旅の記憶
[夏、祭り、トゥルミにて]
ここは、冬になると雪の降る町。氷のように閉ざされると、もっぱらの評判の町。
今年も、短い夏がやってきた。この異国の町は、他の国の人を寄せ付けないことで知られているが、夏の間だけ、夏を祝うお祭りが開かれる。
「ミカリーヤ」と現地の言葉で呼ばれるこの祭りは、冬の寒さから解放された人々が、短い夏を祝うのである。
ここに、一人の旅行客がやってきた。男の名前はジュンという。
黒い髪にダークブラウンの目をした、年若い男性である。
町にやってきたジュンは、なにやら騒がしい雰囲気の方へと向かった。そこでは異国の音楽が流れていた。
どこかはかなげのあるメロディーに誘われて、ジュンは町の中心へと入っていった。
酒場では、昼間から酒を飲む酔っ払い達が楽しそうに談笑している。男も女も関係なく、この町では働いているようだ。給仕に勤しむ人か、と思えばお客さんと一緒に話す人もいる。
踊りをおどる人々が目に入る。トントコと太鼓を打つような音も聞こえてくる。馬に乗った自警団かと思われるような人が、古い民族衣装のような恰好をして闊歩している。
まさにお祭りだ。と、そこへ一人の女性からジュンは話しかけられた。
「やあやあ、この町は初めてかい?」突然、自分の国の言葉を流暢に話されたジュンは、多少驚きながらも、「ええ。初めてです。」と返した。
「よかったー!君のような人が必要だったんだよね」
ジュンは面食らったような顔していると、
「あ、自己紹介がまだだったね。私はナタリヤ。君の名前は?」
「ジュンです」
「いい名前だね。それじゃ、ちょっとこっち来てくれるかな?」と言われた。
異国でこのミステリアスな女性を信頼してよいものか迷ったが、ここまで来たのでジュンはついていくことにしたのだった。
町の大きな集会場だろうか、ちょっとしたお屋敷のような、そんなところにナタリヤはジュンを連れて行った。
ねぎらいの言葉をかけているのだろうか、水を庭に撒いていた庭師がナタリヤに異国の言葉で話しかけた。
撒かれた水がコンクリートの地面に当たり、シュワシュワと音をたてた。
「さあ、こっちよ」
ナタリヤはそう言って集会場に入っていった。
「ここではお祭りのメインイベントを計画しているんだ」
ナタリヤはそう言って、集会場に集まっている皆にジュンを紹介した。
周りからはどよめきと拍手が巻き起こった。ジュンはその雰囲気に緊張を覚えた。
「やあ、君は日本から来たんだね?」
取りまとめるトップの風貌をした、小太りの壮年のおじさんが話しかけてきた。
「はい。ジュンと言います」
そうか、そうかと言って、なるほど、とうなずく。
「君みたいな人は久しぶりだ、わくわくするね。ああ、私の名前はヴァシリー。よろしく。」
「よろしくお願いします」
一呼吸おいて、ヴァシリーは話し始めた。
「実はね、祭りのメインイベント、パレードに、ナタリヤと一緒に出て踊ってほしいんだ」
ジュンは、それを聞いてあまりの唐突な事にびっくりした。
「ぼ、僕がですか?僕は異国人で、この国のことを何も知らないのに」
「だから良いのだよ」とヴァシリー。
「毎年のこの祭りの最後を飾るパレードには、町で選ばれた女と、その人が選んだ男が一緒に踊る決まりなのだよ」
ジュンは狼狽して、
「そんな…町の一番大事なイベントで…大役を果たすことなど、僕には…」
「君でなければだめなのだ。なぜならナタリヤが選んだのだから」
どうやらこの屋敷に来た時点で、ジュンの運命は決まっていたようだった。
ちらりとナタリヤの方を見ると、ナタリヤは嬉しそうに笑っていた。
「大丈夫よ。振舞い方は私たちが教えるし。何よりも、あなたじゃなきゃだめなのよ。」
ジュンがなぜ、と問うとナタリヤは微笑んで、
「うーん、なんとなくかな。それに、相手を選ぶのに決まりなんてないし。」
