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のれんに牛  作者: マナブハジメ
幼少期
7/24

羅生門の鬼

 あまりにも急な出来事だったが、藪へと引っ張られた二人はそれが何によってもたらされたものなのかということに気付いていた。

「痛てぇな!バカ京二!」

 二人を押さえつけているのは京二と秀也だった。

「頼むから静かにしてくれ」

 ささやき声の京二であったがその形相からも事の深刻さが見て取れる。

「なんなあ?」

 春一は、京二が指差す方を茂みの中から恐る恐る覗いて見た。同じようにして代月も茂みの向こうを覗いている。春一はごくりと生唾を飲み、代月は小刻みに震えていた。

 鮮血が咲いているのかと思った。

 (ほむら)が風に(なび)いているのかと思った。

 春一と代月の視界に飛び込んできたのは、景色からはみ出すのではないかと思うくらい鮮やかな赤色だった。不吉を告げているのかと思うくらい美しい花の群れだった。

 しかし、寒気はそこで終わらなかった。

「な、何じゃあれは」

 絶句する春一。

「ありえん光景じゃ」

 代月の両眼はこぼれおちそうなくらいに見開かれている。

 山の頂上にこのようなものがあるはずがなかった。それは真紅に群れる花たちの中にあってもなお強い異彩を放っている。これがこのような山の山頂ではなく、どこかの都の下で建てられていたならば、圧倒的な壮観をもって世の人々の目を楽しませたに違いない。

「代月、なんじゃあれは?」

 春一の問いに代月が答えた。

()(じょう)(もん)じゃがな」

 そう、彼らの眼前に建ち誇っているのは羅城門だった。

 揺れる赤色の群れから突き出る(くれない)の柱が品よく八本整列しており、そこから上は二階建てのつくりへと表情を移す。赤と白、そして(かわら)の青銅色がみごとなバランスを保ってその壮麗な外観を演出している。

 圧巻極まりなかった。

 春一と代月は京二と秀也の方へと振り返る。

「もう勝負はお前の勝ちでええからはよう下に戻ろうや」

 不吉を感じ、そう言う春一に向って秀也がささやいた。

「見えたか?」

 春一は首をかしげている。

「何がじゃ?」

 秀也は京二と顔を見合せ、今度は二人でささやいた。

「「鬼がいるだろ」」

 そう言われた春一と代月は再び茂みの中から羅城門を見やる。すると、たしかに鬼がいた。羅城門の二階の柱に手を掛け、見張りをするかのごとくやや前かがみで城門外を見渡している。京二と秀也が静寂を求めたのもこのためだろう。羅城門の鬼は遠目から見てもそれとわかるくらい、おどろおどろしい風貌をしていた。ぼろぼろに薄汚れた布を腰に巻き、体中に体毛が張り付いている。顔は人間のそれと言うよりは獣に近い顔立ちだった。

 二人は初めて見る妖怪から目を離せずにいたのだが、その鬼を見れば見るほど、自分たちはここにいるべき存在ではない、と言うことを思い知らされる気分だった。

「もういいか、帰るぞ」

 京二のささやきに同意した二人は羅城門の鬼から目を離した。この世のものではない光景を目にした春一と代月は恐怖とともにやや興奮していた。春一は、すごいがな、を連発している。

 しかし、それが災いした。

「よし、帰るかや」

 と言って、冷めやらぬ興奮そのままに春一は勢いよく立ちあがった。いや、立ち上がってしまった。

 残念なことに四人が身を隠していた茂みの植物はそれほど背が高くなかった。四人は自分たちの身をかがめることでなんとか鬼の視界に映らずに済んだのである。

 青ざめる三人をよそに春一はこめかみのあたりをぽりぽりとかいていた。

 なんとなく事の深刻さを理解し始めた春一が羅城門の方を見やると、二つの視線がぶつかった。目が合ってしまったのである。その時の鬼の表情を春一は一生忘れることができないであろう。羅城門の鬼は、ニヤリ、と口角を引き上げて笑っていたのである。春一はちびり(、、、)そうになった。

「走った方がええ」

 という言葉と同時に四人は山道を駆け下りていた。

 空からぽつぽつと落ち始めた雫は瞬く間に大粒へと様変わりしていた。黒雲から降りしきる大雨が木々の葉っぱとぶつかって、ざあざあ、と鳴き始める。視界の右端に映る真紅の花は雨粒の涙を流してさえいる。

