呪いの血
急に手をギュッと握りしめられた――。
藍の表情から笑顔が消え去り――感情が消え去ってしまい、無表情に変わってしまったことに慌てて前をみると……見ず知らずの大人のカップルが俺達と同じように手を繋いで立っていた。
その大人のカップルには、都会の空気が漂っていた……。
黒く丸い大きめのサングラスをした男は、髪は乱雑に肩までボサボサに伸びているが、服装は白地のタンクトップに黒のロングカーディガン。ミュージシャンを思わせるようなダメージジーンズに夏なのにブーツを履いている。田舎育ちの親父たちが絶対にしないような服装だ。……田舎では、白いランニングシャツにタオルを首に巻くのが主流で、黒色の農作業用ブーツがカッコイイと……流行っている。
隣の若い女性は……太ももくらいの短めのスカートに、襟から肩までが出ている露出度高めの白いブラウス。耳には大きめのイヤリングが揺れ動き、美人としか言いようのない顔立ちは、隣に彼氏がいても他の男の視線を独り占めにしてしまうだろう……。中学生の俺が見ても、思わず見とれてしまいそうになり、慌てて藍へと視線を戻す。
「……お母さん……」
……やっぱり、そうなのか……。
藍に気付いたようで、二人は手を繋いだまま一直線にこちらへ向かって近づいてくる。藍は一歩、また一歩と後ずさりしようとする。
どうしてだ? 嘘でもついて家を出てきたのだろうか……。
女子の友達と夏祭りに行くと言っておいて……男子と手を繋いでいれば、確かにマズいのかもしれないが、藍が握った手を放そうとしないから、気持ちは十分伝わる。
藍を後ろに隠すように、俺は一歩だけ前へと踏み出した。なぜだかは分からないが、藍は怯えている。だったら俺が守るしかない……そう感じたんだ。
「藍……」
母親に呼ばれても、なにも答えない。ギュッと唇を噛み締めたまま、俺の手だけに強い力を込める。暗くてよく見えないが、――二人をキッと睨みつけている。
「君が、藍のボーイフレンドかね」
父親は低く凄みの利いた声だった。ボーイフレンド? 周りに知っている奴らはいない。だったら少々強がったっていいよな……。
「……はい」
握る藍の手にまた、ぎゅうっと力を感じた。「ああ!」と答えた方が良かっただろうか……。
「……そうか。藍をよろしくな。その繋いだ手をいつまでも放さないでいてやってくれ」
「……もちろん」
フッと見下したように笑うと、他には何も言わずに二人は並んだ提灯の下へと歩いていった……。本当に藍の両親なのだろうか。うちの親なら、恥ずかしくて子供の前で手を繋いで歩いたりなんかはしない……。
「はー、緊張したあ」
「……」
少し祭りの会場から離れた所にある公園のベンチに座った。小さな子供が親と一緒に砂場で手持ち花火をして遊んでいる。
お父さんもお母さんも悪い人には見えなかったのだが、何も言わなかった藍の対応に……漠然とした満たされていない何かを感じた……。
しばらく何も喋らなかったが、子供たちの花火が終わって公園に誰もいなくなると、ようやく藍が口を開いた……。
「私の血は、呪われているのよ」
「呪われている?」
こくりと小さく頷く。
「お母さんは私が小学六年生の時に浮気をして離婚したの」
「離婚だって?」
俺には親が離婚した友達はいなかった。そのことを自分から語る藍に……、なんて声を掛けていいのか分からなかった……。
「その離婚の原因も、元々は父親のせい……。別れてから本当の父親の方が先に不倫していたと聞かされたんだけど、もうその時には母の言うことなんて何も信じられなくなっていたの」
……。
淡々と他人のことのように呟く藍の瞳を見つめ、黙って聞き続けていた。暗くてよく分からないが、瞳は潤んでいた。
中学時代は人生において大切な期間だ。その大切な期間に藍は、俺なんかが想像できないくらい辛い思いをしてきたのだろう……。浮気、不倫、離婚……俺にとって、あまり聞き慣れた言葉ではなかった。
「母に引き取られた私は放ったらかしで、第三付属中学に入学する時の書類とかも、全部自分で書いたわ」
制服のサイズや家から中学までの通学路とかを書くやつか……。
「そして、入学直前に、母が再婚した相手が、「和木合」……さっきの男。中学に入学した初日から私は格好の虐めの対象にされたわ。もう二度と、学校になんか行きたくなくなった――。
……不思議よね……。一度も話したことがないクラスメートが、親の離婚や不倫の話を知ってしまうのに、たった一日もかからないんだから……。親は親達。子供は子供達。他人の噂話を広めたくて仕方がないのよ……」
藍が父親のことを「男」と呼ぶことに俺は……違和感しか感じられなかった……。
「学校に行かなくなった私を心配して、さっきの男が自分の田舎へ転校できるようにしてくれたんだけど、状況はなにも変わらなかった」
同じように名前のことで虐められた……のか。岡村や……俺に。
「名前のことを馬鹿にして……ごめん。藍は本当に気にしていたのに、ぜんぜん理解してなかった」
フフっと笑われた。座って握り続けていた藍の手は、今でも優しく握り返してくれている。
「違うのよ。私が虐められる根本的な原因は、名前のせいなんかじゃないの。呪いのせいなのよ」
「え? 呪い? 「王子様」の呪いは解けたはずだろ?」
あの時、俺と藍は呪われかけたが、なんとか無事だった……。親にも叱られたけれど……。
「本当の父親も、母親も、結婚した時のお互いよりも、今の「男」や「女」の方が好きなのよ。――今を選んだの。……でも私は気付いている……。
――また好きな相手ができたら……そっちへ行ってしまうのよ――。
そんな両親の呪いの血は私にも流れているわ。だから、もし私が誰かを好きになったとしても、次から次に別の人を好きになり、結局は誰からも愛される資格のない……母と同じような女になってしまうのよ」
「呪いの血……」
藍が「王子様」で使っていた爪先がボロボロになった万年筆。誰の物だったのかがやっと分った……。
「全部捨ててしまいたい! 私の血なんて! 呪いの血なんて――!」
呪いだなんて……。
それは藍が自分で自分にかけているだけじゃないか――。そんな風に考えていたら、ずっと藍は呪われたままだ――。でも、なんて声を掛けてあげたらいいのか分からない。
なんとかしてあげたい――。
なんとかしたい――。
こんなに大好きな藍を――。
はうっ?
