呪いのワラ……半紙
次の日の朝、廊下から教室をそっと覗くと、和木合の姿を見つけて胸を撫で下ろした。
都合がいいことに他には誰も来ていない。俺が教室に入っても、和木合は俺の方を見なかった。まあ、当然か。
「あのさあ」
「……」
読んでいる小説から目を放さない。こっちを見向きもしないが、これも当然だ。
「あの……昨日は名前を馬鹿にして、ごめん……なさい」
――聞こえたよな。ちゃんと謝ったからな。もう言い合いは無しだからな!
他の奴らが来る前に、さっさと窓際の席へと座り、窓の外を向く。
……。
……。
うわ~……。
何なんだろう、この気まずい空間、呼吸しにくい気分……。
二人っきりの教室の独特な空気……。
――っは! これって、
――もどかしいだ! もどかしい気分なんだ。
いや、しどろもどろか? しらすもどきか? ――どうでもいいが誰か早く来てくれ、ソワソワしてしまう~。変に汗が流れ出てしまう。
「おはようございます」
教室に入るときにしっかり挨拶をする健ちゃんがその沈黙を破ってくれた。待ってたぞ!
「おはよう健ちゃん」
「おはよう匠君。いつも早いねえ」
「ああ、バスだから丁度いい時間がないんだよ」
夏期補習は九時から始まるのだが、通学バスは普段通りの時間しかないのだ。乗り遅れれば一時間に一本しか走っていない田舎なのだ。
「和木合さんは何で学校来ているの?」
「お……おい健ちゃん」
健ちゃんは和木合にも普通に話しかける。
「徒歩」
小説から目を放すことなく、必要最小限の返答をする和木合。会話をそこから膨らまそうという気がまったくない。
やれやれだ。まあ、そりゃあ俺達みたいな三バカスと話したい女子なんて、そうそういるとも思えないからなあ。
田舎の中学校だから、近くの生徒は徒歩か自転車だが、遠くからは電車で通ってくる。さらに山沿いで国道に歩道がない地域に住んでいる俺は、バス通学を余儀なくされているのだ。
転校してきて徒歩通学ってことは、……駅近くの「アジサバ団地」に住んでいるのだろう……。
何の変りもない退屈な補習。時間だけを無駄に過ごす。窓の外の女子ソフトテニス部も見飽きてしまった。
ウトウト寝ってしまい……気付くと教室には人っ子一人いなくなっていた。
「……マジかよ!」
補習が終わったのなら、隆か健ちゃん……起こしてくれよ~――。制服の襟にべっとり寝汗までかいているじゃないか!。
黒板上の時計を見ると、バスの時間が迫っていた。早く帰らなければいけない。
鞄を持って机の間を掻き分けるように教室を出ようとしたとき、ワラ半紙のプリントが一枚、綺麗に折り畳まれて落ちているのに気付いた。
ちょうど和木合が座っていた席だ。
プリントの裏に何かが書かれている。
……拾いあげて広げて見ると、まったく意味不明なことが書き殴られていて――愕然とした。
プリントの裏に「あ い う え お」から「わ を ん」までの大きな平仮名。
中央付近に大きく「はい」と「いいえ」。
上の方には凸の形をした小さなお城のような絵が描かれ、端の方に意味不明の文字。
「スーパー」「コンビニ」「図書館」「ホテル」「レストラン」
少し離れた所に、「王都」と書かれている。
線が縦横斜めに何本も何本もぐちゃぐちゃに引かれ、中央のお城のような絵の部分は破れかけているくらい無数の線が行き来している。
――和木合藍の今の心境を、ありのままを書き殴っているのか!
この意味不明な書き殴りは、落書きなんて可愛らしいものではない!
――恐怖しか感じない!
そっと……元の床の上に置いた。俺は――見なかったぞ。俺は何も――見なかった!
決して見てはいけない物……見なかったと強く暗示をかけ、廊下を必死に走って下駄箱へ急いだ。
――痛すぎる。――痛すぎるだろう和木合藍! まさか、平仮名すらまともに書けないだなんて――!
……なのに中学二年生になり、俺達と一緒に授業を受けようと必死になっているなんて――。俺や隆、健ちゃんは、たしかに勉強ができない。だが、平仮名が書けなかったり、意味不明の落書きをしたりはしない。数学も掛け算は覚えている。九×九は八十八だ。……いや、八十一だ――!
バス停まで走って辿り着き、ハアハア肩で息をした。ちょうど来たバスへ乗り込むと、車内はキンキンに冷えていて、ようやく落ち着きを取り戻すことができた。
最初は可愛いから近付こうとした……。他の男子は和木合藍と話をしたことがないから、先に話して仲良くなろうと思った。クラスに溶け込めないのなら、なんとか打ち解けるられるように協力してあげようとも思った。虐めるような奴がいれば、俺がなんとか守ってやろうとさえ思っていた。
だが――。
平仮名から勉強しないといけない和木合と……どう接したらいいんだ。
今になって岡村沙苗を見直してしまう。和木合と普通に放したりしていた。
岡村は計り知れないほど寛大だと感心してしまう。勉強はできないが、人との接し方が超越しているのかもしれない。
――まさに「神」級なのかもしれない――!