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翌日。
慌ただしく戦支度が整えられていた。
夜襲決行に対して、里のなかには難色を示す者も多かったが、アコイの決意は揺らがなかった。
作戦を共にする面々は、アコイとジイロを含めて八人。今までいっしょに戦ってきた自警団の仲間だ。気心も知れている。
報告によると、山に侵入している野伏の数は、十五から二十人。一人で複数の野伏を相手にしなくてはならないが、それで怖じ気付く者はいなかった。
彼らの野営地は、すでに突き止めてある。
「正面からの戦いは挑まない。あくまで奇襲であり、危険と判断したら即、撤退する」
アコイの口から具体的な戦略を聞いているうち、選ばれたイェルフたちの目にも闘志が漲ってきた。
「野伏の十人や二十人、俺がぶったぎってやるって」
ジイロが歯を剥きだしにして笑う。
何より心強い。彼がいるといないとでは、士気に大きな差が出る。
アコイの頭脳とジイロの力。この二つが揃えば、例え十万の野伏が相手でも勝てるような気さえしてくる。
出陣まで間があるので、ジイロは一旦、自宅に戻った。
この時間、シダは子供たちに勉強を教えるため外出しているはずだった。
無人の家に帰るのは、少しだけ物足りなさを感じる。と思いきや、家のなかにはトリンがいた。
居間の壁に掛けてある、ひと振りの曲刀を眺めている。
「何やってんだ?」
「ひゃぃっ」
何気なく声を掛けたつもりだったが、トリンは文字通り飛び上がらんばかりに驚いた。
「ジイロ……びっくりさせないでよ」
「こっちの台詞だよ。人ん家でボーっとしやがって」
「や…薬草を分けてもらいにきただけ」
「ふうん」
素っ気ない返事を返すと、ジイロはトリンの視線を追うように、壁の曲刀に目をやった。
鈍色に輝く曲刀。鞘や柄に、びっしりと細かい紋様が刻まれている。イェルフ族の魔術文字だ。
毎日欠かさず手入れをしているので、鞘の外にさえ鋭利な刃の気配が漂ってくる。
十三年前に父が使っていた曲刀だった。
元々は、里に危機を知らせにきたイェルフの娘が持っていた業物である。それを里で最も豪の者だった父が受け取り、父の死後にジイロが継いだ。
ジイロにとっては、父の形見でもある。
「聞いたわ。今夜、やるんだってね」
「ああ」
二人は曲刀を見つめたまま、言葉を交わした。
「勝てるんでしょうね」
「当たり前だろ」
「ほんとかしら。また無茶して、アコイを困らせないでよね」
「なぁに言ってんだよ。あいつは、俺がいないと何もできないんだぜ」
「嘘ばっか。いっつも面倒なことはアコイに押しつけてるくせに」
「俺がいつそんなことしたよ」
「いつもよ、いつも。あんまり多いから、もう感覚が麻痺しちゃってんのよ」
「うるせえ」
「何よ、人が心配してあげてるのに」
「大きなお世話だ、ブス」
「うわ……あったま来る」
「おっ、怒ったか?」
「うるさいっ」
トリンが頬を膨らませる。
「心配しなくても、アコイは俺が守る」
唐突に、ジイロが真剣な顔つきになった。
「え……」
真摯な眼差しに、トリンは思わず言葉を失った。
昨夜、川辺で見せた顔と同じだった。
「これ以上、誰も死なせない。俺がみんなを守る」
ジイロはトリンの肩を掴むと、力強く引き寄せた。
「あっ」
分厚い胸のなかに、彼女の細い体は、いとも容易く包まれた。
「ちょっと、ジイロ……」
「おまえも俺が守る」
ジイロが言った。
「だから……」
その腕を、トリンは振りほどけなかった。彼の胸の鼓動と、深い温もりが、トリンの身も心もくるみ込んでいた。
「だから待ってろ」
「うん……」
トリンは目を閉じ、その温もりに身を委ねながら、小さく頷いた。




