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イェルフと心臓  作者: チゲン
第二部 イェルフの子供たち
21/61

7頁

 トスカの館は、夜を迎えてもなお騒然としていた。

 一人のイェルフが、事故や病で死んだのではない。憎き野伏たちに殺害されたのだ。 

 寄合も、長老衆の怒りや嘆きが飛び紛糾ふんきゅうしていた。

 そのなかで終始落ち着きを保っているのが、やはり最長老トスカだった。

「皆、聞いてほしい」

 トスカが口を開くと、全員が一斉に口を閉ざし、上座の男を仰いだ。

「オッティーには気の毒なことをした。だが、ついに犠牲者が出てしまった以上、我らも腹を決めねばならん」

 言葉は鈍痛を伴って、重くのしかかる。

「十三年前は、この辺りも静かで住みやすい土地だったが……」

 そこでトスカは、一旦、言葉を切った。

「また選択のときが来たのだ」

 再び寄合が騒然となった。

 選択。

 その言葉が何を意味するか、長老衆は充分すぎるほど知っていた。ここにいる誰もが、十三年前の出来事を覚えているからだ。

「またか」

 誰かが呟く。

「まだ十三年しか経っていないのに」

「人間どもが」

 誰かが吐き捨てるように言った。

 人間に対する恨みや憎しみの声が、あちこちから沸き上がった。

「あいつらさえいなければ」

「どこまで我々につきまとえば気が済むのか」

「劣等種の分際で」

 こっそりと覗き見していたトリンは、思わず耳を塞いだ。

「何、これ……」

 イェルフたちの怨嗟えんさの声が、渦となって、彼女を取り巻いてくる。

「やだ……」

 どす黒い感情が、彼女の柔肌に無数の爪を立てる。

 トリンは耐えられなくなって、家の外へ飛びだした。

 外は闇。

 ろくに前も見ずに走っていた彼女は、不意に目の前に現れた人影にぶつかった。

「きゃっ」

「うわ」

 前が見えていなかったのは、お互いさまのようだ。

「トリン?」

「アコイなの?」

 人影はアコイだった。

「どうしてここに?」

 言ってから、我ながら間の抜けた質問だったと思って、トリンは頬を赤らめる。

「僕は最長老に呼ばれてきたんだけど……君こそどうしたんだ?」

「わ…わたしは……」

 どう説明していいか判らず、トリンは口ごもる。

 家にいるのが怖くなって飛びだしてきたなど、恥ずかしくて口が裂けても言えない。

「さあ、なかに戻ろう」

 アコイが優しくトリンの背中を押す。

 だが、このまま引き返したくはなかった。

 例え自分の部屋に閉じこもっていても、あの粘りつくような不快な感覚からは逃れられないような気がした。

 アコイの表情を窺う。不思議そうな目で、トリンを見つめている。

「こっち来て」

 トリンはアコイの手を取った。

「えっ?」

 困惑する彼を、強引に引っ張って連れていく。

 できるだけ家から遠去かりたかった。

「おい、トリン……」

 二人は柵の裏手口をくぐり、川原に下りた。

 そこでようやく、トリンはアコイの手を放した。

「ごめんね、アコイ」

「いや……」

 川は滔々とうとうと流れている。

 心地好い夜風が、虫の声を運び、二人の体を撫でていく。

「座ろうか」

 アコイが川原に腰を下ろし、トリンを手招きした。

「これじゃ、どっちが連れてこられたんだか判んないわね」

 闇のなかで苦笑を浮かべ、トリンも隣に座り込んだ。

「落ち着いた?」

「うん。ごめんね、急に」

「いいよ」

「お父様に怒られるかな」

「大丈夫」

 たぶんアコイは、微笑を浮かべている。誰よりも、彼の人柄は理解しているつもりだ。

 そして、こちらが語りだすまで、きっと何も訊いてこないということも。

