王子様が帰ってくれない呪い
数日間にわたり補習の後、王子様に質問ばかりしていると、次第に聞きたいことが少なくなってくる。
いつの間にか王子様ではなく、藍に直接聞いたり話したりすることのほうが増えてきているからだ。それでも二人の手はいつも、王子様の「あいうえお」が書かれたワラ半紙の上で万年筆を握り合っていた。
分からない事だけは王子様に聞くために……。
だが、二人が本当に知らない事には万年筆が勝手に動くはずがないハズだ……。いつの間にか俺は兄貴に言われた「潜在能力」や「夢」の理論を信じていた。親父のパソコンで調べてみると、「テーブルターニング」という遊びは、コックリさんが日本で流行る前に、外国で遊ばれていたらしいし、潜在意識で動かしているとネット上にも書かれていたのだ。
藍もそれくらいのことは調べて知っているんだと思う。
……じゃあ呪いなんて関係ないのだから、握った万年筆を放せるのかと聞かれると……、
……ちょっと怖い。
そのあたりが呪いの遊びと呼ばれる由縁なのかもしれない。
いつもは王子様に質問ばかりしていたが、本当に王子様が霊や呪いのような存在なら、逆に聞いて欲しいことだってあるのかもしれない……。それを確かめたくなった。
「王子様の名前を聞いてみないか?」
「え? 今さら? ファンディル公爵でしょ」
前に一度だけ聞いたことがったが、それは藍の口から聞いただけだ。
「……別に構わないけれど。王子様、王子様、王子様の名前を教えてください」
「ふ」「あ」「ん」「て」「い」「る」「り」「よ」「く」「わ」「あ」「る」
「ほら、ファンディル・リョクワール公爵よ」
「ふーん」
濁点や小文字が分かりづらい。なのに、なぜファンディル・リョクワールと藍は知っていたのだろうかと疑問が浮かぶ。
藍がいつも読んでいる小説の登場人物なのだろうか。
「藍は誰に王子様を教えて貰ったんだい。友達がやっているのを見ていたのか?」
「え? 私は……」
万年筆も同時に動き出す。――「と」
「友達よ。仲の良かった友達に教えてもらったの」
「な」「り」「の」「い」「え」「の」「し」「よ」「う」「し」「よ」
藍が話すのと同時に、万年筆が違う文字を指したのにドキッとした。
「隣の家の少女って……文字を指したぞ」
「……引っ越しする前の友達よ。隣の家の、私より一つ年上の……」
「ふーん。じゃあその子から王子様を教えてもらったのか」
「うん」
「はい」へと万年筆も移動した。
まるで刑事の取り調べをしているようで、凄く気まずい。藍にも……王子様にも。
嘘をついたとしても手の動きでバレてしまう。まるで嘘発見器をつけた尋問のようだ。
「私のことはいいじゃない。それより、バスの時間でしょ。王子様、王子様、帰りはどちらへ行かれますか」
……。万年筆はゆっくりと「いいえ」へと動いた。
――こんなことは初めてだった。
「どこへ行くか聞いているのに、「いいえ」って、意味が通じてないじゃないか」
藍の表情は少し険しい。困ったことになったのだと容易に想像がつく。
「……まだ帰らないってことですか」
「はい」へスッと移動した。
――なんかマズい気がした。黒板上の時計をチラッと見てしまう。
「もう少し話をしたいのですか?」
「はい」を指す。
バスの時間に間に合わなくなるが……仕方がない。
前みたいに王子様に怖い予言のようなことを告げられるくらいなら、バスを一本くらい遅らしてでも、安心して帰りたい。
結局、呪われたくない。信じていないと思っていても、信じてしまっている自分に気付いてしまう。
「じゃあ、王子様が愛した女性の名前を教えてください」
「け」「い」「さ」「こ」「ん」「し」「ゆ」「う」
「ケイサ・コンジュウ令嬢で良かったですか?」
――「はい」を指し示した。
「……なんでそんなことを聞くんだよ」
小さい声で口元を隠しながら言うことに、意味があるのかどうかは分からない。
「……ファンディル公爵は悲恋の王子様なのよ。だから話を聞いてあげないと帰ってくれない時があるのよ」
……帰ってくれない時がある? これまでにも何度かあった事なのだろうか……。
「……じゃあ、もしその「帰ってくれない時」って、どうするんだよ」
「帰るまで王子様とお話を続けるのよ。それか、無理やりペンから手を放して……」
「――それで呪われるのか!」
それが呪いの遊びと呼ばれる真の理由なのか――。
――「はい」へ万年筆が移動した。
「お前に聞いてるんじゃない!」
思わず突っ込んでしまったじゃないか!