雨粒が地面にぶつかるたびに、ぱっ、と雫が弾け飛ぶくらい、その雨は激しさを増してきた。ぬかるみ始めた地面に足を飲みこまれそうになりつつも、四人は必死に腕を振った。万が一の時のために持ってきた竹刀が邪魔で仕方なかった。べっとりと水分を含んだ竹刀袋が四人の背中に張り付き、水気を帯びた肩ひもが首に絡みついてくる。

 視界の右端では雨に打たれるままに焔色の花が(こうべ)を垂れている。

 振り返る余裕などない四人には鬼が追いかけてきているのかどうかということすら分からなかった。降りしきる雨によってもたらされる雨音のせいでその足音すら聞こえない。唯一わかることはと言えば、自分たちがまだこうして走れていると言うことは、自分たちはまだ鬼に捕まっていないのだ、ということぐらいである。四人は息が切れるくらい懸命に走っていた。

 なおも視界の右端には赤い花がある。

「おかしい」

 最初に気付いたのは代月だった。久々に全力の運動をしているにもかかわらず、その洞察力が息を切らすことはなかった。

 しかしそんな声にいちいち耳を傾けていられない三人と、三人が止まらない限り自分も足を止めるつもりのない代月は走り続けていた。自分たちが全力で走っていることを考えればそろそろ山の入り口付近の景色が見えてきてもよさそうなのに、景色はそれを覗かせてくれない。

 と言うより、

「駄目じゃ、止ろう!」

 代月の大声で、三人はみな同じように代月の方へと顔を向ける。だが、足はなおも動き続けている。もちろん、代月も。

「どうした?」

 走りながら京二が訊ねた。春一と秀也は未だ必死の形相で山を駆け下りている。

「おかしいんじゃ。さっきから景色が変わっとらん」

 赤花はやはり視界の右端にあった。

 京二もこれに気付いたらしく、前を行く二人に静止を促す。

「春一、秀也!一旦(いったん)止ろう」

 しかし、そんな声など聞こえていないのか、いや、聞こえているはずなのだが、二人の全力疾走は止まらない。

 自分の必死の呼びかけにもかかわらず一向に足を止めようとしない二人に、京二は腹が立ったらしく、

「止まれって言ってるだろうが!」

 二つの背中目指して跳び蹴りをかましていた。

「何するんじゃこらぁ!」

「痛いじゃねえかこらぁ!」

 派手に転ぶことでようやく止まった二人は、各々の怒号をぶちまけながら京二と代月を見上げていた。

 これに対して代月が静かに口を開く。

「走っても無意味じゃ。さっきから景色が変わっとらん」

 踏みつぶされている形の秀也が口を開いた。

「どういうことだ?」

「たぶん蜃気楼(しんきろう)とか言うやつじゃろう。しかも、わしらはその蜃気楼の中におるようじゃ」

「蜃気楼って……。いつからだ?」

「わからん」

「じゃあ、あの鬼も幻だったとか―――」

 一瞬ほっとしようとした秀也の顔が凍りついた。同じような体勢の春一は何やら念仏を唱えている。普段ならば神仏などと言う信仰を真っ先に否定したがる春一なのだが、こういうときは別らしい。この二人とは対面する形になっていた京二と代月も、二人の顔色につられて振り返る。すると、ニヤリと口角を上げた鬼がそこにいた。

 羅城門の鬼は下品な笑いを携えたまま、代月の頭に禍々(まがまが)しいその手を差し伸べている。

「だめじゃ」

 四人の中では一番後ろ、つまり、鬼と一番近い所にいる代月が諦めを口にした。

代月の後方に位置する京二は一歩も動けない。恐怖という感情が冷たい足枷(あしかせ)となって自分の足と地面をくくりつけてしまっている。身体の表皮を(れい)度の炎が、ぶわっ、と駆け巡るかのような寒気がした。膝がガクガクふるえて、奥歯がカチカチ鳴っている。閉じようとしてもどうにも閉まらない自分の唇に力を入れていると、視界がだんだんぼやけてきた。