「そうだ、いい考えがある! ――だったら、俺と付き合おう!」
キョトンとした藍の表情が、たった今始まった夏の終わりの花火に照らされた――。
「はあ? なにそれ」
やはり説明が必要か……。そうだろうなあ……。
「俺だったらバカだからフラれたって構わない。心置きなくふってくれたらいい。俺としては、藍みたいに可愛くて賢い女子と中学の時に付き合えたら、一生自慢できる。「バカのクセにこんな可愛い女子と付き合っていたのか」と、賢い男子に勝つことができる。名案だと思わないか?」
「プッ」
思わず吹き出す。大いに結構だ。
「俺は藍に……惚れた。好きだ、だから付き合って欲しい。それに藍だって最初に言っただろ、「暇ならちょっと付き合ってよ」って! 俺は暇だ。だから付き合える! いや、付き合って欲しい――!」
そっともう片方の手を出すと、その手を待っていたかのように、直ぐ握り返された。
――ええ? 本当に……いいの? ダメでもともと……略して「ダメ元」だったのに……。
「……もうちょっとカッコイイ告白の仕方を覚えないと、私はいいけど、次の女子なんて一生ありえないわよ」
「だったら、繋いだこの手を……、
一生離さないまでだ……」
ギュッと両手に力を込めて握る。放したくても放せないように。
「あ、ズルい! ルール違反なんだから」
「それで、和木合藍が……椎名藍になれば、もう名前でからかわれることなんか、一生ないだろ?」
「椎名……藍?」
一度うつ向き、肩がヒクヒクと動く……。
それじゃ泣いているのか……笑いをこらえているのか分からないだろ~。
「……私達、まだ中学生よ? そんな先のことなんか話していても、人生、思った通りになんかいかないわ」
声は笑っていたが、表情は暗くてよく見えない。
「思い通りになんかいかなくてもいい――。でも俺はこの手を絶対に放さない。冷やかされたって虐められたってこの手を放さない。絶対に」
顔を上げた愛の頬には一筋涙で濡れた跡があった。
そっと唇を重ね合ったとき……、最後の一番大きな花火がドーンと大きな音と共に夜空に広がり、ポップコーンのような小さな入道雲を照らした……。
初めて藍とキスをした……。驚きというよりは、どこか懐かしいような……心温まる唇の感触が、しばらく上唇に残っていた……。
夏祭りの会場から街灯もない暗いあぜ道を歩いたが、手を繋いでいると少しも怖くなんかない。お互いになにも話さなかったが、手を繋いでいれば心が繋がっているみたいで、なにも言葉はいらなかった。
藍の住んでいる家は、アジサバ団地ではなく大きな一軒家だった。町全体が見渡せる高台にあり、家の門の中には外車が止められている。……きっとお金持ちなのだろう。
「ありがとう。今日は……ううん、今年の夏は楽しかった」
「まだまだたくさん楽しいことはあるさ、二学期には学校祭や体育祭もある」
「……でも」
もう一度藍の両手を握る。夏休みの間、ずっと触れ合ってきた藍の手。
二度と離さないと誓った手。
「この手はいつまでも離すなって言われたんだ。だから二学期最初の日は一緒に手を繋いで教室に入ろう! 藍をからかう奴がいたら、俺がぶん殴ってやるよ! 男子でも女子でも手加減はしない!」
「匠、怖〜い!」
「ハハハ、まあ、今まで誰も殴ったことなんかないんだけど」
もう一度だけお別れのキスをした……。
カナカナカナ……と、ヒグラシが二人のキスを冷やかした……。




