呪いのプレッシャー
「あーあ、王子様のせいで十二時のバスに乗れなくなったじゃないか」
「いいじゃない。どうせ帰っても暇なんでしょ」
……暇と言えば暇なのだが、人からそれを指摘されると腹が立つのは何故だろう……。バスの時間には間に合わないが、学校にいても仕方がなく、藍と一緒に下校することにした。
教室から直ぐに出たかった……。
下駄箱で上履きから靴に履き替え、正面玄関を後にするのだが……藍と二人で肩を寄せ合い下校することに、ちょっと抵抗があった。
「二人で歩いていると、変な誤解をされるんじゃないのか」
「誰もいないからへっちゃらよ。夏休みなんだし」
誰もいないって……どこを見て言っているんだ。
「いやいや、野球部がグランドで練習しているじゃないか」
フェンスのすぐ向こう側では、練習中の野球部員が円陣を組み、最後の声出しをしている。見えない距離ではない。バレバレになる距離と言っても過言ではない~!
「大丈夫よ。練習に夢中で誰も見てないわ。――そうだ、上野義孝ってどれか教えてよ」
「はあ? ピッチャーだぞ。毎日マウンドに上がって投げてるじゃないか。それに、三年生が引退して今はキャプテンだから、円陣の真ん中で声を出している……あれだ、あの一番背が高い奴」
黒く焼けた顔から気迫が溢れている。野球部全員が練習の最後にオーオーと大きく声出しをするのだ。学校の校舎にもその声は反響し、駅近くまで聞こえるほどだ。
「あ、やっぱりあれが上野か。じゃあ、その隣の男子は?」
ちょっと普通の女子っぽく喜んでいる藍の横顔に、面白くないと感じてしまった。
「隣のあれは……川中幹彦。小学校から一緒の友達だ」
「ふーん」
ふーんって……。もしかすると、藍は上野よりも川中の方が好みなのかもしれない。
「だが、川中はあれだぞ」
「あれって?」
――いかん!
幹彦に「誰にも言うな」と言われていたんだ!
「あ……ああっと。あれって……なんでもない。忘れてくれ」
「ああ、匠。なにか隠してるでしょ?」
上目遣いで見ないでくれ。なんか、二人がイチャイチャ下校しているように見られるだろうが!
「気になる! 寝れない! 教えてよ!」
寝れないって……そんな大袈裟なことあるわけないだろ。
「ああ……、ダメだ、ダメ。早く帰ろう」
足早に逃げようとする俺のナップサックを掴まれ、グイグイ引っ張る。
「ちょ、ちょっと放せって」
「教えてくれるまで放さない」
勘弁してほしい。野球部の数人がこちらを見ている気がしてならない――。
野球部が練習するグランドから見えないところまで俺と藍は移動した。ナップサックはずっと掴まれたままだ。
「絶対に言わないって……約束できるか?」
「うん」
「実は……川中幹彦は同じ三組の近野美佳と両想いで付き合っているらしい」
「へえ~! そうなんだあ~」
……言ってしまった。ゴメン幹彦。小学校からの信頼関係を……まさかの転校生なんかに崩されてしまった。
「やっぱり野球部かっこいいもんね」
「……そうだな」
野球部くらいしかカッコイイ部活動はないからなあ。隆と健ちゃんがやっている男子卓球部と野球部を比べると、やっぱり野球部の方がハイレベルだ。
背も高いしイケメンが揃っている気がする。……全員丸坊主だが……。
「匠はなんで部活動に入らなかったのよ。運動嫌いなの?」
「え? ああ……俺がやりたかったサッカー部が中学になかったからさ」
「サッカー部がないの?」
「ああ。都会じゃ考えられないだろ……ハハハ……」
藍が転校する前の中学は、全校生徒が千人を超えるマンモス校だったと聞いていた。俺達の中学は全校生徒が三百人程度の小さな中学だ。
「グランドの狭い田舎の中学じゃそれが普通なのさ。やりたいことがあってもやる場所がないのさ。もしサッカー部があっても部員が集まらないだろうし……」
「ふーん」
