呪いたい邪魔者
「何をやっているの!」
――チッ! とんだ邪魔者が紛れ込んだ――。加藤玲子と呼ばれる先生だ。隆が呼んできやがった――。
二人の手から零れ堕ちる血は、床にポタポタと落ち続けて――赤い染みを広げていく。
「加藤先生……俺達の邪魔をしないでくれませんか?」
「そうよ――」
藍がカッターを手にしたまま邪魔者へと向かうと、何を思ったのか加藤先生は落ちていたワラ半紙と万年筆を拾い上げ、隆を呼びつけた。
「一緒に握って! 急いで!」
「え? ええ? 先生、救急車か保健の先生を呼ばないと!」
無理やり手を引っ張り、万年筆を隆にも握らせる。
そして教卓の上で早口で唱えた――。
「王子様、王子様、お帰りはどちらへ行かれますか!」
ペンは動かない。
「集中しなさい!」
「は、はい」
万年筆は、「いいえ」へ一度だけ動いた。何をさせられているんだと隆は途方に暮れた。
カチカチカチ……。藍はカッターの刃を全部出しユラユラと教卓の上の二人へと近づいていく。そんなに刃を出したら折れやすくなって逆に切り付け難いと言ってやりたい。
――ユラユラ歩かずに、もっとシャキシャキと歩けよと怒りたくもなる――。
「王子様、王子様、今すぐ王都へオカエリクダサイ――」
加藤先生と隆が握る万年筆が「王都」へスーと移動したのは、王子様の意思か、それとも呪いに勝る力だったのかは分からない。
その軌跡を描いた紙をこちらに見せつけると、――急に両手首が痛みを訴え、次に体の気だるさを感じた。
「キャア―」
教卓の前に立っていた藍が急に悲鳴を上げて座り込む。
「どうしたんだ、――って、藍! 手首から血が出ているじゃないか!」
――こんなにたくさんの血は見たことがない! すぐに止血しなくては!
慌ててズボンのポケットから数日間入れっぱなしのハンカチを出し、彼女の腕に巻こうとして気が付く。
――俺の手首からも――血が流れている~!
「なんじゃこりゃあ――!」
ポタポタポタポタと血が垂れ落ちる。俺の手からも、藍の手からも――。
ハンカチは一枚しかない――。藍の手を優先するべきか、俺の腕に巻くべきか! 答えは決まっている!
なのに、力が抜けて抜けて、ヘナヘナだ。いったいどこでこんな怪我してしまったんだ?
まるで腰抜け状態だ――。力が入らない~!
はっ! これが、もぬけの殻なのか――!
――俺と藍は、この教室でもぬけの殻のように死んでしまうのか――!
これまでの人生がゆっくりとスローモーションで描かれていく。
小学校の運動会の思い出……。
東京ディズニーランドへ行った思い出……。
飼っていたヒヨコが、イタチに食べられて泣いた思い出……。
「――しっかりしなさい二人とも!」
先生が咄嗟にセロハンテープを持って来て、腕にグリグリ巻きつけながら、
「これっぽっちの出血で死ぬわけないでしょ! 藤林! 早く保健の先生を呼んできて! 大きめの絆創膏を四枚よ!」
「は、はい!」
隆は走って教室を出て行った――。
「藍! 藍! しっかりしろ! 大丈夫か!」
「……大丈夫だけど……すっごく気分が悪い」
「しっかりしろ! お願いだ! 絶対に死なないでくれ――!」
涙で声が出ない、息が詰まって……嗚咽で……肝心な時に声すら出せない――!
「椎名! 動くな! あなたの方が出血は多いわよ!」
「――わお! でも、先生……先生……俺なんかより、藍を……。
――藍を助けて下さい……」
俺と藍は、……一命を取り止めた。
後になってから気になったのだが……傷口にセロテープなんて巻いてよかったのだろうか?
