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イェルフと心臓  作者: チゲン
第二部 イェルフの子供たち
23/61

9頁

 翌日。

 慌ただしく戦支度が整えられていた。

 夜襲決行に対して、里のなかには難色を示す者も多かったが、アコイの決意は揺らがなかった。

 作戦を共にする面々は、アコイとジイロを含めて八人。今までいっしょに戦ってきた自警団の仲間だ。気心も知れている。

 報告によると、山に侵入している野伏の数は、十五から二十人。一人で複数の野伏を相手にしなくてはならないが、それで付く者はいなかった。

 彼らの野営地は、すでに突き止めてある。

「正面からの戦いは挑まない。あくまで奇襲であり、危険と判断したら即、撤退する」

 アコイの口から具体的な戦略を聞いているうち、選ばれたイェルフたちの目にも闘志がみなぎってきた。

「野伏の十人や二十人、俺がぶったぎってやるって」

 ジイロが歯を剥きだしにして笑う。

 何より心強い。彼がいるといないとでは、士気に大きな差が出る。

 アコイの頭脳とジイロの力。この二つが揃えば、例え十万の野伏が相手でも勝てるような気さえしてくる。

 出陣まで間があるので、ジイロは一旦、自宅に戻った。

 この時間、シダは子供たちに勉強を教えるため外出しているはずだった。

 無人の家に帰るのは、少しだけ物足りなさを感じる。と思いきや、家のなかにはトリンがいた。

 居間の壁に掛けてある、ひと振りの曲刀を眺めている。

「何やってんだ?」

「ひゃぃっ」

 何気なく声を掛けたつもりだったが、トリンは文字通り飛び上がらんばかりに驚いた。

「ジイロ……びっくりさせないでよ」

「こっちの台詞だよ。人ん家でボーっとしやがって」

「や…薬草を分けてもらいにきただけ」

「ふうん」

 素っ気ない返事を返すと、ジイロはトリンの視線を追うように、壁の曲刀に目をやった。

 鈍色に輝く曲刀。鞘や柄に、びっしりと細かい紋様が刻まれている。イェルフ族の魔術文字だ。

 毎日欠かさず手入れをしているので、鞘の外にさえ鋭利な刃の気配が漂ってくる。

 十三年前に父が使っていた曲刀だった。

 元々は、里に危機を知らせにきたイェルフの娘が持っていた業物わざものである。それを里で最も豪の者だった父が受け取り、父の死後にジイロが継いだ。

 ジイロにとっては、父の形見でもある。

「聞いたわ。今夜、やるんだってね」

「ああ」

 二人は曲刀を見つめたまま、言葉を交わした。

「勝てるんでしょうね」

「当たり前だろ」

「ほんとかしら。また無茶して、アコイを困らせないでよね」

「なぁに言ってんだよ。あいつは、俺がいないと何もできないんだぜ」

「嘘ばっか。いっつも面倒なことはアコイに押しつけてるくせに」

「俺がいつそんなことしたよ」

「いつもよ、いつも。あんまり多いから、もう感覚が麻痺まひしちゃってんのよ」

「うるせえ」

「何よ、人が心配してあげてるのに」

「大きなお世話だ、ブス」

「うわ……あったま来る」

「おっ、怒ったか?」

「うるさいっ」

 トリンが頬を膨らませる。

「心配しなくても、アコイは俺が守る」

 唐突に、ジイロが真剣な顔つきになった。

「え……」

 真摯しんしな眼差しに、トリンは思わず言葉を失った。

 昨夜、川辺で見せた顔と同じだった。

「これ以上、誰も死なせない。俺がみんなを守る」

 ジイロはトリンの肩を掴むと、力強く引き寄せた。

「あっ」

 分厚い胸のなかに、彼女の細い体は、いとも容易たやすく包まれた。

「ちょっと、ジイロ……」

「おまえも俺が守る」

 ジイロが言った。

「だから……」

 その腕を、トリンは振りほどけなかった。彼の胸の鼓動と、深い温もりが、トリンの身も心もくるみ込んでいた。

「だから待ってろ」

「うん……」

 トリンは目を閉じ、その温もりに身をゆだねながら、小さく頷いた。

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