我ら霊力トラブル対応部!
「ただいま……って誰もいないか」
「俺がいるって」
「お前は計算に入ってない」
少し古めの一軒家。靴は一つもなく、夕暮れ時の家の中も静かである。二階に上がって自分の部屋に荷物を置いてから少しばかり家の事を先にする。なんていうのがいつもの日常なのだが今日ばかりは違っていた。
ない、何処を見てもない、明日提出の課題がない。あの鬼教師が出した課題だ、ろくでもない多さと難易度で来ているんだろう。決して明日の朝やって出来る量なんかじゃないのに何故僕は忘れたんだ馬鹿か。
「この年になって忘れ物? はっずかしー」
「うるさいなぁ! いいだろ別に取りに行けば!」
耳元でからかう声がうるさい。声のする方向を睨み付ければそこには自分と瓜二つの顔があった。表情には大分差があるけれど。目の前にあるこの顔の持ち主の名前は幸貴。僕にまとわりつく面倒な居候である。コレに構っていても無駄に時間を食うだけで何も進展はしない。思わずため息をついた。しかし幸い高校は家に近くまだ最終下校時間でもないので取りに行けそうだ。進学理由が家に近いからと安直に選んだ学校だからだけど。
脱いだばかりでまだ少し湿り気のある靴を雑に履き、傘を持って外に出る。だが昨日まで猛威を揮っていた雨は過ぎ去っていて雲の隙間から夕暮れが見えていた。かさばる物を持っていくかいかないかで少し視線を彷徨わせる。結果僕は楽な方に流れた。
僕の通う学校、福鈴学園高等学校。中高一貫校で偏差値はまちまちだ。僕はその高等部から入学する外部入学生である。聞いた話だったがこの学園は部活動が結構盛んらしく、グラウンドを見れば部活動に励んでいる生徒の声が沢山聞こえてきた。きっと皆夏の大会に向けて頑張っているのだろう。寧ろうるさいくらいだった。
「ほほう、これが青春か。夏場は女子の……」
「お前僕の顔でそれ以上言う気か」
「たわけ、お前がこの俺に似てるんだろうが。後こんなとこで会話してていいのかぁ?」
幸貴の言葉を遮るように小言を漏らす。僕の顔がこいつに似ていたとしても僕と瓜二つの顔で変な事を言われるのは溜まったものじゃない。若干の苛立ちを隠しつつも近くの扉から校舎内に入ろうとしたその時の事だった。おいで……、おいで……といろいろな方向から小さくかぼそい声を耳が感じ取る。だが少し薄暗い廊下に僕以外の人の影などない。幸貴のいたずらかと思ったがそもそもこの場にいなかった。
後ろから聞こえた時バッと振り向いてもただ夕暮れに染まる廊下が見えるのみ。誰かのいたずらなのか僕の空耳かもしくは幽霊とかそういう類なのか。得体の知れない不安感に苛まれる。一番最後の物ではないと信じ進行方向に向き直す。丁度僕と同じ目線にあった眼と目が合う。刹那、思わず声を上げそうになったがそれよりも先に何かがズルリと入ってくる感覚が訪れ同時に意識が途切れた。
「――ん、灰鹿野さんっ」
「んぅ……」
「あのその、灰鹿野さん、寝ぼけてないで起きて下さーい」
「聞こえてるよ……。あんたは同じクラスの相園さん、だっけ」
声変わりしてるのかしてないのか分からないくらいに高くて震えた声が耳を刺激する。刺激し過ぎて寧ろ頭から冷水をかけられたくらいだ。そこで意識がハッと覚醒する。ぐるぐるの胸の中をかけ巡る気持ち悪さ。目の前には声の主である相園 釉。そして僕は仰向けに転がされていた。梅雨の時期に居座るジメジメとした空気が肌にまとわりついてくる。それも相まって気分の悪さが増していた。
状況を判断しようとして起き上がる。少し髪に違和感を感じたがそれよりも黒髪から雫を垂らす男子生徒と宙に浮く黒服の淑女の後ろ姿、そしてその奥には何かの靄のような物が流動しているのに意識が持っていかれた。黒っぽくてこのジメジメとした空気よりも重い何か。視界をずらせば立入禁止とかかれたテープを巻かれたフェンスの奥には古びた校舎が見える。しかし僕はこんな場所に来た覚えはない。
「対話は望めなさそうだね、悲しみに囚われて全てが敵に見えているようさ。小生の声にもろくに反応してくれないから困ったものだ」
