第一話:潮風薫る春に 一部
恋とは求めあうモノ、愛とは受け入れあうモノ。友達が言っていたことですが、考えてみるととても奥が深いです。
バスから降りると一層の潮風が俺を迎え入れるように吹く。
荷物のつまった旅行用のカバンを背負う。
ずっと座っていたせいで下半身が痺れているのを我慢して一歩一歩を親父に渡された地図を頼りに目的地へと歩を進める。
地図には赤ペンで×印を打ってある位置は坂道を町の中の高所にある丘の近く。
途中の坂道は地獄の坂と呼ばれているくらい急でこの荷物を背負って歩けるのか心配だ。
俺がこれから向かう泊まり先は三年前の中学生の頃、夏休みに一度この町に訪れた時に泊まった場所だ。
観光地としても多少有名なこの場所で営まれている民宿、兼喫茶店の『シーホーム岸田』。
仕事の手伝いをする代わりに三食(夜食含む)の毎月お小遣い五千円という条件で住まわせてもらう約束である。
それにしても、この海夜町には無風な時はないのだろうか。
いつも微弱ながらも吹く潮風を感じながら俺はふとそう思う。
この町にはどうしてこうして風が止むことを俺は感じたことはない。
まあたった一ヶ月くらいしか住んだことないので、本当に風が止むときはないのかは未だわからないのだが。
時計を確認すると二十分くらい歩いたんだと実感する。
ちょうどあの地獄の坂を目の前に俺はため息をつく。
いくら気温が眠気を誘うような暖かい温度だとしても、今の俺には苦である。
体力には多少の自身はあるんだが、これは本当の地獄だ。
息を荒げながら急な坂を上る俺はそう思う。
これだけの難所なら迎えの一人や二人来てくれてもいいんじゃないか。
文句を心の奥で呟きながら俺はコンクリートを蹴る。
「お、重い」
ついには口に出してしまう始末。
こういうつらいときに弱音を吐いたら負けだとよく言うが、もう負けでいいとさえ思ってしまう情けない俺である。
ちょうど坂道の中間点である地蔵を通ると俺の体力はもう限界だった。
「ここで一休みするか」
時間的にはギリギリであるが、このまま道端で倒れるのだけは避けたい俺は地蔵の横に座り、荷物を置く。
地蔵の目を閉じた顔に時々落書きしたくなるのは俺だけだろうか。
隣の地蔵のざらざらした頭を撫でながら俺はそんな罰あたりなことを考えてみたりする。
行き所のない視線を上に上げると樹木から生えそろった枝から垣間見える日光が万華鏡のように照らしている。
ちょうど俺が通っている坂道は小さな山の一角でもあるため年代を感じさせる樹木もあちこちに見られる。
そろそろこの重い腰を上げないと遅刻しそうなので俺は地蔵の頭を支えに疲れきった体を立ち上がらせる。
「よし、行くか」
まだ疲れのとれない足の筋肉を使い、俺は地面を踏みしめながら坂道を再度歩き始めた。
意識朦朧に『シーホーム岸田』を掲げるペンションに到着すると、約束の時間ピッタリだった。
ペンションの前には見知らぬ人影が一つ。
それは俺の存在に気付くなり小走りで俺に走り寄ってきた。
『シーホーム岸田』の刺繍が施されたエプロンを着用しているところを見るとこのペンションの従業員だろう。
「もしかして、倉敷準様ですか?」
茶色を帯びた短い髪、幼い顔立ちの少女は俺にそう言った。
身長は俺より少し下くらいだ。
「ああ、そうだけど」
俺が答えるなり少女は俺に深くお辞儀をする。
「すみませんでした。本当はお迎えに上がろうとしたのですが、急なお客様の対応で忙しくて……」
「言い訳はいいから早く案内してくれると助かるんだけど」
俺の冷たい言葉に少女は体をビクつかせ、顔を俯かせる。
「す、すみませんでした。こちらです」
俺がこういう物言いしか出来ないのは、つまり三年前の出来事のせいでもある。
あれから俺は人を気遣うことを止めた。
時折、平和に生きるために仮面を被ることはあるが、それは本心じゃない。
俺は他人を絶対信用しない、それが本心である。
ゆえに俺は他人に優しい言葉遣いなどしない。
だからといって空気を読まないことはしないつもりだ。
学校などの大勢が過ごす場では当然いい子の仮面を被る。
それが俺である。
「荷物お持ちします」
「いい。自分で持つから」
やはり俺の言葉一つ一つに体を小動物のようにビクつかせる。
睨むというよりは俺の機嫌を伺うように、俺の顔をチラチラと振り返りながら俺の前を歩く。
それが気に入らなくて俺は言った。
「何か言いたいことがあるか?」
「いえ何も」
すぐさま視線を前に戻して少女は俺の部屋へと先導を続ける。
微妙な空気の中、ようやく部屋の前に辿り着く。
「こちらが鍵です。予備はないので大切にしてください」
差し出された部屋番号の書かれたキーホルダーが付いた鍵をひったくるように取る。
「言われなくてもそうする」
俺は突き放すように素早くドアを閉める。
ドアの向こうで遠ざかる足音を確認すると俺は荷物を窓際に投げ、靴を脱いで畳の上に乗る。
部屋は五畳半くらいの小さな部屋で、テレビと冷蔵庫付き。
押入れには寝るための布団一式。
一度泊まったこの場所にはやはり親近感を覚える。
「さて、まずは挨拶でもしにいくか」
汗臭くなったシャツを脱ぎ捨て、新しいシャツを羽織る。
これから一年も泊めてもらうんだし、挨拶くらいは社会の常識だ。
歩き続けてダルくなった足を言い聞かせるように動かす。
半開きになった窓から網戸越しに潮風が部屋に入り込む。
潮の香りが鼻を通り抜けていく。
懐かしさを感じてしまう自分を抑えるように俺は扉を乱暴に閉めた。
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