呪いの王子様
夏期補習の席決めがされた。男子と女子が集まって座っていると、補習中に話し合ってしまい、真面目に補習ができないそうだ。特に男子、俺と隆がだ。
――男子がうるさいと……加藤先生が小説を読むのに迷惑だそうだ――。
俺の隣には……和木合が座った。岡村が和木合を挟んで反対側に座っているのもあるが、いったい何を話したらいいか分からない。
まあ、話すことなんか何もないんだが……。話さなくてもいいのだが……。
今日は得意な数学だったので、真面目にプリントに答えを書き込んでいった。すると和木合は、チラチラと俺の書き込んだ回答を見て、そっくりそのまま写していく。……さらにそれを向こうの席の岡村も写す……。
机に肘を付け、手をおでこに当てて考える仕草をしながら、視線だけを気付かれないように和木合にへと向ける。
和木合の肩までかかる髪は、今日も綺麗にまとまっている。
シャーペンの持ち方も正しい。自分の名前も漢字で綺麗に書かれているし、細い指先の綺麗な爪は、美しい弧を描いている。切った後にヤスリの部分で丁寧に擦ってある証拠だ。俺の爪なんて、どんどん深爪になるし、爪と指の隙間には黒っぽいカスが詰まっているし、見比べると恥ずかしい。
内履きの踵を踏んでもいないようだし、白色のハイソックスは膝下まで綺麗に左右均等に上げてあり、座り方からも上品さが伺える……。姿勢が正しい。背筋がピンと伸びている。
本当に勉強ができないのだろうか……?
ワザと一問だけ答えを間違えて書いてみると、チラッと見て書き写したが、なにかおかしいのに気付いたようだ。そこだけ考え直し、しっかり正解を書き込んでいる。
――なんだよ。やっぱり分かってるんじゃないか、答えも考え方も。
隣の岡村沙苗は……間違った答えを写したままで気付いていない……。
頬杖で猫背。眉間にシワを寄せながらくだらなさそうにプリントをやっている。
俺は数学だけは真面目に問題を解こうとすれば解ける。決して分からない訳じゃない。プリントに答えを書くのが面倒くさいのだ。もともと答えが分かっている問題を、なぜわざわざ解く必要がある? 宿題もそうだし、テストだってそうだ。
ジグソパズルも嫌いだ。出来上がる絵が分かっているのに、なぜそれを切ってバラバラにして、組み立てる必要がある? 時間の無駄じゃないのか?
補習が終わると直ぐには帰らず、小説を出して読み始めた和木合。なにを読んでいるのか知らないが、小さな文字やたくさんの漢字で書かれた本を読んでいるのだから、読解力はあるのだろう……俺よりも……。
「和木合さん、今日は部活に行くから先に行くね。また明日」
「また、明日」
岡村が小さく手を振って、ラケットの入った黒いケースを担いで教室を出ていくと、隆と健ちゃんも同じように出て行こうとする。
部活動をやっている三人は、体操服姿で補習を受けていた。
「僕達も卓球部に行ってから帰るよ。匠君、バイバイ。和木合さん、さようなら」
「大変だな、バイバイ」
「……さようなら」
健ちゃんは帰る時も律儀に挨拶を欠かさない。和木合が小さな声で返事をした。
残りの女子二人と、加藤先生も教室からいつの間にかいなくなり、気が付くとまた、和木合と二人っきりになっていた。
声を掛けてきたのは……和木合の方からだった。小説に栞を挟んでパタリと閉じると――。
「ねえ、どうせバスの時間まで暇でしょ。ちょっと付き合ってよ」
「――え! つきあう?」
え! なにそのいきなり告白は――。舞い上がってしまう~。どうしていいのか分からない。
学校に来ない女子と付き合うと、俺も学校に来なくなる? いや、ダメだ。親に怒られるだろうし、俺はこれでも高校へ行って真面目な大人になるのが夢なんだ!
それに、なにより、俺には好きな女子がいる! 浮気なんてできない。片思いだけれど。
いや、それより、付き合うってなに? 俺達、まだ中学生だぞ。女子と二人っきりで遊ぶって、なにやって遊べばいいんだ? ま、まさか、まさかの……保健体育で習った、アレか――!
冷汗や油汗や脇汗がダラダラと体の水分を外へと追い出し、干物になってしまいそうな恐怖を覚える。冷汗と油汗は、ビーカーで混ぜるとやはり分離するのだろうかと意味不明な光景が頭の中を駆け巡る!
