呪いの力
「王子様、王子様、帰りはどちらへ行かれますか?」
――「いいえ」を指す。
「はあ~。今日も十二時のバスには乗れないのか」
――「はい」を指すのが、腹立たしい!
このところ、一度で帰ってくれない日が多くなっていた。しばらく王子様と話を続けていると、いずれは飽きたように帰ってくれるのだが、この日は違った……。
昼前から入道雲が急な発達を遂げ、まだ雨も降っていないのに大雨と雷の注意報が出て、屋外の部活動は早目に切り上げていた。教室の外が急に暗くなり、目に痛いような日差しだったのが、急に夜になったかのような錯覚を起こす。
冷たい風が教室の窓から吹き込んできたかと思うと、遠くの方で雷鳴が鳴っているのに気付いた。
「雷って怖くない?」
「ぜんぜんへっちゃらさ。建物の中にいれば落ちたって大丈夫さ」
「ふーん。私は苦手なの……」
触れる手が少しだけ小刻みに震えているのが……ドキドキする。俺の手も震えているんじゃないかと錯覚すらしてしまう。
いつも強がっている藍の弱い部分を見つけたみたいで、ちょっとだけ嬉しい。
嬉しいのだが――、雷にビックリして手を放すなんてドジっ子を演じて呪われるなんて御免こうむりたい――。
――王子様は待っていたのだ。
その時が来るのをずっと、ずっと。――二人で。
「王子様はいつも一人で寂しくないのですか?」
――「はい」
ここんところ、王子様の動き……万年筆の動きが早い。目にも止まらない早さで的確に文字を指す。万年筆の先は王子様を始める前に比べると、爪先はボロボロに傷んでおり。強く引かれる線をよく見ると、万年筆特有の細かい繊毛のようなインクの飛び散りが、だんだん増えてきている。
呪われた女から受け取ったと言っていた万年筆……。別にどうなっても構わない。
「なぜ一人で寂しくないんですか?」
「ひ」「と」「り」「し」「や」「な」「い」「か」「ら」
――!
線が文字をなぞるのを読み上げただけなのに、まるで実際に声が聞こえた気がした――!
「一人じゃないからって――!」
「私達のことですか?」
――「いいえ」
思わず椅子から立ち上がってしまう。万年筆は力強く握ったままだ。逆に放してと言われても指が動かないかもしれない。外から聞こえる雷鳴と、昼とは思えない暗さに……怯えてしまう。
「いったい、誰が来ているというのよ――」
「そんなの俺が知るわけないだろ――。もう帰ってもらおう。聞くのも――ちょっとだけ怖い」
本当は「ちょっと」どころじゃない。藍の前で「怖い」と言うのに抵抗があった。
どう考えてもこの状況で、万年筆は俺も藍も動かしていない。藍の表情をみて異常なのがハッキリと分かる――。
――最初から、本当に俺達二人以外の何者かが動かしている――! そして、それが一人じゃないことも、今はっきりと分った――!
数人の王子様――、もしくは数十人、数百人以上の王子様の怨念が教室なんて小さな部屋に来ているのかもしれない――!
王子様なのかさえも分からない――!
二人が万年筆を放しても、もう万年筆は自立し、倒れないのではないか――!
「王子様は、……キスしたことはありますか」
――「いいえ」に動く。
「何を聞きだすんだよ、危機感ゼロか――!」
表情を覗き込むが、こちらをまったく見ない。憑りつかれたように呆然と万年筆だけを見て、頬だけを赤く染めている――。
それともこれは、藍が王子様ではなく、俺に聞いているのか? だとすれば……。
「ない。じゃあ……君はキスしたことはあるの?」
――「いいえ」を指す。
「キス……したいの」
――ペンが突然、机に強く打ち付けられた五寸釘のように動かなくなる。ピタッと止まり、先端から少しずつインクの滲みが広がっていく。
藍が止めたのだろうか。
俺が止めたのだろうか。
一瞬の静寂――。
光と共に轟音が鳴り響き、一斉に土砂降りの雨が空から降り注がれ、窓の外を遮光カーテンのように覆いつくす――。
雨の飛沫が強い風と共に窓から入り、窓際の机を濡らしていく――。
ロッカーや机の中に入っていたワラ半紙が強風に煽られてビラビラと音を立てて教室内に飛び散る――!