事ここに至って、ジュンは断りづらい状況にあることに気が付いた。観念したように、ジュンは
「分かりました、やりましょう」とヴァシリーに言った。
「よく言ってくれた。よかったな、ナタリヤ」とヴァシリー。
「ふふ、今年の夏は楽しくなりそうね」
/
夕暮れがやってきたころ。ジュンとナタリヤはお祭りのパレードに参加するための準備をしていた。
「ここに乗るのか…」
「そうよ。一番目立つところね」
二人は目の前に置かれた大きなオブジェと、それを乗せる台車を目の前に立っていた。
「一番のメインイベントなんだろう?僕なんかで大丈夫だったのか?」
「あなただから良いのよ」
ナタリヤはそう言って、オブジェの上に飛び乗った。
「ほら、こっちこっち。フカフカの座椅子よ」
皇帝が座るような仰々しい椅子が、オブジェの中心に二つ用意されていた。
ジュンは少し戸惑ったが、オブジェにゆっくり上がって、椅子に座った。
「この眺めは…すごいな」
ジュンの座った位置からは周り中をよく見渡すことができるのだった。遠くの灯り、町を歩く人々、色々な色に塗られた建物。
屋敷の庭に準備されたそのオブジェの中心から、周りを一瞥する。
「そろそろ出発よ」とナタリヤ。
「ええ、ちょっと早いんじゃないか?」とジュン。
パレードは夜が少し始まった後だと聞かされていたジュンだったが、
「開始場所は屋敷じゃないのよ。それに私たち以外の隊列の準備もしなきゃいけないから、早めに出なきゃね」
そう言われるや否や、ヴァシリーが、
「ではでは、パレードの成功をお祈りしておりますぞ」
と言い放ち、二人を乗せたオブジェと台車ががらがらと動き始めた。
がやがやと町の人が騒ぎ立てる声が聞こえる。どうやら「おお、この人が今年の主役か」「なんだかエキゾチックな人ね」と言っているように見えたが、言葉は分からない。
「大体あなたの考えてる通りよ。皆あなたのうわさでもちきりね」
ナタリヤが一言添えると、ジュンは何だか恥ずかしくなって、
「僕、突然ここに来ただけの旅人なのに、なんでこんな…」
「いいのよ。私が選んだ人なんだから」
さえぎるようにナタリヤが言った。
台車ががらがらと音を立ててパレードのスタート地点に進む。
「ねえ、あなたの故郷ってどんなところ?」
唐突に故郷について聞かれたジュンは、
「そうだな…ここと違って、夏がもっと長くて、暑いんだ。ここは冬はずっと雪に閉ざされるって聞いたけど、僕の故郷では雪は珍しい」
「そうなのね。私雪なんて大嫌い。寒くて、体に張り付いて動かなくするし、体温も、大切なものも奪っていくから」
ジュンはそれを聞いて、意外という顔をしながら、
「雪の降ったこの町も見てみたいな」と一言。
「あんまりきれいじゃないわ。それに寒すぎてあなたじゃきっと動けないし」
この地方の冬はとても苛烈だと聞いている。ナタリヤの言うことも確かなのだろう。
「確かに、僕にはあまり向いてないかもしれないな」
「そうそう。雪のこの町なんて、見れたもんじゃないわ。第一、外になんか出られないし、家でじっとしながら暖炉に当たるくらいしかすることないし」
そうこう言っているうちにパレードのスタート地点に着いた。
「でも、一度でいいから冬のこの町も見てもらいたいわね」
ナタリヤはそう言って台車から降り、パレードの実行役と思しき人と話を始めた。
町のはずれの一角と思われる場所に、隊列がきれいに並んでいた。
ジュンはぼうっとしながら、この町を見渡していた。コンクリートブロックで作られた町の建物が遠くに見える。
しばらくその向こうを見ていたところ、ナタリヤが「そろそろ出発ね。うまくいくといいわね」と話しかけた。
夏の夕闇に、街灯が町を照らしていた。その向こうを見ながら、ジュンは一人大きく息を吸い込んだ。
/
町の歓声が大きくなり、いよいよパレードが始まった。
ナタリヤは、「座っていて、時々観客に顔を向けるだけでいいから」と言った。
