呪いのお誘い
次の日、やる気を出して補習のプリントをやり始めた。時間が余れば持って来ていた宿題にも手をつけようと思い、教科書等も初めて持ってきた。
夏休みの宿題は毎年、早く終わった友達のを写さしてもらっていたが、その行為になんの意味もないことに気付いたのだ。
……気付くのが遅すぎたのかもしれないが……。
見違えるようにワラ半紙のプリントをやっていく俺に……驚くこともなく加藤先生は小説を読みながらニヤニヤしている。
毎日の光景なのだが、いったい何の小説を読んでいるのかが凄く気になる。
――それよりも、何のために教室に来ているのかが気になる~。
プリントの答えを写していても怒らないし、プリントをやっていなくても怒らない。本当にカウンセラーの先生なのか……あれが!
プリントを全部やり、夏休みの宿題を少しだけやっつけていると、補習は終わった。
凄く充実した顔で背伸びをして……小説を持って加藤先生は出て行った。最近ではプリントの答え合わせすらしない。問題のプリントと一緒に答えも配り、「分からないところは答えを見て理解しておいてね」……ときたもんだ。やったかどうかのチェックもしないので、解答をプリントに写す意味すらない~――。
「ああー。疲れた。真面目に勉強するだけでこんなに疲れるとは」
「匠は普段からだらけ過ぎなのよ」
他の誰もいなくなった教室。伸びをしている俺に藍がねぎらいの言葉を掛けてくれる。
「来年はもっと大変になるんだから」
……来年。高校受験か……。
昨日、家に帰ってから兄にサッカー部がある高校のことを聞いてみると、俺達が狙える公立の四つの高校のうち、サッカー部があるのは成績順で上から二校だけらしい。……私立高校もあるが、親が口を合わせて反対するだろう……。
今の成績では確実に不可能だ。どの科にだって入れない……。だから今日から真面目に補習の課題をやろうと決意したのだ。
三年の今頃になってから後悔だけはしたくないから――。
まさに呪いの受験勉強だな……。
「あ、ああ……来年のことを考えると、なんか夏バテになりそうだ」
昨日、女子バレー部の三人に冷やかされてから、ちょっと藍との会話がぎこちない。
瑞香が言っていた「好きな男子にでもできないよ」って言葉に……深い意味なんてないと思っていた。
ひょっとしてだが……。
ひょっとしてだが……。
ひょっとしてだが……。ひょっとしてだが……?
「中学三年の夏休みは、勉強ばかりで遊んでいる暇もないのよ。それは都会でも田舎でも同じ。だから、今年の夏休みは思いっきり楽しんでおかないとね」
「楽しむって言ってもなあ……」
俺が座る席の前に、藍がしゃがみ込んで見上げてる。
「ねえ、この辺りで夏の楽しいイベントって何かないの?」
「イベント?」
「田舎ってさあ、本当に何もないよね。遊びに行くところも、人がたくさん集まって盛り上がる企画とか」
「そりゃあ……田舎だからな」
「なにが楽しいわけ?」
ムカっとするよな。そりゃそうさ。田舎の全否定だ。
いったい……なにが楽しいのだろう。
――川で泳いだり。虫を取ったり、海に行ったりだ!
むしろ逆に都会の楽しいことって何か聞きたくなる。たくさんある? ふん!
「あ、そうだ! お盆を過ぎた八月最後の日曜日に夏祭りがあって、屋台がたくさん並ぶんだ。当て物屋やたこ焼き屋、他には流しそうめんとかもある! 大人達は盆踊りして、最後には打ち上げ花火が盛大に上がるんだ」
田舎の夏といえば、やっぱり夏祭りだろう。――映画やアニメでも田舎のイベントといったら夏祭りしかない。冗談抜きで夏祭りしかないんだ――夏のイベントが! 切実でリアルだ!
――過疎化を止めるには夏祭り以上のイベントを開催してくれと叫びたい!
「夏祭り? 打ち上げ花火?」
「ああ、……打ち上げ花火といっても数発だけだが、近くで見ると大きな音が腹の底まで揺らすようで迫力あるぜ!」
「行ってみたいなあ」
「ああ、行くといいよ」
「……」
「……」
ひょっとしてだが……。
「もしかして、俺と?」
「うん。他に誰がいるのよ」
教室はいつものように二人っきり。朝とは違って熱された風が窓から蝉の声と一緒に吹き込むと、額を汗が流れる。
頬を赤く染めて俯く藍の横顔……。紫色のアサガオの中に、一つだけ赤色の花を見つけたような気持になる……。
同じクラスの奴らに出会えば、冷やかされるのは必至――。俺なら……構いやしないが、藍はどうだろうか……。クラスの成績底辺の俺なんかと夏祭りに行っているのがバレた日には……教室に恥ずかしくて来られなくなる。そんなことはちょっと考えれば分かる事だ。それとも、二学期も教室に来ないつもりなのだろうか……。
藍は頭がいい。俺よりもずっと……。こんな時、もっと大人になりたいと思う。もっと頭が良くなりたいと思う――。でも、そんな藍が考えて、それでもあえて俺とでもいいから夏祭りに行きたいと言うのだから……。
俺の答えはもう決まっているじゃないか……。
「藍がそう言うんなら……一緒に行こうか。夏祭り」
「うん。楽しみ」
楽しみといってくれる藍に……なんか、なんか……、込み上げてくる喜びがあった。
夏バテなんか吹き飛んでしまいそうなくらいの――期待と興奮。なんだろう、この胸のトキメキは!
この感動は……ときめきは……はっ! 待つうちが花だ!
夏祭りまでの時間が、楽しみで楽しみでしかたがないんだ!
この日は……王子様をやらなかった……。呼ばなかった……。