電気を付けないと文字も読めないような暗さ。
――ようやく俺は、自分の力で万年筆を強引に――「はい」へ動かしたのに、もはや理由なんてない。
動かしたんじゃなくて、動いたのさ――。
驚いた瞳の後、彼女はそっと目を閉じた。王子様を始めた時からなのだが、俺の意見だけにはとっても素直でいい子だ。
王子様の命令は、絶対なのかもしれない――。そんなゲームが世間で流行っていたな……。呪いのゲーム……。ああ、あれは王様ゲームか。王子様には少し早いと苦笑してしまう。
――キスした。唇は震えていた。上唇の上に薄っすらかいた汗をお互いが感じた。
頭の中までがぼうっととなるのと同時に、さらなる興奮を追い求める――。
「胸を触るよ」
「――い、嫌だわ」
だが二人の握る万年筆は――「はい」へと移動した……。
当然だ。
王子様である俺が無理やり動かしているのだから。彼女はペンを絶対に放さない――。もう、ある意味「呪われている」。「お前はすでに――呪われている」だ。
しかもだ。彼女の手は、「いいえ」へ動かそうとしなかった。歯向かう力をいっさい感じなかった……。
てことは、それほど拒んでもいないってことで、いいんだよな……王子様?
「王子様、王子様、王都へお帰り下さい」
呟くように言う。
王子様を二度と使わなくなった時、つまりは最後に言う契約の言葉だそうだ。だから「王都」だけが少し離れた所に書かれてある。
だが――万年筆は動かない。
「王子様、王子様、王都へお帰り下さい!」
先程より大きな声。だから……それは無駄だって。今は俺が、まさにその王子様なんだ……。俺が王子様となり、目の前の好きな女子を、思い通りにできるんだから。
これだ! これこそが呪いの力だ――! 呪いの束縛力をわざと呪われたフリをして都合のいいように利用し、自分の思い通りにできる力――。大きなリスクを伴うとか言っていたが、そんな危険性は今、どこにもない――。
邪魔者はいない――。
ほんのり赤くなった横顔を見ながら俺は、彼女の胸へと右手を近づけ。その膨らみに優しく触れる。――ドキッとした彼女の表情。鼓動が大きな音で右手に伝わり、直接耳にまで聞こえてきそうなぐらいだ。
ようやくこの時が来た――、悲恋の俺を解き放つ時がきたのだ~!
ガラガラー!
「――何者だ――!」
突然、誰かが教室に人が入ってきて我に返り、――思わず触れていた胸から手を放す。
それと同時に――、
無意識のうちに――、
――握っていた汗だくの万年筆からも、手を放してしまっていた――。
しまった――!
失敗した――。いや、成功した――? どっちだあ~!
「ヒューヒュー、二人ともラブラブだなあ」
忘れ物を取りに来たのだろうか、一組の……隆に二人でいるところを見られ――冷やかされてしまった。
「み、見られた……。手も放してしまった……」
目の前では、彼女が呆然とした表情で万年筆を一人で握り続けている。
「――絶対にダメって言ったのに……。手を放したら呪われる。私達は……呪われてしまう……」
なんだって――! 呪われてしまうだと……?
両手の平を閉じたり開いたりしてみるが、痛みはどこにも感じない。苦しくもない。
ホッと安堵のため息を吐き出した。
――俺が呪われる訳がない。
――呪いをかける方なのだから――。
「大げさだな……また、触ればいいんだろ」
ゆっくりと右手で彼女の胸にもう一度触れる……。女性の胸の感触が心地よいと感じるのは本能なのかもしれない。放したくても放せないこの心安らぐ感触。ブラックホールを掴んだらこんな風になってしまうのかもしれない。吸い付いた手が離せないんじゃない。離れないんだ! 少年漫画ではメロンのような嘘くさいオッパイばかりだが、今触れている胸は……。誰も触ったことがない汚れを知らない胸。……Bカップと言っていたっけ?