「駄目よ、王子様にそんな乱暴な話し方をしたらいけないわ! 帰ってくれなくなっちゃう!」
「……」
時計の針はもう十二時になっている。バスには間に合わない。次のバスまでは裕に一時間はある。
「仕方ない。付き合ってやるか。王子様に……」
はあーと大きく息を吐き出した。次のバスまでは一時間。ちょうどお腹も減ってくる頃だ。
「うん」
せめてもの救いと言えば、藍は王子様をやっている時だけは、楽しそうにしていることくらいかな。
転校してきて一学期中は一度も教室に来なかった和木合藍……。その原因は親に付けられた自分の名前のせいだと言っていたが、自意識過剰なだけだと思ってしまう。一緒にいて楽しいし、話も合う。明るい性格だから、すぐクラスに打ち解けられるだろう――。
ちょっと他人の恋愛話に興味津々なところがあるが、それは岡村だって同じだ。中学二年生にもなれば、お互いが異性に興味を持ち、少しずつ大人になっていくって保健体育の本にも書いてあった。
「あ、また胸見てる!」
――万年筆も「はい」を指し示しやがる~。
「見てないって!」
その後、王子様が住んでいた王都の名前や、愛していた令嬢との関係を聞いていると、万年筆がピタリと動かなくなってしまった。
インク切れでもないのに、凸の形をしたお城の位置からまったく動かない。何を聞いても動かないのだ。
「あれ、動かなくなったぞ。もう放してもいいのか」
顔を上げて藍の目を見ると――、
「――だめ!」
大きな藍の声に驚かされ、また力を込めて万年筆を握り直す。一瞬だが手を放しかけていた。いや、0.001秒くらいは手を放してしまったかもしれない――!
「王子様、王子様、帰りは何処へ行かれますか?」
藍のその声には反応し、ユラユラと「レストラン」と書かれた所へ移動したのを確認してから藍は手を放した。
ホッとした表情を見せる藍の頬には、汗が流れた痕がある。
「今のは……何だったんだ?」
急に動かなくなったから、てっきり何処かへ行ってしまったのかと思ったのに。
「今のは……、
フェイントよ……」
……フ。
「……フェイント? 王子様が?」
「そうよ。帰ったと見せかけておいて、実はまだここにいる状態でペンを放させ、呪うのよ」
「……」
めんどくせー奴だな~!
「つーか、やり方が汚いよなあ。王子様のくせに、まるで悪徳商法だぞ」
「そうよ。王子様だってこの世界をずっと見てきているのよ。だから色んな手口を使って人を呪おうとしているの。……たぶん」
「だったらもう「王子様」なんてやめようぜ。呪いがどんなものかは知らないが、リスクが大き過ぎる気がするぞ」
「リスクが大きいからこそ、本当のことが分かるのよ。ハイリスク、ハイリターン」
「……ハイリスク?」
汗が額を伝うのを感じた……。
「うん。呪いのワラ人形だってそうでしょ。もしも見られたら自分に呪いが返ってくる恐怖の呪い。でも、呪いってそういった大きなリスクがあるから効果があるのよ」
呪いのワラ人形――!
五寸釘をカーンカーン打ち付けるやつか……。
「――そ、そんな危ないことをしているのか? 俺達は……」
学校の教室なんかで……。
「うん。だからなにがあってもペンから手を放したらダメ。呪われてからじゃ遅いわ」
……背中にも汗をビッショリかいていたのに気が付いた。
呪いのワラ人形と同じような恐ろしい呪いの遊びを……二人で毎日していたというのか――。




