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のれんに牛  作者: マナブハジメ
青年期
17/24

代月の本気

 恐山の入り口にたどり着いた二人は早々に顔を見合せた。杏の言っていることと少し異なる現実を目にしたからだ。

「何しとんなあ?」

 二人の目の前にいるのは秀也だった。秀也は確かに深手を負っているものの、杏の話ではこの山の頂上で孤軍奮闘しているはずではないか。入口付近で身を隠すようにして転がっている姿など想像すらしていなかった。

「もしかしてお前」

 春一の声に秀也が頷く。

「逃げてきた」

 春一はなんだかがっくりしてしまった。何のために自分たちはここまで懸命に走ってきたのだろうかと。

 久しぶりに全力の運動をした代月が訊ねる。

「どういうことじゃ?」

「相手がかなり手強いんだ」

「それはまあ、お前の傷の受け具合からもなんとなくわかるんじゃがのう。杏が言うにはお前は死を覚悟して戦っとる言う話じゃったんじゃが」

 秀也は少し遠目がちに答えた。

「杏がいる前ではこんなかっこ悪いこと出来ないからな。杏がこの山を下ったのを見届けてから俺も身を隠したんだ。お前らが来るまでの間。待ちくたびれたぞ。逃げるのだってかなり苦労したんだ」

 京二に説教をたれる前に秀也を怒鳴りつけてやろうかと思った春一であったが、代月がそれを制したのでやめておいた。

 代月が続ける。

「相手は何人じゃ?」

 秀也は首を振る。

「わからん。俺が相手にしていたのは一人だった。怪紋刀の使い手だ。とてつもなくでかい薙刀に取り付いているのは牛鬼で、とんでもなく怪力だ」

 代月の表情が曇った。

「困ったのう。先日の事件から推測するに相手はおそらく三人。そのうち一人は京二じゃからあいつは怪紋刀を持っとる。それにお前の話を合わせると怪紋刀がもう一つ加わることになる。もしかしたら相手は三人が三人とも怪紋刀をもっとるかも知れんな」

 秀也は怯えたような顔をしている。

「ま、まずいな。俺たちだけじゃ勝ち目はないぞ。こっちの戦力は春一と俺だけみたいなものなんだし。あの時みたいに桐蔭先生に助けを借りるか」

 秀也に視線を向けられた春一が不快に答えた。

「これはわしらの問題なんじゃ。桐蔭先生は関係ない」

 春一から代月へと視線を移した秀也があることに気付いた。

「代月、お前も刀を持っていたのか」

「当然じゃ」

 秀也は心配そうな視線を代月に送っている。代月にいろいろと相談に乗ってもらっていたことのある秀也であったが、話すのはたいてい自分の身の回りのことや勉強についてだったので、代月自身のことについてはあまり知らないのだ。

「大丈夫なのか?」

「たぶん」

 そんな二人の会話とは別に、代月の隣にいる春一は恐山を見上げていた。そして二人を促す。

「行くぞ」

 春一の声に二人は頷いた。


 山頂へとたどり着いた春一、代月、秀也を待ち構えていたのは羅城門と二人の男だった。

 秀也が静かに声を漏らす。

「あのでかい方が牛鬼だ。薙刀持ってる方だぞ」

 無言で頷いた代月が秀也に訊ねる。

「もう一人の方はどうなんじゃ?怪紋刀の使い手か?」

「わからん」

 首を振った秀也を含めた三人が、対峙する二人の男に睨みを利かせる。相手の反応はというと、薙刀をもった巨体の男は怒りに顔を赤らめ、今にも突進してきそうな顔色であるものの、もう一人のすらりとした男はこれと言った表情を浮かべていない。ただこちらを観察するように涼しい顔をして立っているだけだ。

 どうにも耐えかねた様子で巨体の男が吠え始めた。

「おい絡新婦(じょろうぐも)!逃げるとは貴様男の風上にも置けねえ奴だな!」

 まだ牛鬼に憑依されてはいないものの、巨体の形相はもはや獣とさほど変わらなかった。鼻息が荒く、怒りが血液を沸騰させているのか呼吸が全体的に乱れている。

 獲物を見つけた獣にしばしの猶予を期待する方が間違っているのだろう。

「貴様ら三人まとめて俺がやる!手出すんじゃねえぞ!」

 牛鬼へと姿を変えた巨体がとなりに並ぶ色男を目で威嚇する。もしかしたらこの巨体には敵や味方という概念がないのかもしれない。ただ単純に人を、それも、ある程度腕の立つ人間を斬りたいだけなのかもしれない。