 不意にあのどす黒い感情の渦を思いだし、トリンは身震いした。

「寒い?」

 アコイが、羽織はおっていた上着を脱いで、トリンの肩に掛けてくれた。

「ありがとう」

 その上着を引き寄せる。

 暖かい。

 夏でも夜の川辺は冷える。さっきまでは気が張っていたので意識していなかったが、空気は冴え、冷たかった。

 トリンは目を閉じる。アコイの上着からは、土と少しだけ彼の匂いがする。

 子供の頃は、アコイとジイロと三人で、よくいっしょに遊んだものだ。

 アコイはいつも優しかった。

 反対に、ジイロの意地悪には何度泣かされたことか。だが本当の危機が迫ったとき、真っ先に駆けつけてくれるのも彼だった。

 アコイがジイロの家を出てからも、三人はいっしょにいることが多かった。父であり最長老であるトスカも、二人には特に目をかけていた。

 その父も老いてきた。もう剣の腕では二人に及ばないだろう。

 少し寂しい。最近の父は、溜め息を吐く機会が多くなっている。

「これから、どうなるんだろ」

 里に危機が迫っている。人間たちの魔の手が、徐々に押し寄せてきている。

「人間は、どこまでも僕たちを狙ってる」

「また戦いになるのかな」

「……たぶん」

「この里、大丈夫だよね。わたしたち、ここに住んでてもいいんだよね」

「ああ、もちろん。ここが僕たちの故郷なんだから」

 十三年前に、ようやくこの土地に辿り着いたとき、二人はまだ幼い子供だった。

「みんなが必死で、ここを住める土地にしたんだ」

 それだけは鮮明に覚えている。皆で、血のにじむような労苦を重ねて、この里を作り上げたのだ。

 誰もが必死だった。

「あのとき、あのお姉さんが知らせてくれなかったら、みんな死んでたんだよね」

「そうだね」

 命を懸けて、トリンたちに危機を報せてくれたイェルフの娘がいた。

 逃げるのが後一日遅れていたら、野伏たちに皆殺しにされていたかもしれない。

 決死の逃避行だった。

 追ってくる奴らを相手に、必死で戦い、何人も死んでいった。アコイの両親も、ジイロの父親も、子供たちを守るために犠牲となった。

「俺たちは支えあって生きてるんだ。人間なんかにやられたりはしない」

 人間なんか、というアコイの言葉に、トリンは動揺する。

 彼らはむべき存在である。

 十三年前、自分たちの里を襲い、たくさんの同胞を殺した連中。そして今日もまた、大切な仲間の命を奪った。

 人間は忌むべき存在なのだ。

「ねえ」

「何?」

「……なんでもない」

 胸につかえた言葉を、トリンは吐きだせなかった。

「大丈夫、最長老が何とかしてくれる。それにジイロもいるし……僕だって」

「うん」

 アコイが、殊更ことさら明るい声で励ましてくれた。

 その気持ちが嬉しくて、トリンは笑みを浮かべた。

 草むらが揺れる。

 アコイとトリンは同時に振り返った。

「……邪魔するぜ」

「ジイロ」

 現れたのはジイロだった。

 月明かりに照らされて、その顔は青白い。

「こんな時間に、どうしたのよ」

 隣に座るジイロの顔色を、トリンはそれとなく観察した。昼間のように激昂げっこうしている気配はなさそうだ。

「どうしたのって……そりゃ俺の台詞せりふだぜ」

 ジイロが、意味ありげな眼差しで、二人の顔を交互に見比べた。

 その意味を理解したトリンは、慌てて弁解した。

「なっ…何でもないわよ、わたしたちはっ」

「ふうん」

「何よ、その言い方」

「別に」

「それより、また仇を討ちにいこうなんて考えてないでしょうね」

 トリンはジイロの腰に視線を走らせた。丸腰である。

 隣で、アコイが苦笑を浮かべた。ジイロが、たまに夜に出歩く習慣があるのを知っているからだ。

「とにかく、あんまり無茶なことはしないで……?」