 雨が目に入ったのだと思った。そうしたら急に雨のことが気になり始めて、雨って冷たいな、なんて思ったりした。でも、皮膚から得られる感覚なんてこの場にあっては一瞬でしかなく、すぐにまた視覚からの映像で脳が満たされた。

ただただ怖かった。まだ鬼は代月に触れてさえいないのに、京二の頭の中では既にもう代月の皮膚は剥ぎ取られていた。代月の髑髏(どくろ)を見て狂乱する自分がそこにいた。代月の次は自分が喰われると思って泣き叫ぶ自分がそこにいた。自分の身を守りたくても守れない自分がそこにいた。そんな自分に絶望する自分がそこにいた。

自分ばかりだった。

京二は妄想の中の自分に気付かされた。そして思った。ああ、雨が降っていてよかった、と。鬼に喰われる自分を妄想して、自分は泣いていたのである。代月のことなどほんの少ししか浮かんでこなかった。春一と秀也については全く浮かんでこなかった。自分のことばかり考えて涙を流していた。

 雨粒にまぎれて涙する自分に気付いたところで現実は変わらなかった。視界は少しも晴れていない。はっきりしない輪郭のまま、代月は呆然と立ち尽くしていた。

 鋭く尖った鬼の爪に、今にも代月の頭の皮膚が剥ぎ取られてしまいそうになった、まさにその時、パーン、という、竹が弾けるような、竹刀がぶつかるような音がした。

 春一だった。

 ほんの数秒前まで秀也の隣で臆病に念仏を唱えていた春一が、代月に迫りくる鬼の手を払いのけていたのである。

「いかん、やらかしてしもうたがな」

 一言目には後悔を口にした春一が握る竹刀はささくれの様にべろんと折れ曲がってしまい、もう使い物にならなかった。鬼の表皮の頑丈さにも驚きだが、竹刀が折れるほどの力をふるった春一にも驚きである。

 しかし状況はますます悪くなった。

 不意に攻撃を受けた羅城門の鬼は怒り、先程まで上がっていた口角と引き換えに、自らの両眼をギロリと釣り上げている。

「代月、大丈夫かや」

「寿命が数秒延びたわ」

 勢いよく飛び出したもののこれ以上の策を持たない春一は、ただ鬼と対峙することしかできなかった。代月は自分たちの非力を理解し咀嚼(そしゃく)することで、死、という結論を導き出してしまっている。

 やはり、荒々しい鬼の手は自分に一撃をくらわした春一の方へとのびていた。

 春一の勇気を見てもなお、いや、見せつけられてもなお、京二は動けなかった。勇気が恐怖に勝ることはなかった。さっきまでは自分の後ろにいた春一の隣に並ぶことはできなかった。春一の背中しか見ることができなかった。春一の背中がやけに大きく見えた。悔しくて、悔しくて、涙が止まらなかった。

 鬼の爪が春一の髪先に触れる瞬間と、京二の(まばた)きが重なった。

 京二の瞳に一瞬の闇が訪れたかと思うと、その(まぶた)を上げる間もなく、真っ白な世界が瞼の裏に現れた。正確に言うとそれは京二の瞳の中という小規模な所で起きたようなものではなかった。

 京二が絶望の景色を予感しながら視界を開くと、世界は刺激の強い光で満ちていた。

(らい)(ごう)とともに放たれた強烈な閃光が鬼の腕を()ぎ取り、そこでとどまることなく大地を揺さぶりながら地面を貫いている。

 あっけにとられて言葉を失った四人を包み込んだのは、毎日聞いている優しい声だった。

「間に合ってよかった。まったく、後で山ほどの説教と宿題が待っているから覚悟しておきなさい」

 彼らの後ろにいたのは六花(りっか)桐蔭だった。

「と、桐蔭先生……」

 安心したはずの四人であったがしかし、彼らが桐蔭に近付くことはなかった。というより、近付くことができなかった。

 寸詰まりの短刀を手にした桐蔭の周りにはチリチリという音を立てながら、細い閃光が舞っていた。桐蔭の身体に巻き付いては離れるという運動を繰り返すその閃光は、降りしきる雨すら寄せ付けない。

