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のれんに牛  作者: マナブハジメ
青年期
9/24

春一の刀

「代月、茶ぁくれや」

「すまんが今わしは歌論を説くのに忙しいんじゃ。締切り言うもんがあるからのう。姉さんにでも頼んでくれや」

「仕方ないのう。林檎(りんご)~、お~い、林檎~。お茶くれや~」

 時が経つのは実に早いものである。春一たちがあの丘で誓いを立ててから十年もの月日が流れた。当時は幼かった春一たちも今や上背があるためかずいぶんたくましく見える。しかし春一に限定してみれば順調に育ったのは外見だけのようで、内面は少しも成長していない。今の状況を見たって春一は代月の家に居候しているくらいなのだから困ったものである。

 そんな春一が家に上がり込んでくるのをそれほど悪く思わない寛大な心をもった代月は、この家で姉と二人暮らしをしている。正確には春一も含めて三人暮らしなのだが。

世情を扱う出版社の様な所から声をかけられた代月はその依頼を受け、それを機会に一人暮らしを始めた。しかし生まれつき体の弱い代月を心配した代月の両親が、代月に姉と一緒に暮らすよう勧めたのである。自分の身体がよくないことを重々承知している代月は、両親の提案をのんで姉と暮らすことにした。

 春一の声に引っ張られたのか、代月の姉である林檎が顔を覗かせた。

「あんた私の事を呼び捨てにするんじゃないよ。お茶くらい自分で()みな」

 そう言って林檎はまた奥へと行ってしまった。この林檎という女性は本当に代月と血が繋がっているのだろうかと疑いたくなるくらい気が強い。それに、彼女は春一たちよりも年上ということもあってかなかなか迫力があって、正直怖いくらいだと春一は思っている。春一に有無を言わせぬあたりはなかなかのものである。

「代月、林檎はもしかしてわしのことを犬じゃと思うとるんじゃないかや?えらい上から目線じゃったぞ」

「姉さんはああ見えて優しいんじゃ」

 春一と話しながらも代月の筆が止まることはなかった。

「しゃあないのう。じゃあ、わしもそろそろ行くとするか」

 そう言って腰を上げた春一は家を出た。外に出た春一は擦れ違う顔馴染み一人一人と無駄話を交わしつつ、昔よく歩いた丘を上っている。

大きなうねりを伴いながら激しく流れた時間とは異なり、ここの景色は少しも変わっていなかった。

「久々に稽古でもつけちゃるかのう」

 春一の目の前にあるのは皆花塾であった。妖刀の乱を無事乗り切った桐蔭は、世情が落ち着きつつある近年になってこの塾を再開したのである。今は昼過ぎであるから道場からは男の子たちの元気な声が聞こえてくる。

「やっとるのう」

 そう言って現れた春一に、道場にいる子供たちからのキラキラした視線が集まった。

 その中に混じって桐蔭が声をかける。

「やっと来てくれた。少し間をあけすぎでしょう」

「先生が言ったんじゃろ、暇な時に手伝いに来てくれればええ、と。じゃからわしは暇なときだけ来るんじゃ」

 春一は桐蔭に声をかけられて、皆花塾の手伝いをしている。しかし手伝いといっても、春一が勉強を教えるというのはいささか子供たちに失礼であるから、道場での稽古のみを手伝っているのだ。それもかなり不定期に。もちろん稽古の手伝いでは、働いた分だけお金をもらえる。したがって春一にしてみれば、生活費がなくなりそうになると決まってこの道場の手伝いに来るのであった。本人にしてみればある程度の間隔ごとに足を運んでいるつもりだ。お金を貯めようとしないところはなんとも春一らしい。

 桐蔭が春一を誘ったのは他でもなく桐蔭自身が春一の剣術の腕前を高く評価しているからである。町で偶然会った春一が何の職にもついていないと知った時は正直、しめた、と思った。春一は最初、手伝いなんて面倒臭いから嫌じゃ、と言って返事を渋っていたのだが、これ程の人材をふらふらさせておくなんて実にもったいない、と思った桐蔭は春一とある取引をした。

「手伝いに来てくれるのだったら皆花塾に代々伝わる真剣を譲ってあげてもいいですよ」

 という桐蔭の言葉に、案の定、春一は飛び付いてきた。刀とは持つべき人が持ってこそ刀たりえるのだと思っている桐蔭にとって、春一はその刀にふさわしい人物だったのだろう。約束通り家宝級の刀を春一にやったのだが、それでも春一が毎日手伝いにやってくると言うことはなかった。これには桐蔭も苦笑いするしかない。

桐蔭が春一に渡したのは一切の汚れのない刀身を美しく伸ばす刀であり、庖丁正宗ではない。真剣を手にした春一は自分のように、人ならぬ力、を手にしようとするかもしれないが、それならそれでいいと桐蔭は思っている。春一はもう子供ではないのだ。善悪の判断くらい自分でつくだろうし、そもそも怪紋刀を持つことが『悪』だと思ったことはこれまで一度もない。怪紋刀に立ち向かうには怪紋刀を持ってするしかなく、正義を叫んだところでどうにもならない場面にいつ出くわすともわからないからだ。

善か悪かは怪紋刀によって区別されるのではなく、それを振るうものによって分けられるべきである。だから桐蔭は春一について一切の心配はしていない。唯一気がかりな、妖怪と対峙する場面についてだって心配はしていない。春一はまだ若いけれど剣の腕前ならば桐蔭よりも上だろう。もちろん、純粋な剣術に限っての話なのだが。

「さあ、こき使ってあげるから、早く着替えてきなさい」

「わかっちょるがな」

 道場はあの頃と変わらない活気で溢れ返っていた。


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