「ならば送るしかないだろう。安らかに眠れるといいのだが」
「トオルが信じれば出来るはずさ。一緒に飛ばされちゃあ困るから小生はお暇させてもらうよ」
淑女はそのまま空気に溶けるように消えていき、残った男子生徒は何かを呟いている。二十一世紀の日本とは思えない光景を前に呆気に取られていると黒い靄がケタケタと突然笑う声にまた耳を刺激された。声帯があるのかなんて疑問よりも先に靄が向かってくる様に男子生徒は構えたが靄の狙いは彼よりも僕達だった。
「逃がすか! 相園そいつを連れて行け!」
「灰鹿野さん行きますよ!」
相園に無理やり手を引かれた。疲れているせいか全く力が出なくてただされるがままに古い校舎前を後にしようとしたがぐっと相園に掴まれている手とは反対の手首を掴まれる。振り向けば靄が人の形を作っていて手らしき部分がかなりの力を込めて僕の腕を掴んでいた。ギリギリと少し不穏な音も微かに聞こえてくる。顔に当たるだろう部分にはうっすらと見える女の子の顔が醜く歪み、またケタケタと笑い声を飛ばす。嘲笑うように、逃しはしないと。しかしその笑い声も長くは続かずギャッとうめき声を漏らしたと同時に掴まれた手への力が弱まり、その場を切り抜けられた。
連れていかれたのは学校の東棟三階の一番奥の教室。かつては普通の教室として使われていたらしいがここ数年は生徒数が減っていて空き教室になっている場所だった。相園はオカルト研究部と貼り紙を押し付けた扉を躊躇なく開く。その先には茶髪の男子生徒が窓の外の僅かな夕暮れを見ている。そしてその手前の椅子には何処かに消えていた幸貴の姿も見えた。僕がこの二人の関係性に疑問を抱く横で相園が声をかければ生徒はくるりとこちらを向く。少し軽そうなイメージを持たせる彼の口から出てきた言葉は本当に彼が部長なのかと疑うようなものであった。
「はーっはっは! そこの少年、我が魔眼を見て死なぬのか! 珍しい、気に入ったぞ! よくこんな人材をスカウトしてきたな相園!」
「お前生きてたのか、突然倒れるからてっきりぽっくり逝ったのかと俺は思ったんだが」
「彼が件の被害者なんですけど? 厨ニ病もいい所やめてくださいよね、もうすぐ成人を迎えるというのに嘆かわしい。後そちらが別件の方ですか」
「あー、んー、そうそうこっちは別件の。……ん、んん? てか釉それマジ?」
「マジマジ」
相園がぴょこぴょこと髪を揺らして頷くとその部長は僕に近づいてがっしりと勢い肩を掴んだ。ギリギリと関節に指が入ってきて痛い。鼻がひっつくくらいに僕に顔を近づけている後ろで相園は「部長そんな趣味が……」なんて呟いている。いや助けてくれ、僕にそんな趣味はないから助けて。おい幸貴は呑気に寛ぐな、生きてるから助けてくれ。
そんな心の叫びは彼女達に伝わらなかったようで部長が自ら腕を離すまで何の声もかけてくれなかった。
「何の影響も受けてなさそうだけど」
「今柿坂先輩が陰界に送り返してるので」
「なるほど、トオルっち強いもんなー、じゃあ俺の出る幕は無しっと。……じゃあお前は霊力トラブル対応部入部けってーい。俺は高等部三年の雪谷 輝、まあこれでも部長だぞ」
「いやいやどうしてそうなるんですか? そもそもここはオカルト研究部では?」
健康的な白い歯を見せて整った顔を笑顔にする部長と呆れ顔の相園。相対的な表情の二人は僕の疑問を聞くときょとんとした顔になる。するとお互いに顔を見合わせ、説明していなかったのか、時間がありませんでしたと軽く応対を繰り広げると部長は僕をパイプ椅子に座るように促す。僕が座ると部長と相園も向かいの椅子に座り、仰々しくコホンと咳をついた。そして、このオカルト研究部は表の顔で実際は非公式部活である幽霊トラブル対応部だという事を知らされた。
「こっちのお前そっくりの奴はグラウンドで女子生徒見てる不審者やってたんだけど大丈夫?」
「すみませんすみません……。よく言い聞かせます」
「俺は犬かよ」
「犬の方がまだ可愛げがあるかな」
「犬ならば躾が出来るからな。小生の見立てだとお前さんは躾が出来なさそうだ」
「なんだと?」
