呪いの処女
次の日は二組の担任、原田先生が加藤先生の代わりに補習に来た。
俺達の担任、原田幹雄先生は柔道部の顧問で、黒縁眼鏡をかけた厳格な先生だ。もちろん恐い。
急に猫を被ったように大人しくなる俺達に、
「今日は静かに補習が受けられるわ」
言わなくてもいいことを大きな声で言う岡村。舌打ちしたくなる。
「んん? 今日はってことは、いつもはうるさいのか」
「男子がベラベラ喋ってうるさいです」
原田先生は、目を細めて男子の顔を見渡す。
健ちゃんは睨まないでやって欲しい。彼は一人だけいつも黙々とプリントをやっているのだから。
仕方なく黙々とプリントをやった。
原田先生は教卓で自分の仕事をしながら、鼻くそをほじっている。親指で。
パッと目が合うと、その鼻くそをクルクル指先で丸めて……ピンと教室の端っこに飛ばした。
女子が見ていたらキャーキャー言うような事を平気でする担任は……大物なのかもしれない……。
「今日の補習は大変だったなあ」
ぼやいている俺の机へとワラ半紙と万年筆をニコニコ持ってくる藍。すっかり教室の雰囲気に溶け込んでいるように見える。
「いつも匠が寝てるからでしょ。それより……」
「好きだなあ……王子様」
「女子っていつになっても王子様に憧れるものよ」
「……そうなのか……」
だが、それって呪いの王子様じゃ……ないよな?
万年筆を二人で握ると、当然のように藍の手に触れるのが……少し気恥ずかしい。藍も同じようにドキドキしているのかもしれない……。
「二年一組の加藤先生は処女ですか?」
ぶっとんだ藍の一問目に思わずズッコケそうになる――。
「のっけから、なんちゅーこと聞くんだよ!」
一気に手汗がMAXになるだろ!
――せめてそんな質問は女子同士でやるときに限定しろと忠告したい――!
いやいや、女子同士でもそんなことを王子様に聞いちゃ駄目だろう――!。
――「はい」を指すのを見た。見てしまった。
「そ、そんなことを王子様に聞くなよ!」
顔が真っ赤になってしまったじゃないか。
「やっぱりねえ。彼氏もいなさそうだし」
「はい」へ無情にも万年筆は動く。
……。
やっぱりこれ……呪いの遊びだ……。
加藤先生……彼氏がいないのくらいは知っていたが……。しょ……しょ……処女なのか……。今まで一度も男と付き合ったことがないのかもしれない。小説を読みながらニヤニヤしていた姿が……脳裏から離れない。
「学校の先生って、大人になるまで勉強ばっかりだから、素敵な恋愛ができないのよ。可哀想に」
授業をしている加藤先生、いつも生徒に対して自信なさそうに授業をしている。他の先生からは怒られてばかり。帰る時間も遅そうだし、可哀想といえば、可哀想なのだが……。
「それでも加藤先生は可哀想……じゃないと思うぜ。自分のやりたい目標を見つけて、それに真っ直ぐ頑張ることは可哀想じゃない」
顔を上げた藍の表情には、「納得できないです」と書いてあるようだった。
「だから加藤先生って、生徒に好かれているんだと思うけど……」
「――そんなことない! 先生なんて、お金の為に働いているだけよ。生徒は商品みたいなもので、どんな商品にも不良品はできて当然だと考えてる!」
藍の顔はいつになく真剣だった。声も大きい。だが俺はいつもと同じように答える。
「ふーん。都会じゃそうなのかもな」
「どこだって同じよ。お金のためにだけ働く――可哀想なやつらよ!」
可哀想なやつら……か。
「だが可哀想というのなら、藍の方がよほど可哀想だ」
「――なんですって!」
万年筆に凄く強い力が込められているのが分かる。図星なのだろう……分かりやすい性格だ。
「教室で授業を受けたいのに……受けてない」
藍が睨むその表情……ぜんぜん怖くなく、むしろ可愛い。
不思議なのだが……お互い手が万年筆を絶対に放さないと分かっていると、本心を言い合っても理解し合える気がする。
「――私、教室に行きたいなんて、一度も思ったことないわ――!」
「王子様、王子様、本当にそうなんですか?」
――「いいえ」を指す。
やっぱりだ。なのに藍は……驚きの表情でそれを見ている。
「見ていたら分かるよ。教室で一緒に話しながら王子様をしているとき、藍は本当に楽しそうだから」
「……」
下唇をキュッと噛んでいる。
「だから、二学期から教室で授業を一緒に受けたらいいじゃないか。もし、和木合の名前を笑うような奴がいたら、俺がぶん殴ってやるよ」
「……ばか」
急に顔を背けて、親指の付け根を目にあてがう姿に、自分が言い過ぎたと少し反省する。
また泣かせてしまった……。
一緒に万年筆を握りながら……。
和木合は自分のことを不良品だなんて思っていたのだろうか……。俺にはそのことがなによりも悲しくて、悔しくて、なんとかしたくて……。
どうにかしたいのに……どうにもならないこの気持ち……。
ああ! 歯痒いだ!
今の俺は、歯痒いんだ!