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のれんに牛  作者: マナブハジメ
幼少期
6/24

ぐちゃぐちゃの言葉と桐蔭先生の刀

 坂が意地悪をしているのだと思った。

 杏がどんなに必死になって走っても、坂の終りがどんどん遠ざかって行くように感じた。実際にはその距離は縮まっているのだけれど、焦りというものがその感覚を麻痺させていた。手を伸ばすとするする逃げていく丘の頂上をなんとか手繰り寄せると、いつもの見慣れた皆花塾がそこにあった。

 しかしそこが終点ではないことを自分に言い聞かせていた杏はなおも走る。いったい何回転んだのだろうか、着ているものは泥で化粧し、髪は乱れ、擦り傷がその勢いのよさを物語っている。

 普段なら足を踏み入れることのない道場からは男の子たちの元気な声が聞こえてきた。あの四人もいつもならこの声に混じって竹刀をふるっているのだろう。

杏は少しだけ想像してみた。

春一は道場の中でも飛び抜けて腕が立つそうだから一度見てみるのも面白いかも知れない。よつさんはどうしているのだろう、あまり激しいことはできないだろうから、休み休み稽古しているのだろうか。京二はきっと春一に負けないように歯を食いしばりながら頑張っているのだろう。秀ちゃんは先生の教えをよく聞いて、先生のまねばかりしているはずだ。そう言えば秀ちゃんはあの長い髪をどうしているのだろう。束ねているのだろうか。やはり見てみたい。

 少しだけ生まれた余裕から垣間見ることができた想像をいつの日か実現するべく、杏は桐蔭先生の元へと急いだ。恐山を見た時に感じたあの嫌な感覚が自然と杏をせかしていた。

 そして、道場の戸を勢いよく開いた。

 汗にまみれた男の子たちの視線が一斉にこちらに集まる。その中には桐蔭先生の視線も含まれていた。

「先生!」

 ありったけの声を振り絞る。

「助けて!」

 思わずそう叫んでいた。

 声だけでなく、杏の形相からもただならぬ気配を感じ取った桐蔭は、杏を外へと連れ出した。道場の中では男の子たちが、がやがや、と騒いでいる。

 道場の外で事情を聞かれた杏はとにかく混乱していた。桐蔭先生が、落ち着いて、ゆっくりでいいですよ、と言ってくれたから大きく深呼吸をしてみた。ほんの少しだけ身体が、すっ、とした杏はようやく気付いた。自分が泣いていると言うことに。

 走っている間にいろいろとよくないことが浮かんできて、とにかくあの恐山の不気味な印象が強すぎて、杏は頭の中で漂うそれらの妄想があたかも現実で起きた出来事かのように感じていた。

 言葉にすることでようやく妄想と現実の区別をつけることができた杏は、代月に言われた通り、桐蔭先生に、彼らが恐山に入っていってしまったこと、それがどこの恐山であるかということを告げた。

 ぐちゃぐちゃの杏の言葉を、うんうん、と言って最後まで聞き届けた桐蔭は杏の頭をぽんぽんと叩き、もう泣かなくてもいいですよ、先生がいるから大丈夫です、とだけ言い残して塾の中へと消えて行った。一分もしないうちに再び現れた桐蔭先生は今まで杏が見たことのないものを腰に下げていた。

 道場を開いているくらいなのだから先生が真剣を持っているのは全然おかしなことではないのだけれど、桐蔭先生が刀を腰に下げているところを初めて見た杏にはそれがすごく新鮮なものとして映った。

 でも、桐蔭先生が腰につけている刀は少し格好悪かった。普通の刀は刀身がのびのびとしているのに、桐蔭先生の刀の刀身は寸詰まりなのである。短いったりゃありゃしない。おまけに、普通の刀を、ぎゅうっ、と押しつぶしたみたいに太っちょでもある。

 杏のそんな視線に気づいたらしい桐蔭先生は恥ずかしそうに、

「私の愛刀ですから」

 とだけ言い残して、杏が告げた恐山目指して消えて行った。先生の後についていこうかと杏は思ったけれど、安心したからなのか疲れがどっと溢れて来て、さらにはいつつけたのか分からない擦り傷がジンジン痛んできたので、それを断念した。

 とはいっても、桐蔭先生の足はものすごく速いから追いつけなかっただろう。

 杏は、ぺたん、と土に尻餅をつき、流れゆく雲を見つめていた。

 空は今にも泣き出しそうだ。


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