会話にナチュラルに入ってきた女性の声。そこそこ失礼な事を言っているが実際当たっている。声をする方を見れば空いている席に黒服の淑女が佇んでいた。自前だろうか、華美ではないが装飾のあるティーカップを持ってにこやかにこちらに手を振っている。幸貴は彼女の言葉に腹を立てるが当の本人はお構いなしにティーカップの中を満たす琥珀色の紅茶をその小さく可憐な口に運んでいる。喪服なのかただ黒一色で染められた古めかしいドレス。緩くカールした亜麻色の髪に隠される病的に青白い肌。紅茶と同じ色をした瞳はすっと細められた。
「おや気に障る事を言ってしまったのならば失敬。……ふむ、見た限り腕はともかくもう霊に憑かれる心配はなさそうだ。トオルに任せておけばあの霊も報われるだろう。嗚呼、自己紹介が遅れたが家庭科室の気まぐれティータイムことアルテミシアだ。宜しく頼むぞ、新入部員」
「気まぐれティータイム?」
「彼女はこの学園に伝わる七不思議の一つですよ、灰鹿野さんも聞いたことあると思います」
「あー、あんたが無駄に聞きたがってたあれか……」
「無駄とは失礼ですよ!」
相園の補足はこの学園に入学してから度々耳に入れるこの学園の七不思議を思い出させた。この学園の七不思議。図書室の少年司書、被服室の踊るマネキン、体育館の無限影の手、家庭科室の気まぐれティータイム、音楽室の滅びの歌姫、裏庭の占い人魚、そして七番目は誰も知らない。知った人間は七番目の七不思議に消されてしまうらしい。まことしやかに囁かれているが女子達の間では六番目の裏庭の占い人魚についての話がよく持ち上がり、男子達の間では誰も知らない七番目の七不思議がたまに話に出てくる。どれもあまり怖い話ではないからだろうか、真偽はともかくかなり受け入れられていた。
「しかし兎にも角にもだ、気になる事がいくつかある。まず小生らがそなたを見つけた時、そなたは覚束ない足取りで北棟に向かっていたが北棟で目が覚める前の記憶はどうなっている?」
「家に帰ってすぐ忘れ物に気がついて戻ってきて校舎に入ろうとした辺りで記憶が途切れてる、かな」
「ふむ、その時に憑かれたか。だがあの程度の怨霊如きに憑かれる程に霊力が衰えている訳でもないな」
僕を値踏みするかのように見ていたアルテミシアの言葉を全て理解する事は出来なかったが若干馬鹿にされていると思う。アルテミシアが熟考し始めた事で沈黙した場を破ったのは扉が開く音だった。あの場所に残っていた男子生徒がそこにいたのだ。雫を垂らしていた髪はタオルで雑に吹いたのか少しぐしゃぐしゃになっている。
「戻った」
「お疲れー。首尾はどうだった?」
「ただの霊だったな。何かに無駄に執着していたようだが。とはいえ、その後輩が取り憑かれた原因については知らん。満か真之の所に連れて行くべきかと思うが」
「俺がいる限り真之は機嫌損ねるから満一択」
「そう言うだろうと思った。ああ後輩、俺は柿坂 透。先程は災難だったな。後、もう少し付き合ってもらうが構わんか?」
「忘れ物取りに来ただけなんでそれを取ってからなら構いませんが……」
柿坂は厳つい顔つきで少し引き笑い気味になったが助けてもらった事への礼を言うことは出来た。すると彼は気にするな、と面倒見のいい親父のように俺の頭をポンと優しく撫でる。少し小恥ずかしい気分になった。あんまり誰かにこういう事をされた思い出がないからだろうか。
「輝、お前がついていってやれ。もしまた霊が出るやもしれないからな。俺は先に根回ししておく。相園は俺についてきてくれ。各自宜しく頼んだ」
「おっけー。亡国の忘れ形見にかかればなんのその」
「お前のそのぶっ飛んだ発想も卒業までにやめておけよ」
苦笑を零しながら柿坂は扉に手をかける。相園もそれに続き、部長の俺達も行こうかという声に従って僕達二人も教室を後にする。賑やかだった教室にはその名残を惜しむような表情をしたアルテミシアだけが残っていた。
分厚い雲の隙間から見えた夕暮れも新しい雲に塗りつぶされてしまい、また一雨やってきそうだった。