 睨まれた方の男は、やれやれ、と言った感じで首を振り、

「わかったわかった。好きにしろ」

 と言って牛鬼から距離を取ってしまった。そのまま両腕を組み、少し仰け反ったような姿勢でこちらを見つめている。腕を組んだままという体勢からしてこの男が抜刀する確率は低い。仮に抜刀するとしてもそれまでに少しの動作がいる。三人にしてみれば、相手が初動を起こしてから対応しても十分間に合うだろう。

 そう判断した代月がつぶやく。

「春一、お前は京二に説教でもかましてこい。この場はわしと秀也で何とかする」

 春一は頷いたのだが秀也は不安を隠しきれないようだ。

「何とかするってお前な」

 秀也が言い終わる前に牛鬼が突進してきた。薙刀と爪刃(そうじん)が地面を抉って砂塵を巻き上げる。これを春一は右に避け、代月と秀也は左に避けた。春一たちは牛鬼を挟んで二手に分かれた状態になっている。

「頼んだ!」

 と言って羅城門へと走り出した春一に、

「まかしとけ」

 と代月が返事をする。彼らは牛鬼を前方と後方で挟んだ形になったにもかかわらず、その千載一遇の好機を放棄した。春一にしてみればこの荒れ狂う牛鬼の事など全く興味がなく、相手をしている時間すらもったいないと思っている。春一は京二に会って説教をするのがここを訪れた目的であるわけで、それ以外に無駄な労力を割くのは嫌だったのである。

さも自信ありげな返事をした代月にしてみれば、春一とこの牛鬼を挟み打ちにできたからと言ってそれが自分たちの勝利につながるとは思えなかった。だからぐずぐず時間を三人で使っているよりも、せめて春一一人だけでも京二の元へと送りたかったのである。

そんな思惑を巡らしている代月の隣では、何がまかしとけだよ、と内心穏やかでない秀也がいる。抜刀した秀也の怪紋刀には妖しい刃紋が光っている。春一が去ってしまう状況を考えれば自分が踏んばるしかない。秀也は自分の中でそう言い聞かせていた。その決意を表したかのように硬質化した長髪が蜘蛛のように手を伸ばしている。そして、この場を離れようとした春一を見逃すまいと突進の体勢に入っていた牛鬼へと筋糸を放つ。

 その筋糸に気付いた牛鬼が薙刀で対応しているうちに、春一は羅城門の中へと入って行った。すらりとした男はやはり抜刀することなくただ戦況を見つめるだけだった。獲物を一人取り逃がしてしまった牛鬼はさらに怒りの色を濃くし、逃がす要因をつくった秀也に殺意をぶつけている。

 秀也は先程の一戦もあってか、自分が牛鬼に勝てるという自信はこれっぽっちも持っておらず、絶望にも似たどうしようもない気持ちに陥っていた。いくら決意を強くしたところでどうにもならない現実というものがある。その絶望を文句に変えて、この戦局を作り上げた張本人である代月へと愚痴をこぼす。

 その代月はというと今の状況を冷静に分析していた。

「ありゃお前がやられるのも無理ないはずじゃ」

「どういうことだ」

「戦闘経験云々より、あれはお前の攻撃と相性がようない。お前のその繊細な攻撃ではあの怪力に太刀打ちすることは無理じゃて。繊細な楽譜が大音響の騒音にかき消されてしまうのはどうしようもないことじゃからのう」

「じゃあどうするんだ。俺が無理だったらこの場はどうにもならんぞ」

 二人が話しているうちにも牛鬼は突進の体勢をとっている。単純明快な攻撃方法は実に野性的だ。

「わしがおる」

「は?」

 秀也は、こいつ正気か、というような目で代月を見ている。その一瞬の気の緩みを野生の本能で見透かしたように、牛鬼が猛烈な突進を仕掛けてきた。

 ふん、と鼻先で笑った代月は右腰から抜刀する。代月の左手に握られた刀が妖しく光った。

(はか)れ、数珠(じゅず)丸恒(まるつね)(つぐ)

