに済んだようだ。
開け放たれた窓から、太陽の陽射しが差し込んでいる。
鳥のさえずりが、風に運ばれて、部屋のなかを巡る。
医者のコーテル先生が入ってきて、アコイを見ると破顔した。壮年の、穏やかな男だが、腕は確かだ。
「傷は痛むかい?」
「そんなには……」
「骨は折れてないし、内蔵も損傷ないようだ。君も案外、丈夫なんだね」
「すいません、お世話をかけて」
コーテル先生は微笑みながら、アコイの体の具合をひと通り診て、満足そうに部屋を出ていった。
また眠った。
頬に温もりを感じて、うっすらと目を開けた。
視界に、長く美しい銀髪がぼんやり映る。
「起こしちゃった?」
夢のような声。
窓から夕日が差し込んでいた。
頬に触れていた手に、アコイは右手を重ねた。
「気分はどう?」
「トリン……」
目で見なくとも、名を呼ばずとも、その温もりだけでアコイには彼女が判った。
見て、触れて、名を呼んだのは、その存在をより確かに感じ取りたかったからだ。
「僕はどれくらい眠ってた?」
「丸二日ってとこかしら。思った以上に回復が早いって、先生がびっくりしてたわ」
トリンが手を引っ込めようとしたので、アコイは思わず彼女の手首を掴んだ。
「心配しなくても、ここにいるから」
「みんなは……ジイロはどうなった?」
トリンの瞳が曇る。
「ジイロは無事よ。とにかく今日はもう眠って。明日、また話しましょ」
「教えてくれ。他のみんなはどうなったんだ」
トリンが困ったように曖昧な笑みを浮かべていると、ノックもなく病室の戸が開いた。
現れたのはジイロだった。
「ウリクとゲーナが死んだよ」
「ジイロ!」
トリンが非難めいた眼差しを向けたが、ジイロは無視した。
「……そうか」
アコイは顔を背けた。
「僕の責任だ」
「そんな、アコイ……」
トリンは慰めの言葉を探した。だが、見つかるはずもなかった。
アコイの顔色が、先程より青白くなっている気がした。トリンは恨めしげにジイロを睨みつけ、喉の奥で唸った。
「今言わなくたっていいじゃない」
そういう配慮が、ジイロには欠けているのだ。
「……本当にすまない、ジイロ」
「謝ってる暇があったら、さっさと傷を治せ」
彼らしい憎まれ口だ。怪我はしていないようなので、アコイは少し安堵した。
「野伏たちは?」
「向こうも相当な痛手を受けたみてえだし、今のところは、おとなしくしてるな。まあ、何か仕掛けてきても俺が片付けてやるさ。特に……あの野郎だけはな」
ジイロの目に、黒い炎が宿る。
あのとき、完璧にジイロの背後を取った男。ただの野伏ではあるまい。
少なくとも、今まで見かけたことはなかった。この数日の間に合流したと考えられる。
「焦るなよ」
「判ってる」
それだけ言うと、瞳に黒い炎を点したまま、ジイロは病室を出ていった。
「いつまで握ってるんだ」
出がけに、そう言い残して。
アコイとトリンは、互いの顔を見合わせ、慌てて手を離した。