「だが、サッカーをやってないわけじゃないんだ。実は小学の頃から市のクラブチームに入ってて、週に一回だけだけど、夕方に市のグラウンドで練習をしているのさ」
毎日練習している他の中学のサッカー部に比べたら、まだまだ実力なんてないんだろうけれど、やりたいことを続けているのは楽しい。夕方から夜までの練習を苦に思ったことは一度もなかった。
「だったら……高校はサッカー部があるところに入らなきゃ」
「――え?」
高校のことなんて、今まで考えたことがなかった。
「市のクラブチームって、高校生になったらなくなるんでしょ? 今からだったらまだ間に合うかもしれないわよ」
……考えたこともなかった。
なんで藍の方が知っているんだと疑問にも思う。
「将来のこと……、本当はもっと考えないといけない時期なんだよ。私達」
「……将来のこと」
成績底辺のこと、何も気にしていなかった。どの高校にサッカー部があるのかなんて調べてもいなかった。
今の成績では、一番レベルの低い高校にも行けない……。
補習を受けていて気付いたのだが、藍は俺なんかよりもずっと勉強が出来る。たぶん二組でも上位を狙えるんだと思う。補習のプリントの問題を解く早さが違い、最近では俺が写させてもらっているくらいだ。
夏川奈緒も賢いから、同じ高校には絶対に行けない。……岡村沙苗とは同じ高校に行けそうな気がするが……。
「岡村……賢いわよ。たぶん、二学期には成績がかなり上がるんじゃないかしら」
「え?」
「だって、最近になって、補習のプリントを真面目にやり始めているもの。なにか目標が見つかったみたいに」
「目標?」
「うん」
――なんだ、目標って。
「もしかして、上野義孝と同じ高校を目指すのかしら……」
いや、冗談だろ。上野が目指すのはバリバリの進学校で、俺達底辺が行けるはずがない高校だ……。
でも岡村なら……本当になんとかしてしまいそうだ……。
どんどん取り残されていく気分に陥る。これが受験の呪いなのだろうか……。
これからの人生が、今にかかっているとすれば……今、補習で居眠りばかりしている場合ではないのかもしれない。
「明日から……ちょっとは真面目に補習を受けようかなあ……」
せっかく気付いたのだから……。
遅いかもしれないけれど、せっかく今気付いたのに、何も変わらなければ、俺は本当に中学を卒業したら家を追い出されてしまう。
「そうよね。どうせ学校に行かないといけないんだから、補習の間に宿題するとか、分からないところを聞くとか、時間を無駄遣いしちゃいけないわ」
時間の無駄遣いか……耳に痛い言葉だ。
今までの人生。どれくらい無駄に時間を使ってきたのだろうか――。
「ダメだダメだ、勉強しないといけないと思うと、急に不安になる! せっかくの夏休みなのに、二学期が始まって欲しいと思ってしまう!」
「えー、熱でもあるんじゃないの? 熱中症?」
藍の冷たい手の平が俺のおでこに触れた……。
「いや、熱なんてないし、汗ベタだから触らないで欲しいんだが」
――逆に熱が上がるかもしれないだろ!
「うーん。これは勉強しないといけない病。かなり重症ですなあ」
「なんだよその病名は!」
アハハっと笑ってちょっと小走りで藍が離れていくと、小さく手を振った。
「私の家、あっちの方だから。バイバイ」
「え? ……ああ、バイバイ」
ユラユラと道路に陽炎が立ち上がる中、藍は歩いて帰っていった。藍の住んでいるところは駅の近くある「アジサバ団地」かと思っていたが、ぜんぜん別の方向だった。
途中まで見送ると、俺はバス停へと向きを変えて歩き始めた――。
――明日からは気持ちを入れ替えて勉強するんだ――。
「匠! 楽しそうね!」
「うキャー!」
思わず後ろから声を掛けられて、悲鳴に似た奇声を発してしまった!
――女子の声だったが、誰だ? 岡村ではないその声に、恐る恐る振り返ると、
女子バレー部の三人だった。