ジュンはこれからたくさんの人を前にすると思うと、緊張で頭がいっぱいになった。
「大丈夫」ナタリヤはそう言ってジュンの手を握った。
その一瞬にジュンは驚き戸惑ったが、すぐに複雑なよくわからない感情があふれてきた。
「大丈夫よ、私がついてるから」
パレードの台車ががらがらと動き出す。その間もナタリヤはジュンの手を握っていた。
やがて町の灯りが近くに見えると、ナタリヤはジュンの手を放し、台車の上に立ち上がって観衆に手を振った。
ジュンは呆気にとられてナタリヤを見ていた。大勢の観客を前にナタリヤのように立ち上がることはできない。そう、ましてやここは異国なのだ。
間違った対応をしてしまったらどうすれば良いのか…そう考えていると、
「ほら、次はあなたの番」
ナタリヤに手を引かれ観衆の前に立たされてしまった。
目の前に広がるのは大勢の歓喜にあふれた観客、声援、町を彩る飾りつけ、人、人、人。
呆然と立ち尽くしてひきつった笑いを浮かべているジュンに対して、ナタリヤは
「ほら、ちゃんと手を振って。それから観客のことを見て」
と後ろから声をかけた。
その一言で周りをもう一度見まわす。大きな体格の酔っ払いがいる。ガリガリに痩せたメガネの男もいる。中年のおばさんだろうか、異国の言葉で声援を投げかけている。
それから、小さな子供、パレードの方をじっと見ている子もいれば、はしゃいでグルグルと追いかけっこをしている子供もいる。
町はオレンジの灯りに包まれて、町全体がパレードを、夏の訪れを祝福しているようだった。
恐る恐る手を振ると、それに答えるように観客たちも歓声を上げた。しばらく観客たちに手を振ったり、目を合わせたりしながら、パレードは町の中央部へと行進していく。
ナタリヤが代わりに出てきて座るように合図を打った。
「気分はどう?あんまり悪いものでもないでしょう?」
「ああ、確かに…うん、そんなに悪い感じはしないね」
ジュンは軽い興奮を覚え、たくさんの人の前に躍り出るというのも悪くないのだな、と思った。
ナタリヤが立つと、歓声は一層増した。おそらくナタリヤのことをもてはやしているのだろうか。叫んでナタリヤを呼ぶような声も聞こえる。
突然、異国の言葉でナタリヤが叫ぶと、観客がワッと歓声を上げた。
「ほら、ジュン。立って頂戴」
そう言われて手を引かれ言われるまま、ジュンは立ち上がってナタリヤと共に台車の最前列に立った。
二人して手を繋いで大勢の観客の前に立つ。周囲の歓声は最高潮に達した。
ワーワーと騒ぐ観客にナタリヤとジュンは、一緒に手を振った。左手と右手を繋ぎながら。
ドン、と大きな音がした。歓声がワッと上がる。花火の音だ。
パチパチと光の閃光を放ちながら、夜の闇へと消えていく。ドン、と音が鳴るたび観客が花火の方角を向く。
「座りましょうか」ナタリヤがそう言い、手を離した。
ジュンもそれに従い、台車の上に置かれた席に座った。
「きれいね」
ナタリヤはひとりごちるように花火を見ながらそうつぶやいた。
「そうだね、こんな特等席でみられる花火なんてめったに無いな」
ジュンも花火を眺めながらそうつぶやく。
「ジュンの国では花火はあるの?」とナタリヤ。
「ああ、夏になると色々なところで上がるんだ。でもこんなに間近で見るのは初めてだ」とジュン。
二人は花火をぼうっと見ながら、喧噪の中を通り抜けていくパレードの上で過ごした。
ジュンは、これはきっと忘れられない思い出になるだろうな、と強く感じた。
夜の闇に、歓声と花火の音がこだまし、オレンジ色の光が町全体を包んでいた。
/
翌朝。
パレードの片づけをする屋敷の人々が見える。あれだけ大きなお祭りだ、年に一度なのだろう。片付けも大規模で大忙しのようだった。
パレードが終わった後、屋敷の部屋に泊めてもらったジュンは、豪勢な朝食を御馳走してもらった。ヴァシリー曰く、大役を見事に果たしてくれたお礼、らしい。