 四人が気付けば先程の落雷で射抜かれた地面は深く(えぐ)れ、その下では人間よりも大きな図体をした(おお)(はまぐり)の貝殻が真っ二つになって転がっていた。

「蜃気楼を見せていたのはこの大蛤だよ」

 そう言った桐蔭は、今度は前方の鬼と対峙している。

 するすると桐蔭の後ろに身を寄せた四人は息をのんだ。擦れ違い様に見た桐蔭先生の顔は、これまでに見たこともないくらい怖い顔をしていたから。

「私の生徒に手を出すとはいい度胸じゃないか」

 切れるような視線を浴びせられた鬼はしかし、自らの片腕を奪った桐蔭が憎くて仕方ないらしく、斜面の勢いを利用して桐蔭に襲いかかった。

 しかたないな、というように首を振った桐蔭は、

「みんな、目を(つむ)っていてくれ」

 とだけ言い残し、短刀を握る手に力を込めた。

「『(らい)』を斬りし刀をもってお前に別れを告げよう」

 刀に刻まれた妖しい刃紋が一際その輝きを強めると同時に、空から視力を奪う程の閃光が降ってきた。

(ひらめ)け、庖丁(ほうちょう)正宗(まさむね)!」

目を閉じているにもかかわらず目の前が真っ白になるくらい、その閃光は強烈だった。その白色の映像に温度すら感じてしまう。そして、鼓膜を突き破るほどの轟音が鳴りやむと、落雷の後には何も残っていなかった。

 他の三人、中でも両手で自分の目を覆っている春一、とは対照的に、京二は目を開けっ放しにしていた。妖しくも美しい刃紋に目を惹かれ、次いでやってきた稲妻に度肝を抜かれ、それがもたらした圧倒的な破壊力に言葉を奪われた。

 これはもはや人の領域ではないと思った。自分が聞いた話は本当なんだと言うことがわかった。


『初めて妖怪を斬りし刀にはその体液、もしくは残痕(ざんこん)が残る。彼らが絶命しし後もそれらを拭わぬまま刀に残すと、その刀には斬られし妖怪の残恨(ざんこん)が宿り、面妖な力をもたらす。その刀を(かい)(もん)(とう)と言ふ』


桐蔭先生の庖丁正宗はまさしくそれだと思った。

 自分も欲しいと思った。

 力が、怪紋刀が。あれほどの力を得てその矛先をどこに向けるのかは分からないが、とにかく欲しくて欲しくて仕方なかった。鬼の前に無力をさらけ出し、ただ泣くことしかできなかった自分がついさっきまでいたからこそなおさら力が欲しかった。

「終わったかや?」

 気付けば春一たちも目を開けていた。この場にそぐわぬ()頓狂(とんきょう)な声で春一が訊ねている。

「あなたたちも反省しなさい」

その言葉とともに四人の頭には、雷ではなく、桐蔭先生のげんこつが降ってきた。


この後皆花塾へと強制的に連れて行かれたこの四人には、嵐のようにつばを吐き散らしながら怒号の雷を降らせる桐蔭先生の長い説教が待っていた。きっちりと正座させられた春一たちの中にはなぜだか杏もまじっていて、四人のことを案じて皆花塾に残っていた杏にとっては迷惑この上ないことであっただろう。

 桐蔭先生の説教が終わった後には、説教に巻き込まれた杏による怒涛(どとう)(ののし)りが始まったそうだから、この日の四人は本当に踏んだり蹴ったりの一日をおくったことになる。

 そんな中にあってこれらの話を全く上の空で聞いている少年が一人いた。

 京二である。

京二は思った。強くなる。絶対に強くなってやる、と。

 京二の中では今までにも増して強さに対する執着が強くなっていた。しかし本人は気付いていなかった。その強さへの執着の果てに何があるのかということに。

 京二は今までだって強さを求めていた。だから稽古の時はいつだって必死だった。この時の京二が抱いていた強さへの執着には明確な目標があった。

 春一という。

 この日を境に芽生えた新たな強さへの憧れは決してきれいなものではない。妖怪を斬らねばならないのだから。その血を刀に取り込まなければならないのだから。怪紋刀を求める京二の執着は果たしてどこに向かっていくのだろうか。


 この日は五人そろって皆花塾の坂道を下っていた。

 空は未だに泣いている。勝負の終わりを告げるはずの夕日が彼らに微笑むことはなかった。それでも茜色の空は黒雲の上で彼らを待っている。声にならぬ声を、その景色に託して。


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