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イェルフと心臓  作者: チゲン
第二部 イェルフの子供たち
17/61

3頁

 アコイの胸は晴れない。

 銀色の髪は、少し伸びている。うっとうしいので、そのうち切るつもりだ。

 胸が晴れないのは、髪のせいではない。

 相手が人間とはいえ、命を奪うのは決して気分のいいものではない。それが例え同情の余地などない、野卑やひな野伏の集団だとしても。

 そもそも、初めに襲いかかってきたのは向こうだ。罪の意識を感じる必要はこれっぽっちもない。

 やるせない、というのだろうか、この感じは。

 アコイは息を吐く。

 いったいいつまで、こんなむなしい日々を繰り返さなくてはならないのか。

 最近、人間たちの動きが活発化している。

 それは里の誰もが感じていた。

 長老衆も、頻繁ひんぱん寄合よりあいを開いているのだが、これといって有効な策も出ないまま終えてしまう。

 年寄り、子供も含めて二一六人。当初と比べて、里の人口もだいぶ増えた。この山に移ってきた頃は、一五〇人程度しかいなかった。

 もう十三年も前の話だ。その頃はアコイも、ジイロもトリンも、まだ幼い子供だった。

 アコイは、この部族が大好きだった。

 だからこそ守りたい。皆を……引いては、減少の一途を辿るイェルフ族を。

「本当に魔術が使えたら」

 心からそう願うことがある。

 かつて、強力な魔術を駆使して地上に君臨していたイェルフ族。だがその栄華は、もはや影も形もない。

 唯一の残滓ざんしといえるのが、いくつかの部族にのこされた秘宝だった。もっとも、その秘宝のせいで人間たちに襲われるのだから、ままならない話である。

 アコイたちの部族には、元から秘宝が伝わっていなかった。しかし、ならば安全という訳ではなかった。

 奴らは、どこまでも執拗しつように追ってくる。

「どうして、そっとしておいてくれないんだ」

 あるいは尖った耳と、銀色の髪さえなければ。この特徴的な外見さえ隠すことができれば、彼らの社会に混ざっていくことさえ容易だろう。

 しょせん彼らは、物事を上っ面でしか判断できない劣等種なのだから。

 里が見えてきた。

 十三年の間に、畑も開墾かいこんし、家も建てた。生活には、ほとんど困らなくなっている。

 穏やかでゆるやかな時間のなかを、アコイたちは生きていた。

 今までは。

 畑では男たちに混ざって、女たちも腰をかがめて働いている。アコイの姿を見かけると、にこやかに手を振ってきた。

「怪我はなかったかい」

「アコイがいりゃ、人間なんかちょろいもんさ」

「あんたとは違ってね」

「自分の亭主に向かって、そりゃねえだろ」

 何気ない会話に、笑いの輪。

 それだけで、アコイの心は安らいだ。そして改めて思うのだ。この日常を守りたいと。

「トリンなら川で洗濯してるよ」

 誰かが、気を利かせて、訊きもしないのに教えてくれた。

 里を取り囲む堅固な柵の裏手口をくぐり、川の方に歩いていくと、せせらぎに混ざって、男女のはしゃぐ声が聞こえてきた。

 木立ちを抜け川原に出る。洗いかけの洗濯物が目に入る。

 見知った青年と娘が、膝まで川に浸かりながら、水を掛けあって遊んでいた。

「ちょっと、やめてよっ」

 娘は楽しそうに笑っている。

 水飛沫が陽光を映し、眩しく輝いていた。

「おまえからやってきたんだろ」

 口調こそぶっきらぼうだが、青年も笑みを浮かべている。

 飛沫を受け、娘がまた声を立てて笑う。

 アコイは目を細めた。

 戦いの疲れが、いっぺんに吹き飛ぶ気がした。あの笑顔を見るためなら、どんなにつらく虚しい戦いも耐えられるだろう。

 すると青年が、アコイに気付いて、あっと声をあげた。まずいところを見られたと思ったのか、ばつが悪そうな表情を浮かべる。

 娘も気付いた。娘は片手を振って、無邪気に彼の名を呼んだ。

「おかえりアコイ!」

「ああ。ただいま、トリン」

 裸足のまま川原に駆け上がってくると、トリンは帰還した戦士を満面の笑みで出迎えた。

「大丈夫? 怪我とかしなかった?」

「平気だよ」

「おいおい、俺のときとずいぶん対応が違うじゃねえか」

 不満げな声で、青年が川から上がってくる。

「何か文句あるの?」

「……別に」

「ジイロ、そっちの方はどうだった?」

 もう一人の幼なじみに、アコイは尋ねた。訊かなくても判っていることだが。

「ちょろいもんさ」

 ジイロは肩をすくめる。

「人間なんかにやられるかよ」

「油断するなよ。連中もそのうち、本腰を入れてくるかもしれないからな」

「ああ、判ってるって」

 軽く聞き流すジイロを見ながら、アコイはやはり一抹の不安を覚えた。彼の腕なら、確かにそこらの野伏におくれを取ることはないだろうが。

「まあ、遊ぶ体力が残ってるんなら、心配ないか」

 からかうような視線で、ジイロとトリンを交互に見比べる。

 ジイロの頬に朱が差した。

「お…俺はただ、トリンが洗濯手伝ってよーって言うから、付きあってやっただけだし」

「何よそれ。そんな言い方してないでしょ!」

「ハハッ」

 見慣れた日常の風景に、アコイは思わず声をあげて笑った。

「僕も手伝うから、さっさと洗っちゃおう」

 川面に映った光に、アコイは再び目を細めた。

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