特に何事も起こらず忘れ物を回収し、正門をくぐった頃にはもう日も落ちかけていて東の空から夜に染まりつつある。僕達が向かったのは幹線道路沿いの道を歩いて三十分くらいの所にある住宅街。そこにポツンと居を構えていたのは神社だった。古めかしい石造りの鳥居が出迎え、重い雰囲気が奥から漂ってくる。だが相園が境内でぶんぶんと手を振っているのでいくらか薄れてしまっていた。
相園と合流すると彼女はそのまま本殿を無視して奥へと進む。奥には一つの祠があり、その前には柿坂と正座で白い物を頬張る長髪の男がいた。男の髪色は柿坂そっくりである。男は和装でさながらタイムスリップしたような感覚に陥るが彼も霊なのだろうか。そう判断した理由が首だ。彼の首には真一文字の大きな傷がある。それも首を切り落としたかのような。
「おお幸貴、お前も来たのだな。息災か」
「名前でもしやとは思ったがやはりお前か。久しいな」
「あれ、二人知り合いだったりする?」
「まあな。俺達は昔同じ主に仕える同士だったんだ」
「ほほう、こうしてここで逢えるとは運命ってやつかな。旧交を温めてほしいとは思うんだけど満さん、事情は聞いてるだろ。こっちの奴を『見性自覚』で視てくれないか?」
「まあよいぞ、お主の変な名付けも大概にして欲しいものだがな。どれ」
満と呼ばれた豆大福の男はこちらまで歩いてくると僕の胸に手を当てた。すると手から何かが入ってくるような感覚がして気持ち悪かった。目が覚めた時と同じような気持ち悪さに顔を歪めるが暫し待てと咎められる。
気持ち悪さから開放されたのは暫しというには少し長いくらいの時間が経った後。満は顔色が余計に悪くなっているように見える。オカ研の三人は呑気にも豆大福を食べていた。
何かが入っていた感じはするのだが手や足を見てもそんな様子は何もなく、ただ感覚だけがぼんやりと残っている。そんな僕を他所に満はなんともない表情で顎に手を当てていた。
「憑依の霊力持ちだろう。しかしこれ程までに抵抗される憑依体質なんて初めて見たがな」
「憑依ならば霊力が衰えてもいないのに怨霊に憑かれるのにも説明がつきますね! でも怨霊が憑く事が出来て満さんがいつもより調べるのに時間かかるなんて不思議な事もありますね」
「その事なのだが余も分からん。仮に不意を突いてこの霊力の抵抗に打ち勝った霊でもお主らに対処出来る訳がない」
「あの、話の腰を折るようで悪いんだが霊力と抵抗について詳しく説明して欲しい」
おずおずと手を挙げると満が説明してくれたがあまりにも言葉が難しいので柿坂が簡単に教えてくれた。つまる所、生命力や思いの力らしい。誰でも霊力は持っているようだがその中でも霊力が一定以上あると霊が見える霊視の力と異能力を授かるそうだ。霊力の抵抗とは、強い否定の意思で生まれる物らしく憑依体質の僕だと抵抗している間は憑かれにくくなるといった感じだ。という事は一連の騒動の原因は僕が憑依という力を持っていて霊に憑かれたという事だろう。そして実はあの出来事からまだ二時間も経っていないなんて思える訳がなかった。
満は抵抗の原因を調べたいならもう一度すると申し出てくれたがそうすると僕が耐えられずに胃の中身を出す自信が悲しい事にあったので断った。
「んあ、そういえばまだ新入部員クンの名前とか聞いてなかったな。名字しか知らねぇや」
「高等部一年、灰鹿野 清貴です。周りからはキヨって呼ばれてます」
「キヨね、了解。改めて、幽霊トラブル対応部にようこそ。活動日は週二回だけど実際の所大体駄弁って解散が多いから気張らずに来てくれよ」
「クラスメイトに同じ部活の人がいるなんて久々です。クラスメイトとしても同じ部員としても宜しくお願いしますね」
「部名の通り、霊力で困った時に助け合う場としてこの部はある。何か困れば気軽に頼ってくれ」
「はい。よろしくお願いしま、うわっ!」
差し出された手を掴めばぐいっと引き寄せられて肩を組まされた。上機嫌に魔眼が効かない人材を手に入れたぞと喜ぶ部長とその様子を見て呆れる相園、叱責の声を飛ばしながらも諦める柿坂。神社の境内に賑やかな声が響いた。しかしその裏で満と幸貴が何か耳打ちをし合い、互いに思い詰めた顔をしているのには誰も気づかなかった。