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イェルフと心臓  作者: チゲン
第一部 イェルフと心臓
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2頁

 かつてイェルフ族は、強大な魔術を駆使して世界の頂点に君臨くんりんしていた。

 しかし世代を重ねるに連れ、優秀な術師は減り、魔術や魔力そのものが衰退すいたいしていった。長い寿命も高度な技術も失われた。

 すると、それまでしいたげられてきた人間たちが牙をいた。

 数百年。

 血で血を洗うような、激しい戦いが続いた。

 だが、魔術に頼りきっていた代償だいしょうか。数で勝る人間たちの勢いに圧され、イェルフ族はしだいに追い詰められていった。

 住みわれ、数多の命を奪われ、栄華を失った。

 今やいくつかの小さな部族が、人里離れた奥地で細々と命脈を繋ぐのみ。

「ん……」

 火のぜる音と、薬草の少しきつい香りで、ウタイは意識を取り戻した。

 暖かい。

 薄目を開ける。

 焚き火の側で眠っていたらしい。

 呆然と、その炎を見つめた。

 夜。

 脳裏に今までの出来事が順を追って蘇ってくる。それはまるで、ああ、そんなこともあったなという、子供の頃の思い出のように淡かった。

「……!」

 ウタイは飛び起きた。

 その瞬間、電流のような激痛に襲われた。

「うッ!」

 咄嗟とっさに両腕で上半身を掻き抱く。

 全身の神経がじ切られるような、凄まじい痛みだった。

「く…あ……」

 得体の知れない何かが、骨を噛み砕き、肉を食い荒らしていく。

 ぎゅっと目を閉じ、歯を食い縛る。

「ぐうう……うう……」

 必死で耐えていると、その甲斐あってか、徐々に痛みが引いていった。

「うう……」

 助かった、のか……?

 どうやら体はバラバラにならずに済んだらしい。もっとも、精神の方が先に崩壊していたかもしれないが。

「……ふう……」

 少し様子を見て、痛みが完全に去ったことを確信すると、安堵の息を吐く。

「死ぬかと思った」

 今まで経験したことのない痛みだった。

 ようやく落ち着きを取り戻したウタイは、自らの状態を確認した。

「これは……」

 怪我をしていた箇所かしょに、丁寧に包帯が巻かれている。

「無理に動くと、傷口が開くぞ」

「!」

 横あいから男の声がした。

「誰っ!?」

 ウタイは思わず身構えたが、

「いッ……!」

 再び、悶絶もんぜつするほどの激痛に見舞われた。

「くぅ……」

「動くなと言っているだろう」

 男があきれたように言う。

 焚き火に枝を投げ入れる。

「……あなた誰? あいつらの仲間?」

 痛みが引くのを待ってから、ウタイはその人間の男を睨みつけ、問い質した。

「あんな連中といっしょにするな」

 男は火にかけていた小さな鍋から、湯気の立っているスープをわんにそそぎ、彼女に差しだした。

「食え」

 短く言う。陰にこもった声だった。

 薬草スープの香りが、鼻孔びこうをくすぐった。

「誰が人間の作ったものなんか」

 ウタイは顔をそむけた。

 腹が鳴った。

「…………」

「うう……」

 空腹には勝てない。

 ウタイは、男から椀を受け取ると、中身をひと口含んだ。

「あつっ」

あせらなくても、スープは逃げたりしない」

 笑うでもからかうでもなく、男は淡々と言う。嫌味な言い回しだ。

「大きなお世話よ」

 少し冷ましてから、ウタイは一気に中身を飲み干した。

 香りの割りに、味は薄かったように思う。吟味ぎんみする余裕などなかったが。

「おかわりは?」

「…………」

 無言で椀を突きだすと、男は二杯目をよそった。

 四杯目を飲み終えるまで、二人はひと言も言葉を交わさなかった。ようやくウタイがひと心地つくと、男は椀を受け取り、スープをよそって自らの口に運んだ。

「ちょっと、それ、私が口付けた……」

 男は聞いていない。

 ウタイは不快げに眉をひそめた。所詮しょせん粗野そやな人間か。

「……あなたが手当てしてくれたの?」

「成り行きでな」

 ウタイは改めて男を観察した。

 三十歳くらいだろうか。せぎすで細面だが、目は鋭く落ちくぼんでいて、陰気な印象を受ける。

 肌は血を抜いたように青白い。唇にはつやがなく、かさかさに乾いている。

 さながら、死人の如き男だった。

 出で立ちも、随分ずいぶんくたびれている。野伏というより、放浪者のたぐいかもしれない。

 もっとも出で立ちという点では、ウタイも負けず劣らずひどい有り様だ。自慢の銀髪には枝や葉が絡みつき、服はボロボロに破れ、方々に血痕けっこんがこびりついている。

 慎重に怪我の具合を確かめる。やはりあちこちが痛んだ。特に左足を動かそうとすると、とてつもない激痛が走った。

 ウタイがもがいていると、男は冥府めいふからの使者のような声で言った。

「無闇に傷口に触って悪化させるなよ。骨は折れてないが、下手をすると切り落とすことになるぞ」

「……!」

 ウタイは、カッとなって男を睨みつけた。

「大きなお世話だって言ってんでしょ!」

 ショックよりも、男の気遣いのない言い方に腹が立った。

 この男は悪くない、とは思わない。こいつもまわしい人間の一人なのだから。

 男はスープを飲み干すと、椀を置いた。

「おまえの名は?」

「…………」

「俺はポロノシューだ」

 いてもいないのに、男は自ら名乗った。どこかで聞いた名だと思いながら、だからといって、自分の名を名乗る気にはなれなかった。

「わたしをどうするつもり?」

 ウタイは胸の辺りを腕でかばいつつ、周囲に目を配った。

 隙を突いて、このポロノシューと名乗った男の曲刀を奪って、殺してやる。そういう心構えの目である。

「イェルフというのは、どいつもこいつも礼儀知らずだな」

 ポロノシューがそう言って、かすかに笑った。

「人間のくせに、知ったふうなことを言うな!」

 ウタイは手元の石をつかむと、思い切り腕を振り上げた。

「いっ……」

 しかしまた何度目かの激痛が走り、拾った石を落としてしまう。

りない奴だ」

「うるさ……う……」

 今度は、吐き気をもよおした。

 胃の内容物を戻しそうになったが、この男の前で不様な姿は見せたくない。口と腹を押さえ、ウタイは必死にこらえた。

 しばらく耐えていたら、徐々に吐き気は治まっていった。

 ほっとして顔を上げると、すでにポロノシューは横になり、背を向けて眠っていた。

「こいつ、バカにして……」

 今すぐこの場で天誅てんちゅうを下してやろうか。

 だが現状では不可能だ。少し体に力を込めるだけで、激痛がぶり返してくる。

 とりあえず様子を見るしかないだろう。この男も、今のところ、こちらに危害を加える素振りはなさそうだし。もちろん、信用するつもりなど微塵みじんもないが。

「ふん」

 ウタイは慎重な動作で毛布の上に横たわり、その上からさらに毛布を被った。思った以上に暖かい。

 ちなみにポロノシューは、土の上に寝転がっているだけだ。

 その背中を見ていると、また感情がたかぶってきそうなので、痛みを堪えつつ寝返りを打った。

 全ては明日だ。明日になれば、きっと左足も治っているに違いない。

 ウタイは夜空を見上げた。

 満天の星空。

 故郷で見ていた空。

 殺された母が、口癖のように、人間など信用するなと言っていたのを思いだす。

 不意に涙が込み上げてきた。

 ウタイは、乱暴に目を擦った。

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