6頁
ジイロは、脇目も振らずに家まで駆けた。
家の前では、母親のシダとトリンが、薬草を干しているところだった。
「あっ、ジイロ」
トリンが真っ先に彼の姿を見付け、おかえりと声を掛ける。
しかしジイロは、無言でその横を通り過ぎ、家のなかへ入っていく。
「え……」
戸惑うトリンの横で、シダは嫌な予感に眉をしかめた。
すぐに、ジイロが飛びだしてきた。手に曲刀を握っている。
「お待ち」
シダがジイロの前に立ちはだかった。
「どけよ」
怒気を孕んだ声。トリンが寒気を覚えるほど、思い詰めた目をしていた。
「どかないよ」
シダは動じない。
「ねえ、どうしたの? そんな物持ちだして、何するつもり?」
不安げに尋ねるトリンに対して、ジイロは悔しさを絞りだすように答えた。
「オッティーさんが殺された」
「ええっ!?」
二人の女は目を見張った。
「山に侵入した野伏にやられたんだ」
押し殺したような声が、却って彼の怒りを物語っている。
「オッティーさんが……うそ……」
トリンはショックが大きかったのか、まだ呆然としている。
シダは、厳しい顔で息子の腕を掴んだ。
「それで……仇討ちにでも行こうってのかい」
「判ってんなら、放せよ」
「駄目だ」
「なんでだよ」
「駄目なものは駄目だ」
「いいから放せよ!」
パン! と乾いた音が響き渡った。シダが、ジイロの頬を強く張ったのだ。
「おばさん……!」
トリンは目を疑った。
ジイロも、信じられないものを見るように母親を凝視した。
「無駄死にする気かい」
「母さん……」
徐々に、ジイロの目が正気を取り戻していく。
「怒りに任せて戦っても、返り討ちにされちまうだけだ。命を懸ける場所を間違ってんじゃないよ」
声を抑え、シダは息子を諭す。
「ジイロ!」
そこに、アコイが駆けつけてきた。
「アコイ……」
トリンは、すがるような目をアコイに向けた。
「ねえ、オッティーさんが殺されたって、ほんとなの?」
嘘であって欲しかった。あの優しいオッティーが……。
アコイは一瞬、言葉に迷った様子を見せたが、苦々しげに頷いた。
「そんな……」
トリンは、両手で顔を覆った。
シダがすかさず、アコイに言葉を掛ける。
「今すぐ、若い連中の様子を見にいきな。ジイロみたいに、飛びだそうとする子がいるかもしれないからね。そのときは、あんたが止めるんだよ」
「はい」
「しっかりね」
アコイは強く頷くと、きびすを返して走り去っていった。
「トリン、あんたは家に戻りな」
「でも、ジイロが……」
「この子のことは、あたしに任せて。あんたは帰るんだ」
「……はい」
シダの言葉には逆らえず、トリンは渋々家路に就いた。
「なんで……」
俯いたまま、ジイロがか細い声で呟いた。
「なんで止めるんだよ……」
「死ぬと判ってるのに、行かせる訳にゃいかないよ」
「殺されたんだぜ」
「聞いたよ」
ジイロの曲刀を握る手に、また力がこもる。
「殺してやる」
「おまえ一人でかい」
「みんながいる。人間なんか皆殺しにしてやる」
「その前に、あたしらが全滅だ」
「んなことさせねえ!」
叫び、顔を上げたジイロは、母の顔を見て言葉を失った。
「おまえを守れって、あたしゃ、あの人に頼まれたんだ」
小さな、ごつごつした太い手が、ジイロの頬に触れる。
「もう誰も死なせたくないんだ」
ジイロの手から曲刀がこぼれ落ちた。
母の涙を見たのは、父が死んだとき以来だった。