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洗濯物を干し終えたトリンは、広場の方を望みながら、男たちの帰りを今や遅しと待っていた。
「心配しなくても、じきに帰ってくるさ」
大きな籠を抱えて歩いてきた女が、やや呆れ気味に言った。籠のなかは、川で洗ってきたばかりの洗濯物でいっぱいだ。
だがトリンは、胸の奥の不安を払拭することができなかった。
「シダおばさんは、ジイロが心配じゃないの?」
つい、棘のある口調で言い返してしまった。
シダは苦笑を浮かべる。
「あの子は、そんな簡単に死ぬようなタマじゃないさ。それにアコイもいっしょなんだ」
「そうかもしれないけど……」
「心配しすぎなんだよ、トリンは。あたしら、そんな暇じゃないんだ。はいこれ」
そう言うと、シダは抱えていた籠をトリンに押しつけた。
思わず受け取ってしまったが、存外に重く、籠ごと落としそうになった。
シダが白い歯を見せる。小柄な体からは想像できないが、膂力がある。
「これも頼むよ」
「シダおばさんは?」
「まだ、ひとつ残ってる」
きびすを返し、すたすたと川の方へ戻っていく。
「元気だなあ、シダおばさん」
あいかわらず凄い体力だ。曰く、鍛え方が違うらしい。
一方のトリンは、すでに腕に限界を感じ始めていた。
「ととっ……」
銀色の長い髪が左右に揺れる。部族のなかでも評判の銀髪が、陽光を浴びて白い輝きを放つ。
籠を物干し台のところまで運ぼうとしたが、足元がお留守だったせいで、石に躓いた。
「きゃっ」
体が前に傾ぐ。
「おっと」
横合いから青年の手が伸びて、トリンの体を支えた。
おかげで転ばずに済んだのだが、その反動で、籠が手からすっぽ抜けてしまう。
「あっ」
ボサリと音を立てて籠が土の上に転がり、洗ったばかりの洗濯物が、半分近くこぼれた。
「あー、やっちゃった……」
「何やってんだよ」
「……ジイロ」
いつの間に、と言いかけてやめる。ばかにされるのが落ちだ。
「アコイは?」
「……まず俺に対して、ありがとうとか、おつかれさまとか、無事でよかったとか労いの言葉はねえのか」
「そんなの、心配するだけ無駄だもん」
「かわいくねえやつ」
「どっちがよ」
溜め息を吐きつつ、汚れた洗濯物を集める。
「あーあ、もう一回洗い直さなくっちゃ」
「ほんとに鈍臭いよな」
「うるさいわね。見てないで手伝ってよ」
「なんで俺が……」
「か弱い女の子が苦労してんのよ。手を貸すのが男ってもんでしょ」
「誰が、か弱いって?」
「…………」
睨みあう二人。
「ジイロ」
青年の名を呼ぶ声。
シダが、また洗濯物の入った大きな籠を抱えて戻ってきていた。
「母さん」
「おかえり、ジイロ。怪我はなかったようだね」
「……まあな」
籠の陰から顔を覗かせたシダに、ジイロはぶっきらぼうな態度で頷いた。
「人間は?」
「んなの、全員殺ったに決まってんだろ。アコイがヘマさえしてなきゃね」
「アコイが、そんなドジ踏む訳ないじゃない。ジイロじゃあるまいし」
「んだと……」
また睨みあうジイロとトリン。シダが苦笑する。
「アコイがヘマするような相手なら、この子だって無事じゃ済まなかったよ」
「だから俺は……」
「無事だったんだから、いいじゃないのさ。アコイだってじきに帰ってくる。それまでに、その汚れた分をもう一回洗ってきとくれ。二人でね」
「えっ、なんで俺まで……」
「いいから行ってきな。干すのはやっといてやるから」
「ちょっ……」
シダは籠を地面に下ろし、なかの洗濯物を、手早く物干し台に掛けていく。
その背中に文句を言いかけて、ジイロは諦めた。抵抗しても無駄だと知っているから。
隣で、トリンが俯いたまま肩を震わせている。
「笑うな」
「ぶふっ」
耐え切れず、とうとう吹きだすトリン。
「ほら、さっさと行ってきな」
「ああもう、判ったよ……ほら、行くぞ、トリン」
シダにせっつかれて、ジイロは渋々、川に向かって歩きだした。
その後ろを、汚れた洗濯物を抱えたトリンが、笑いながらついてくる。
「……覚えてろよ」
小声で毒づくジイロの頬は、少し赤かった。