「本当はこれじゃ足りないんだがね、何しろ祭りで予算を使いつくしてしまってね。しかしこのくらいはさせていただきたい。」だそうだ。
ジュンにとっては、異国の料理がどれもおいしく、これ以上ないほどの報酬だったのだが。
「さてと」とジュンはひとりごちた。そこへナタリヤがやってきた。
「ジュン。昨日はありがとう」
「いやいや、とてもいい経験をさせてもらったよ。」
朝食の際、ナタリヤについても聞かされた。何でもこの町の8つある名家の一つの娘で、毎年順繰りでパレードの際に壇上に上がるのだという。
そして、なぜジュンが選ばれたかというと、「パレードの主役が相手役を選ばねばならない」という古いしきたりからくるものなのだった。
「これから、ジュンはどうするの?」
「また旅に出るよ。今度は南の方へ行ってみようと思うんだ。」
「そう、そうね。あなたにはまだやるべきことがありそうだものね。」
ナタリヤは少し寂しげにこちらを見た。
「たった一日だったけど、楽しかったわ。多分、私は一生忘れないと思う。」
「きっと僕も忘れないさ」
短い異国の日が昇り、庭を照らしていた。二人はそこで少し話をした。
「旅って、どんなものなの?」とナタリヤ。
「素敵なこともあれば、大変なこともある。途中でお金が底をついたり…今回のような"トラブル"に巻き込まれたりもするね」
「おもしろそう。私も旅してみたい」
「女の子の一人旅は危険だよ」
「あら、こう見えて腕っぷしは結構強いのよ、私」
「道に迷って途方に暮れることもある」
「それはそれでどうにかなるわ」
二人の会話は数分続いた。ジュンの故郷の話、町の人やうわさ、この町の特産品である「真っ青キャベツ」、それから二人の子供時代の話。
「そうね、そんなこともあったわ。昨日のことも、私にとってのそんな一ページになるんでしょうね」
しみじみ語り合った後、二人は目を見合った。ナタリヤはきれいな緑色の目をしていた。金色の髪の毛が、風に揺れてさわさわとゆれていた。
太陽の日差しが強く輝いた。
ジュンは、そっとナタリヤから目をそらして言った。
「じゃあ、僕は行くよ。お元気で、ナタリヤ」
ナタリヤはしばらく下の方をうつむいていたが、
「絶対忘れないから」
と一言残して、屋敷の中へと走って行ってしまった。代わりにヴァシリーがやってきて、
「ジュン様、これは昨日のお礼です。どうぞお受け取りください」
と言って、銀貨の入った袋と、「真っ青キャベツ」の漬け物を渡してくれた。
「ありがとうございます。」
「いえいえ。旅立たれるのですね。道中お気をつけて、お怪我無きようお祈りしております」
ヴァシリーは深々とお辞儀をして、見送ってくれた。
ジュンは屋敷の外へと歩んでいくと、後ろの方から大きな声がした。
「さようなら!ジュン!」
ナタリヤの声だ。ジュンは振り向いて、ナタリヤの居る2階のバルコニーの方へと手を振った。そして前を向きなおし、歩き始めた。
次の目的地は南の都市だ。ジュンは力強く前へと歩き、やがて町の外へと出発していった。
バルコニーでヴァシリーがナタリヤに話しかけた。
「良いのですかな?」
ナタリヤは、少しうつむいたまま、
「いいのよ。あの人にはやるべきことがあるから。」
と言い残して、自分の部屋へと去っていった。
やれやれ、といった顔をして、ヴァシリーは祭りの片づけへと戻っていった。
町を出たジュンの目の前には一面の草原が広がっていた。目指すは国境沿いの都市である。
「結構な距離があるけれど…道中に宿はあるはずだ」とジュンはひとりごちた。
辺りを見回して何もない事を確認すると、
「今日の昼食は真っ青キャベツだな」と、つぶやき、ジュンは次の都市へと歩き始めたのだった。
習作短編でした。読んでいただいてありがとうございました。
初投稿で慣れない面もありましたが、よろしくお願いします。
ではでは。