 秀也は初めて見た。代月が抜刀するところを。そして初めて知った。代月が怪紋刀の使い手であるということを。

 秀也は牛鬼の突進に対して自然と回避の行動をとっていたのだが、代月はその牛鬼めがけて刃を向けていた。秀也が想像するよりはるかに俊敏な動きをした代月は、牛鬼との擦れ違い様にお互いに斬撃を浴びせ合っていた。

 怪紋刀を持つ代月であったが、それは秀也や牛鬼のものとは異なり、代月自身の容姿には何の変化ももたらしていない。しかし怪紋刀には今も妖しい刃紋が浮かび上がっている。

 おたがい背を向け合う形となっていた代月と牛鬼が再び顔を向き合わせる。

「貴様、絡新婦よりやるじゃねえか」

 牛鬼の言葉とは裏腹に代月の衣には血が滲み出ている。代月の怪紋刀を持ってしても牛鬼の怪力には勝ることができないようだ。

 牛鬼の褒め言葉に無言で対している代月の右手には何やら握られている。観客の立場となってしまった秀也が目を凝らして見てみると、どうやらそれは牛鬼がまとっていたぼろ布の切れ端であるようだ。

 牛鬼はまたもや突進の体勢をとっている。

「だが、貴様も俺には及ばねえ!死ね!」

 今度の代月は自分も飛び込むというようなことはしなかった。しかしその場から逃げるわけでもない。秀也のように防御陣を引く様子もなくほとんど丸腰と言った状態で牛鬼を迎え撃つようだ。代月ほど冷静な分析ができる人間であったなら、当然自分の攻撃力が相手よりも下回っていることに気付いているはずだ。

 それゆえ秀也の頭にはよくないことが浮かんだ。自分たちが子供だった頃にこの山に足を踏み入れ、その帰り際に鬼に襲われた時のことだ。あの時に代月が放った一言を秀也は今でも忘れることができない。代月の眼前数センチに死の手が迫ってきたとき、代月は怯えるでも逃げるでもなく、駄目じゃ、という一言で自分の死を受け入れようとした。

 代月は冷静であるがゆえに、自分の死についても冷静であってしまう。生に頓着しないのは(いさぎよ)いことではあるが、決して利口なことではない。この場面でも代月は自分の死を受け入れてしまっているのだろうか。

「代月!逃げろ!」

 秀也の叫び声は届いているはずなのだが代月は一歩も動かない。牛鬼は地面をべこりとへこませると同時に代月へと突進していた。

 そんな急激な動作とは対照的に、代月は実に緩慢な動作で右手を開き、刀の(みね)の部分に先程剥ぎ取った衣を落とした。急いで散り果てる赤花をあざ笑うかのようにひらひらと落ちていく衣は、代月の刀の峰に被さったかと思うと次の瞬間には消えていた。それはあたかも刀に飲み込まれるかのように一瞬の出来事だった。

(けん)()(おう)か。まいったな」

 少し離れた所から戦況を見つめていたもう一人の男がつぶやくと同時に、勢い盛んに突進していた牛鬼が地面に平伏した。頭上から鉄鎚を下されたかのように、急に動きを止められた牛鬼は惨めに頬を地面にこすりつけている。土下座をするように倒れ込んだ牛鬼の上には何か目に見えない重しが圧し掛かっているのか、地面がその重みに耐えられないようで悲鳴を上げている。

痘痕(あばた)のように、限られた狭い面積のその一か所だけが窪んでしまった地面と、目に見えぬ重しとの間で何か言いたそうな表情を浮かべていた牛鬼であったが、次第に表情は辛そうなものへと変わっていき、言葉を発しようとして開いた口からは唾液が垂れている。正気を保っていた牛鬼の目も時の経過とともに白目をむき始め、数分と経たないうちに牛鬼は気を失ってしまった。

 気を失ったと同時に巨体は人間の姿を取り戻したが、男が気絶から回復するにはいたらない。

代月は呆れたように声を漏らした。

「まさかここまで罪深いやつがおるとはのう」

 初めて見る代月の本気に、言葉を失ってしまう秀也であった。


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