「……匠?」
隆はその様子を見ていて何かおかしいと感じたのか、慌てて教室を出て行った。
それでいい――。呪いを掛けられたくなければ、俺に逆らう必要はない――。怯えた瞳の彼女が、今は愛おしくて仕方がないのだ。
「さあ、続きをしようか……」
「……呪いを解く方法を……知っているの?」
「呪いだって? そんなもの嘘だ嘘。ただの遊びじゃないか」
「呪いを解く方法は……、
――二人が両手首を刃物で切り、血を流すのよ――。
私は……いいわよ――どうせ死んでも構わないと思っていたんだから――。でも、匠は……死にたくないんじゃなかったの……?」
震えている。――なにをそんなに怯えているというのだ。
たかが呪いごときに――。
「……今はもうへっちゃらさ。邪魔者は消え去った。呪いの遊び……? なにも怖いことなんかないじゃないか。それに、「私は死んでも構わない」なんて、簡単に口にしない方がいい。――どこへでも一緒に逝ってやるよ」
ペンケースに入っていたカッターナイフを左手で取り出すと、カチカチと音を立てて刃を出す。……俺、なにを言って、なにをやっているのだろうか。バカバカしい……。
「……お願いしようかしら」
藍は白くて細い左の手首を差し出した。
藍は怖がりだなあ。呪いなんて見えない力を……バカみたいに信じ過ぎなんだ。今すぐその呪いを解いてあげるから――。
少し青みがかった血管の上に刃をそっと下ろし……、――カッターを勢いよく振り抜くと、そこには横に一本筋が入り、白い肌からトロトロと真っ赤な血が滴った――。
「――右手だけじゃ……簡単には死ねないぞ」
滴り落ちる血を、二人で見つめ合っていると、気分が高揚しているのに気付く。……ひょっとして、俺達……呪われているのだろうかと、バカバカしいことを考え、笑ってしまいそうになる~! プププッ。
「そうね。左手もお願いしようかしら」
次は左手を差し出す藍。同じようにカッターの刃をそっと当てがい、さっきよりも強く引くと、先程よりも多く血が流れだし、彼女のスカートへとポタタタタと赤い雫が垂れた。
「鼻血みたいだなあ。これで呪いって本当に解けるのか?」
表情を覗くが、うっとりしたままだ。
誰だ……その両手首を切るだなんてガセネタを教えたのは――。ぜんぜん効果ないじゃないかと文句を言ってやりたい!
「今度は、あなたの番よ、ファンディル公爵」
ファンディル? なんだそれ?
――ああ、王子様の名前か……。今の俺はファンディル・リョクワール公爵か。カッコイイ名前だ。
やっと謎が解けた。一人じゃないと言ってたのは、愛する令嬢も一緒にここに来ていたってことだったのか……。
なるほどと納得してしまう。
「俺は別に呪われてないが……、君の呪いが解けるというのなら、構わない」
婚約が敵わなかった者と永遠の愛を誓い合って眠る――。長く苦しい呪いから解き放たれる――。それがこの遊びのゴールだったんだな。
両手の手首を差し出し、真っ赤な筋をカッターで刻むと、俺の血が床にポタポタと赤い染みを作る。
「ハッハッハ傑作だ――。こんなことをして呪いが解けるはずがないのに」
だってそうだろ? そもそも俺も藍も呪われてなんかいない。
自分がやりたいことを王子様のせいにして、好き勝手に万年筆を動かし、そしてお互いに惹かれていっただけなんだから――。藍も血を流したまま笑っていた……。
「ありがとう。一緒に逝ってくれて」
「――ああ、こちらこそありがとう。良かった」
これこそ本当のハッピーエンドだ――。
二学期からのことも、これからの将来のことも、……もう何も心配する必要はないんだ――!
めでたし、めでたし。
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