 そこまで言って、ジイロが自分の顔を見つめていることに、トリンは気付いた。普段あまり見ない真剣な表情だけに、思わず狼狽する。

「俺は、このままで終わらせるつもりはない」

 その固い意志を表すような、敢然かんぜんとした口調。

「どういうこと?」

「何をするつもりなんだ」

 彼女の背後からアコイの声。これも真剣だ。どうやら見つめあっていたのは、この二人だったらしい。

「オッティーさんの仇を討たなきゃなんねえ」

「だから……シダおばさんに怒られたばっかりじゃない!」

 トリンが声を荒げる。

 だがジイロの目は、アコイを見ている。

 不安を覚えて、トリンは二人の青年の顔を交互に見比べた。

「おまえ一人で行ったって、勝てる相手じゃない」

「んなこた判ってるよ」

 さすがにジイロも、それは認識しているようだ。トリンは胸を撫で下ろした。

 だがすぐに、その表情が凍りつくことになる。

「一人ならな」

「え……」

 アコイの顔にも、動揺が走った。

 かまわずジイロは続ける。

「みんな、オッティーさんを殺した連中を許す訳にはいかねえって思ってる」

「何を企んでるんだ?」

「んなの決まってるだろ。奴らに報いを与えてやるのさ」

「まさか……こちらから仕掛けるっていうのか!」

「そうだ」

 自信満々にジイロ。

 だがアコイは青い顔で、かぶりを振った。

「無茶だ。勝てる訳がない」

「相手は所詮しょせん、野伏の集まりだぜ。楽勝に決まってんだろ」

「どうしてそんなことが言い切れるんだ」

 この揺るぎない自信は、いったいどこから沸いてくるのだろう。

 確かにジイロは強い。しかしそれは、あくまで一対一で戦った場合の話だ。

「地の利は俺たちにある。あいつらはまだ、この里の場所どころか、山のこともよく判ってねえ。叩くなら今しかねえよ」

「それは……」

 確かに、理にはかなっている。

 だがアコイは、決して諸手もろてで賛同できなかった。

 今までは防戦だけで良かったから勝てたのだ。こちらから攻撃するとなると、様相は変わってくる。

「おまえだって、このままで済ませるつもりはないんだろ」

 導火線に火がついたのか、ジイロは熱弁をふるいだした。

「俺たちで、人間どもをこの山から追い払うんだ」

「ちょっと……」

 トリンが二人の間に割って入った。

「やめてよ、物騒なこと言うの」

「じゃあおまえは、俺たちが皆殺しにされてもいいってのかよ」

「そんなこと誰も言ってないでしょ」

「ならどうするってんだよ。このままほっといたら、あいつらは間違いなく、この里を襲ってくるんだぞ」

「それは……」

「俺もおまえも、みんな殺されるんだぜ。あの薄汚い人間どもに。それでいいのかよ」

「いい訳ないじゃない!」

 トリンは、思わず声を張り上げた。

 言ってから口に手を当てる。

「…………」

 三人は押し黙った。

 川のせせらぎが、思いだしたように風に乗って流れていく。夜の冷たい空気が、肌にまとわりつく。

「俺は守るからな」

 ぽつりと、ジイロが呟いた。

「俺には守りたいものがある。だから戦う」

 ジイロが、今度こそトリンの顔を見つめ、きっぱりと言った。

「何よ、守るものって……」

 トリンの心臓が早鐘はやがねを打ちだした。

 頬が紅潮こうちょうしていく。

 そのとき、アコイがすっと立ち上がった。

「最長老に会いにいく。いっしょに来てくれないか、ジイロ」

 そう言うと、ジイロの返事も待たずに歩きだした。

「おい……?」

 幼なじみの突然の行動に、ジイロとトリンは戸惑い、顔を見合わせた。

「アコイ?」

 彼の足取りは力強かったが、トリンは胸騒ぎを覚えてならなかった。

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