「なに勘違いしているのよ。二人でしかできないことを、手伝ってって言ってるだけよ。バカみたいに赤くなって」
あ、この女。なんで教室で授業を受けないのか分かってしまった。
……腹立つわ。たぶん女子からも男子からも嫌われるタイプなのだろう。バカにバカって言うやつもバカだと言ってやりたい。
いるんだよなあ~。いきなり転校当日に上から目線で偉そうにするやつ。あと、元々住んでいたところの自慢ばっかりするやつ。「だったらなんで転校してきたの?」って聞きたくなる。聞かねーけど。
顔から流れた汗を、今日もらったプリントで拭いた。ボロボロと濡れてわら半紙が額にくっ付くのを見て、和木合がクックックと笑っているのが、ちょっとだけ可愛くて……また腹が立つ。
和木合は机の上にプリント一枚だけ出して裏返しにすると、平仮名を大きな字で書き始めた。
ああ、昨日見たやつだ――。
「あいうえお かきくけこ
さしすせそ たちつてと
なにぬねの はひふへほ
まみむめも やゆよ
らりるれろ わをん」
「はい」「いいえ」の文字と、凸の形をしたお城の落書き。
「スーパー」「コンビニ」「図書館」「ホテル」「レストラン」
そして少し離れた所に、「王都」
不思議だ。昨日、一瞬しか開いて見ていないのに、鮮明に記憶しているなんて……。
同じものを書けと言われれば、寸分の狂いもなく書ける自信がある。
「よしっと」
「なんだよ、これ」
「コックリさんとか、天使様とかって、やったことあるでしょ?」
「ねーよ。そんなもん」
ソックリさんなら聞いたことはあるが、なんなんだ……その天使様って恥ずかしいキーワード。
「えー、マジで? 意味わかんない。毎日学校に来てて、暇じゃないの?」
「暇?」
そのことについては共感できる。確かに暇だ――授業中は。
だがそれ以外の時間は別だ。部活動をしていない俺は、学校が終われば家に帰ればいい。休み時間は友達の宿題を写したり、ゲームの攻略方法を聞いたりと、……わりと忙しい。
クラスの男子は、学校が暇だって思っている奴は、一人もいないかもしれない。
「だが、百歩譲って暇だったとしても、そんな得体のしれない「ソックリ天使様」なんて、やってる奴はいねーよ」
だ~か~ら~、俺の前でクスクス笑うんじゃねーよ。可愛いんだが、なんか腹立つっつーの!
「クク……。男子って子供ね。どこの中学校でも」
「なんだと」
人を暇人呼ばわりして、挙句の果てに子ども扱いかよ。しかも、全国の男子中学生を敵に回しやがった――。
和気あいあいと和木合藍、発音は一緒だが、こんなにも異なるんだな!
「なにかペン持ってない? 古いペンとか、力が宿っていそうなペン」
小説を鞄に片付けながら聞いてくる。
「なんだよ、その力が宿ったペンって」
「椎名家に先祖代々伝わる万年筆とか、インクに血が混じっているボールペンとか」
「あるわけねーだろ、そんな禍々(まがまが)しい物!」
和木合の前の席に座った。和木合が筆箱から取り出したのは、真っ黒の万年筆で、爪の部分は金色で模様が施されている。
「これは呪われた女が昔使っていた万年筆よ」
握る部分がわりと太く、黒光りしている。光沢と無数の傷……年代物なのかもしれない。
それを左手で握るように掴み、文字の書かれたワラ半紙の、「スーパー」の上へと垂直に立てる。
「匠も左手で一緒に握って」
「え? なにこれ? 意味不明なんだけど」
それと、いつから俺の名を呼び捨てにしていいと許可した?
「これはコックリさんでも天子様でもない、「王子様」よ。――一四世紀、外国に実在したファンディル・リョクワール公爵と彼の愛したケイサ・コンジュウ侯爵令嬢の悲劇が怨念となって全世界に漂っているの。その怨念は人の恋愛や噂話に貪欲で、時空を超えて知りたい事になんでも答えてくれたり、アドバイスしてくれるのよ」
ちょっと何言ってんだか分かんないや。
「……はあ? ……時空って」
王子様だとか、時空だとかって、女子の口から聞くと少し恥ずかしい。
「時間と空間よ! ――どうでもいいから、左手でペンを握ってよ!」
少し白い頬が赤らんでいる。恥ずかしいなら「王子様」だとか「怨念」だとか、真顔で言わなければいいのに。
要するに、俺と仲直りしたいんだな。
友達がいないから、構って欲しいんだな。
教室には二人しかいない。誰も見ていないのなら……いいか。万年筆を握る和木合の左手を、そっと上から握りしめた。
「そこじゃない! ペンを握るのよ! 手汗が気持ち悪いでしょ!」
――キツク怒られてしまった――!
なんなんだよこれは! まさか都会で流行りの「ツンドラ」か?
渋々、和木合の握る上の部分を握った。どうでもいいが、万年筆って初めて見たけれど、こんな使い方をしていいものなのだろうか? ペン先の爪の部分が少し曲がっているし、インクが滲み出てきている。
「私がいいって言うまで、絶対にペンから手を放したら駄目だからね!」
恥ずかしそうに怒る和木合……。まったく理解できないぞ。
「なんでだよ」
「呪われるからよ。呪われて、憑りつかれてしまうのよ。王子様に」
呪いって……ありえねー。
この女……和木合藍……。そうとう痛い女子だ――。教室にいれば、岡村沙苗級の煩わしさなのかもしれない……。補習中は猫でも被っていやがったのか?
「つーか、王子様だったら、むしろ憑りつかれた方が賢かったりカッコよかったりしないか?」
「……匠が王子様に憑りつかれたら、憑りついた王子様の方がガッカリして――自殺するかもしれないわね」
……自殺だって。
「……さらりと酷いこと言ってるよな」
「ええ。だから絶対に放しちゃ駄目よ。一緒に私だって呪われてしまうんだから」
――バーカ。お前はとっくに呪われているぞ、とは言わない。
女子はなんでそんな「呪われるリスク」があるようなことをわざわざやって遊ぶんだ? 怖いもの見たさか?
……まあ、女子ってそういったオカルト的な噂が好きだからなあ。
呪いの遊び「王子様」。最初は俺だってそれくらいにしか思っていなかった。
だが、その呪いの力に俺は驚愕することになる。
――好きな女子の名前を的確に言い当てられたのだ――!
男子中学生にとって、これ以上の重大ヒヤリ――重大インシデントは――ない!