実際に手首の傷は皮を切った程度で、すごく浅く、生死に関わるような深刻なものではなかった。大きめの絆創膏を両手首に貼られて、保健室で気分が良くなるまで横になっているようにと言われたのだ。
「……どうして先生は「王子様」を知っていたんですか?」
隣のベッドから藍と加藤先生の話声が聞こえる。
「先生が学生時代にも流行ったもの。コックリさんとか天子様とか。最近ではエンジェル様とか、矢印様とかもあるそうよ。
――時代と共に姿や形を変えて、今でも様々な怨念や悪霊が学校に憑りついているだけなの。
こう見えても先生は学生時代、オカルトマニア部の部長もやっていたのよ」
オカルトマニア部の部長――。
……普通にそう見える。「こう見えても」って言うけれど、むしろ先生は生徒にどう見えていて欲しいのかが疑問に思う。
体育会系には逆立ちをしても見えないです。運動神経も悪そうだ。
「大昔の話だけれど、決して一緒になれなかった二人の呪いは様々な物語に便乗して全世界に瞬く間に広がったの。その呪いは小説、漫画、映画、様々な形で今でも若い男女へと移り広がっているの」
世界中に「王子様」のような呪いが広まっている――? 藍も俺もその犠牲者の一人なのか。
「でも……、一方では、その呪いが全て解かれてしまった時、人間は滅んでしまうとまで言われているわ。諸刃の剣ね」
にこっと笑う加藤先生。いつも教頭先生に怒られてばかりだけれど、血を流した生徒に刃物を突き付けられてもまったく動じなかった先生。……本当に強い人っていうのは、こういう人を指すのかもしれない。
先生が急にハッとした。何かヤバそうな顔をして細い指先を自分の唇に当てて考える。
「どうしたんですか先生」
「――いや、ちょっとヤバかったかなあって思って」
「いったい何が……」
「実は……、一組の坂本由美と三組の武内百合子に、学校へ来るのが楽しくなるようにって、「王子様」を教えちゃったのよねえ……」
「王子様を……」
「教えた……?」
……「王子様」を先生が生徒に教えた?
――じゃあ、俺が一番最初に見たワラ半紙は……、加藤先生が書いたものだったのか――!
「ほら、学校って勉強だけを学ぶところじゃなでしょ? まあ、あの二人なら呪われて怪我したりするようなことなんてないでしょうけれどね……。あは、アハハハ」
先生の作り笑い。下手くそ過ぎる。
「――ってえ! 補習でいったい何を教えているんだよ!」
「ええ~。だってえ~、二人にも学校に来る楽しさを教えられるかな~と思って……。和木合とは転校してきてから一度だけやったのよねー。懐かし~とか言いながら」
チラッと先生が藍の方を見ると、藍はスッと顔を背けた。
藍も……先生と「王子様」をやっただって……? 頬が夕焼けに照らされ赤く染まり……また可愛いと思ってしまった……。
「そんな危ないことを生徒とやって、帰ってくれなかったり、呪われたらどうするんだよ!」
「ええ~。「王都へオカエリクダサイ」って言えば、いつだって帰ってくれるわよ」
「それ……私が言っても帰ってくれなかったわ」
藍が呟く。
「それは、言い方が悪いのよ。カタカナで言わないといけないのよ。だって、王子様は日本人とは限らないでしょ」
まさかのカタカナ発音――? カタカナで言っても、日本語ハ日本語ダロウガー!
「この中学にも「オカルトマニア部」をあの二人に作ってもらって、私が顧問をすれば、私がソフトテニス部とか、ソフト部とかの顧問にならなくてすむでしょ?」
「顧問?」
もう、開いた口が塞がらない。生徒を利用してなんちゅーことを考えているんだ、加藤先生!
「この暑いのに炎天下で部活動の顧問なんてしていたら、私、溶けてなくなっちゃうかも。もちろん、蒸し風呂のような体育館もまっぴらゴメン~」
加藤先生は……ぜんぜん先生らしくない。先生も同じ人間なんだ……。生徒と一緒で、色々なタイプの先生がいるってことを俺は初めて知った。
不思議な経験……。親にも担任の原田先生にもきつく叱られた。
それなのに、叱られている最中、藍がこっちを向いて気付かれないように舌をペロッと出して俺を笑わせようとする。――勘弁してほしい。
「コラ椎名、笑っとる場合か!」
怒号とため息を繰り返す原田先生。……そりゃ、そうか。
これから俺と藍の保護者に説明しに行かなくてはいけないのだから……。不自然に手首を怪我して絆創膏を貼っている理由を……。
「先生、ここは「王子様」ごっこをやっていましたと、素直に話してみてはいかがでしょうか? ひょっとすると納得してくれるかもしれません」
頭をバシッとしばかれた。イテテ、これは体罰だ~。




